毎日コンビニ弁当を食ってるのに、平均300gずつ痩せてきています。これは良いことなのか、どうなのか。中元です。
さて。最近、ひょっとしたら自分の中でターニングポイントになるかもしれない出来事があった。
簡単に言えば、働き方・心構えをかなり強く叱られたのだ。
僕は別に何かしらの【長】ではなく、せいぜい子会社の社長のような立場である。それが本社の人間かのように振る舞うのはおかしい。そういうことを言われた気がする。
実は途中から、怒られたことのショックではなく、その中身へのショックから、あんまり話を聞いてないんだけれど・・。
僕は、出世して立場が上がる前から、その能力があると立証し続けることが、結果自分が望む働き方を得る方法だと信じていた。だから、そうしてきた。
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しかし、それは求められていなかったのだ。ま、当たり前か。
個人の力。心構え。そんなものはどうでもいい。個ではなく組織の一員としてするべきことをしろ。お前が勝手なことをするのは、官を侵すの害だ。
色んなことが頭を回り、今はどちらかと言えば、厭世的な気分である。真面目にやろうが、結果を出そうが、イデオロギーは超えられない。
99の成果を出そうが、1の気に入らないことに勝てない。その真理に気付いた気がして、今はバリバリ必死で仕事をする意味がわからなくなっているところである。
ということで、真面目さが何かを変える要因でないと気付いた今、僕はハッキリと、100点を取りに行くのを止める所存だ。余力を残して家に帰りたい。
仕事は、すぐにぽんぽこ他の人に振りまくりたい。僕じゃないとできない仕事とか、この世にない。昔1週間インフルで休んだ際、よくわかった。
ーこんな風に、真面目一辺倒で張り切り過ぎると、ある日ふとそれを否定されたとき心の底から全てが嫌になるので、それはそれで問題だよねと強く思う。
前職の際も思っていたが、社会に出るまでに【70点で満足するマインド】を培っておかないと、人生詰む。
今日はそんなお話です。
【100点】は異常だと気付くべき。
いきなりヘンなことを言うが、僕は自分が【100点】を取ることにあまり喜びを感じない。また、超難しいテストで100点を取る人にも、実はあまり敬意を感じない。
前者の理由は、「あっ、成長してねぇ」と思うからだ。例えば皆さんが100点を取れそうなテストを想像してほしい。100マス計算でも、何でも。
では、そういう難易度のモノを何十回も繰り返したとして、それに比例して自分の学力は伸びるだろうか?例えば100マス計算を極めれば、群数列も解けるみたいに。
・・・そんなワケ無いだろう。だから僕は、100点を連発できるテストに自分が挑むことをあまり良しとしない。
そして、そのための努力もしない。90点超え始めたら、その分野の学習を止めて次のステップに上がりたいと思う。
そして、後者の理由について。単なる嫉妬と思われるならそれでもいいが、超難しいテストで100点を取る人は、多分気が合わないと感じているためである。
例えばTOEIC。海外で生活をしても、実はそれ専用の勉強をしなければ、取れて600点くらいなのだという。(聴けるけど読めない)
それを990点満点にするために必要な努力。それは血の滲むような・・というより、一見どうでもいい知識でさえも取りこぼさず頭に叩き込む類のものである。
つまり、高い能力はもちろんだが、完璧主義者的な性格も求められるというワケで、根が適当な僕は多分話が合わない。だから別に、敬意は抱かないという話である。
さて。難度はどうあれ、やはり【無条件で100点を信奉】するのは危険だなぁとつくづく思わされる。だって、異常事態なのだから。
しかし、首尾よく「学校」というシステムで活躍してきた場合、そのことに気付けないまま社会に放り出される可能性もある。
そうすると、どうなるか?以下、そのシミュレをしてみよう。
成果は満点の数に非ず。
業種によるが、仕事とは一口に括れないことが大半だ。例えば【映画】などの作品がわかり易い。
役者。監督。脚本家。そういう日が当たるところの人のみならず、音声、衣装、渉外、広報、機材管理・搬送、エキストラなど、色んな人の尽力で映像が作られる。
はっきり言ってしまうが、100点を取ろうと時間と労力を割き続けることは、全体のフローに渋滞を生むことに他ならないことが大半だ。
じゃがいもの皮を100点満点で剥こうと頑張っている間、その調理担当の人間は絶対にイラついている。自分の仕事ができないからだ。
おまけに、芽ならさておきじゃがいもの皮を完璧に取り去っても、そこまで付加価値は生まれない。掛けた時間と労力はドブに消えたも同然である。
もちろん作業の段階や性質によっては、時間と労力を掛けて取り組んだ方が、多くの価値が生まれることもある。
ただ、特に【誰でもできるレベル】の作業に、それは存在しないと考えた方が良い。成果とは別に、満点レベルのクオリティを出して初めて得られるものじゃない。
正直、100点の作業を1つ提出している間に、他の人が70点の作業を3つ提出していたら、【100点】VS【210点】で完敗なのだ。
―それに、TOEICや漢検ならまだわかるが、満点であっても特別扱いを別にしない資格とかであれば、100点だろうが70点だろうが、全く変わらないともいえる。
やみくもに全てで100点を取ろうとすることは、時間と労力だけじゃなく、実は評価も失い得るってこと、真面目な人ほど認識してほしいと思う。
では、どうすれば【70点】で満足できるか?
では最後に、そのマインドづくりについて。僕も結構これには苦労したが、2つの方法を組み合わせるのがオススメだ。
まず、【制限時間】を設定しよう。これは非常にいい。
パーキンソンの法則が発動すれば、与えられた作業時間に応じて作業量は膨らんでいく。上限が無ければ、それこそ無限に膨らんでいくということだ。
では逆に、上限を設定すれば、そこどまりになるということだ。どのくらいの塩梅に設定するかだが、とりあえずは25分がオススメである。
そこで他の人に渡さなければいけないタスクをちゃっちゃと仕上げて、タイマーが鳴ったら強制的に終わりとしよう。
そして勇気を出して、【70点のものを提出しても別に怒られない】という経験を積んでいくべきだ。僕は2~3回、自分の中で粗があるまま提出したが・・。
当然、一発も怒られなかった。そうして「大丈夫なんだぁ~」という経験値を得ていくことが大事。ここだけは、勇気を出してほしい。頑張れ!!
―もちろん直属が鬼上司とかでその気が引けるなら、ハードルが高すぎるのでオススメしない。そういう時は部活動の仕事や、友達からの頼み事などで経験すればいい。
露骨にクオリティが低いと、当然怒られる。だが7割出来であれば、ぶっちゃけまず怒られない。英検準1級も7割取れれば合格なのだ。何が悪い?
このくらいのふてぶてしさ、身に着けといた方が正解だ。満点取り続けて良い方に振れるなんてのは、アニメのキャラ設定くらいだけじゃねーのかなと、本当に思う。
終わりに。
ということで、特に受験勉強が首尾よくいった完璧主義者に向けて、この話をしたためてみた。
繰り返すが、チームで100点を取ればよくて、個人であれば70点出来で、さっさと次の担当に流していく方が正解だと思う。
勇気を出して、100点レールから降りてやろう。そっちの方が楽しいから。
では今日はこのへんで。