僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

ネガティブすぎて人生を浪費した結果、見えるようになった世界を言葉にしたい。

『のし上がるには猛烈に働け!』ってのは多分ホントですが、その身も蓋も無い理由を知る人はどれくらいいるのだろう。

気付けば熱いメッセージが書かれたビジネス書を読み漁っている中元です。ある種孤独なとき、支えになるのは憧れのステージに行った人の言葉なのかもしれないっす。

 

さて。そういう本を読んでいると、やはり全員、猛烈な努力をした結果、突き抜けた場所にいるんだってことが、ひしひしと伝わってくる

 ただし彼ら彼女らは同時に、しなくてもいい無駄な努力を否定する。徹底して自分と向き合い、削り、そして局所に全力を注ぎ、勝つ。そんな風に。

 

しかし、それを体現するのは容易ではない。容易ではないのだが、実はそれをしようと悪戦苦闘する中に、ある種の真理が隠れている

 

今日はそんなお話である。

 

 

【自分】を取り戻すために必要な成長痛。

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これを言うのは結構キツいのだが、今の会社で【責任者】の肩書が無いのは、実は僕だけである。

 

これは単にキャリアが浅いことというより、組織の上が詰まっており、僕にポストが無いというそれだけなんだと思う。

 

だが実情そうなので、例えばあらゆる雑用が行きつく先はつまり僕だ。ただし、僕が誰かに仕事を依頼するとき、部下にひょいひょいと振ることはできない。いないからだ。

 

それでも依頼しようと思ったら相手はアルバイトとなるため、結構制限が付きまとう。

難儀だ。

 

だから仕事量だけは、もともとかなり多かったのだが、所詮数値入力や資料作成といった作業である。すなわち、売上にはあまり寄与しない。

 

ー入社してから一昨年までは、そんな状況にさして不満も抱かず、黙々と与えられたタスクをこなしてきた。いつかそれで日の目を見るかと期待していたのもある。

 

・・・だが、ぶっちゃけそんな働き方は心底つまらない。そのことには去年気付いた。歯車として機能すること以外期待されない自分。これが嫌で前職を辞めたのに。

 

だから去年はかなり我を出しながら、仕事に取り組んでみた。何度も釘を刺され、手綱を締められ、怒られ、諫められるのにもめげなかった。

 

表面上は成果をチームに献上しながらも、裏でこっそり、自分が出した数値を追い続けた。一喜一憂は生きている証と思いながら、そこで自分を肯定しつつ。

 

すると、結果が過去イチで良かった。そして、仕事が過去イチで楽しかった。

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活路を見いだせた気分だ。ただし、この仕事の仕方は、全く楽ではない

 

他人から言われた仕事をサッサと終えて、自分がしたいことも行う。言葉にすると簡単だが、それは単純に作業量が数倍になることを意味する。

 

ただ引き換えに、少なくとも精神的には【自由に】やれている感覚を取り戻すことができたのを感じている。

 

もちろん、黙々と与えられたタスクを消化するのも一つの生き方だし、それはそれで大局的には売り上げに貢献しているのだから、咎められる言われはない。

 

しかし、とりあえず僕にとっては、その働き方は数年が限界だった。ただそれだけなのだ。

 

さて。ではなぜ、僕はその働き方に限界を覚えたのか?続いては、そのきっかけについて触れたいと思う。

 

「俺は奴隷じゃない」

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簡単に言えば、僕が作った時間の使い道に、疑念を抱いたからである

 

そもそも論だが、なぜ下っ端とされる人間がまずは雑用ばかりやらされるのかというと、管理者が管理の仕事に集中するためだと思う。

 

例えばコンビニの店長が店の掃除や品出しばかりに集中すると、経営の方に目を向ける余裕がないので、その店は多分すぐ潰れる。

 

だからアルバイトを雇い、代替可能な仕事をバンバン与えることで、【利益】という本来追求しなければならないことを俯瞰的に見る時間が取れるというワケだ。

 

ちなみにこのことは、国際経済学で習う【比較優位】という考え方を知っておくと、非常にストンと腑に落ちる。

www.cscd.osaka-u.ac.jp

 

さて。控えめに言っても、僕は今の職場において、雑用の5割以上を担っている。上司と僕が居たとして、僕でもできると少しでも踏んだことは、全部引き受けている

 

昨日やったことを書ける範囲で書くと、掃除・アルバイトの管理・資料作成・来客対応・電話対応・人員調整・SNS更新など、たっぷり10項目近くのそれを実施した。

 

つまり、その分僕は、他の人の時間を生んでいるということである。そして僕は、その時間を、さらなる経営戦略の立案等に使うことを期待している。

 

ーのだが。本当に個人的興味で気になったのもあり、こっそりと僕が作った時間の使い道をカウントしてみたところ、ちょっとがっかりした。

 

休憩時間が7~8割だったからだ。最初は、「ほとんど俺が仕事しちゃったから、やることがないのかなー。俺、有能だな」という風に自分を慰めていたけれど・・。

 

最近、単に「なるだけラクしたい」という価値観なんだなと悟りつつある

 

それは価値観なのでどうでもいいのだが、休憩時間を創るために僕が忙しいという構図は、少し悲しい。

 

「部下に仕事を任せることで伸ばす」というスタイルなのかもしれない。だが、色々な責任や苦情も何だかんだで僕に来るので、咀嚼しきれない

 

・・・これが疑念となり、「辞めてやる!」というところまで爆発してはいないけれど、自分の中で吹っ切れるきっかけになった。それが最初の項で書いたことに繋がる。

 

公務員等の超保守的な世界ならこの辺は仕方がないが、本来自由競争に晒され続けているはずの私企業で、自分がこの状態になっていないか。

 

結構敏感になっていた方が良いかもしれない。

 

別の人の話だが、その方の上司と自分とが抱える仕事量のアンバランスさに、彼は爆発寸前までストレスを抱えている

 

人望はこういうところから無くなっていくのかと驚いた。でもすぐ納得した。誰だって、自分の上の人がサボり倒していると、面白くない

 

説明責任のみならず、ちゃんと成果を生んで部下に発信しないと、反乱はいつでも起き得るんだなと、そこも僕は意識を向ける契機になっている

 

 『のし上がるには猛烈に働け!』ってのは多分ホントですが、その身も蓋も無い理由を知る人はどれくらいいるのだろう。

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 ということで、タイトルを回収しときましょう。

 

のし上がるためには、よほど上の方々に気に入られるスキルがあるとかじゃない限り、やはり猛烈に働く必要が多分ある。

 

理由は、自分が人から振られた「すべきこと」を処理した後で、数値を出すために必要な仕事をしようと思うと、勝手にそうなるからである。

 

前者をおろそかにすれば【定性評価】が悪くなり、結果不必要に嫌われることで妨げになっちゃうし、後者をおろそかにしていると、出世させる理由がない

 

サッカーのレギュラーをいち早く取るためには、ボール磨きとか基礎トレといった「すべきこと」をやったうえで、独自に実戦的な練習が必要だろう。同じである。

 

ボール拾いや部室掃除がいくら上手になったって、レギュラーに何かなれやしない。仕事でもこれは多分同じなのだろう。

 

「生意気」とかって形容されながらも後者に時間を投入できる人間は、例え出世できずとも、多分スキルがアップして、どうとでも道が開ける

 

 先人の実例を読んでいても、つくづくそう思わされる。

r25.jp

 

なんか誰を慰めたいのかわからない記事になったが、ある程度かけたので満足だ。では今日はこの辺で。

 

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