僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

思いはするけど言いはしない、ネガティブと向き合い続ける胸の内を吐き出すブログ。

やりたいことが見つからないなら、まずは周りの人を楽しませてみてはどうだろう?

最近非常に朝が大変な中元です。たまにあるんですよね、起きたい時間から1~2時間勝手に後ろ倒しになっちゃう時期が・・。

 

さて。今日は【やりたいこと難民な方】に向けて、記事を書いてみようかなと。

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特に大学生の頃は、「可能性は無限大!」と言わんばかりに、あらゆる「可能性」を突き付けられることだと思う。

 

僕も、大講義室でのセミナーとか、周りの大人からの言葉とか、本の背表紙から伝わるメッセージとか、色んなものを受信し続けてきた。

 

結果、大学3年の頃だったと思うが、キレイに「やりたいこと難民」になっていたと思う。なんでもできるといわれ続けたがために、逆に何していいかわからない。

 

そういう難民状態を脱するにはどうすればいいか?いっちょ前に大人になり、ある程度の可能性が"消えた"今なら、よくわかる。

 

【周りの人を楽しませること】

 

―どういうことか、以下理由を書いてみます。

 

 

そもそも【やりたいこと難民】になる理由とは?

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やりたいことが見つからない最たる理由は、多すぎる可能性をカットできていないからだと、今なら思う。

 

例えば今なら冷静に、【消防士になっている自分】はあり得ないと頭で考えて切れるし、【外資系企業に勤める自分】も同様に無いなと思える。

 

では、何故当時はこれができず、今はこれができるかというと、ひとえに経験値の差に他ならないという話だ。自分に対する知識の量ともいえる。

 

だから、何が自分に合っていて、何が自分に合わないのかがわからないのだ。

 

そして合わない選択肢も「もったいない」という性根のせいで、人生からなかなか捨てられない。その気持ち、よくわかる。

 

―だからある程度意識してでも色んなことに触れて、この辺の取捨選択をするための知識を得なければならないのだ。

 

・・では、一体何をするのが得策なのか?少し単純化して考えてみよう。

 

最終的に給付金とかもらって暮らすつもりとかじゃない限り、いずれ【働く】ことに向き合う日がやってくる。

 

【働く】とは「傍を楽にすること」が語源と言われるが、つまり自分が持つリソースを使って、社会(最小単位はわたしとあなたなのに注意)に貢献することである。

 

ということは、これを金銭が発生しないところにまで単純化すると、つまり【周りの人を楽しませること】で疑似体験ができると言えそうだ。

 

それを通じて、自分はどういうリソースがあり、どういう方法で人を喜ばすことができて、そして何が不足しており、何を目指すべき道から除外していいか、わかる

 

少なくとも、現時点よりは輪郭がハッキリしてくるはずだ。だから僕はこの方法を提案したい。

 

だが、やはりなかなか、この時点では何が言いたいのか不明瞭だと思う。そこで次項では、僕自身の体験を一例として、ずらずらと紹介したいと思う。

 

どうやって楽しいことを企画するか?

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思えば、僕は昔から、ちょっと突飛な企画を作るのが好きだった。

 

例えばルーツは高1の頃。友達が誕生日を迎えたのにかこつけて、思い出の地を自転車で巡るというツアーを企画したのだ。

 

その時はネットもある程度普及していたので、例えばどういうルートを通れば、一番多くの場所を巡れるかとかも、無料で出来た。

 

最後はどこで誕生日プレゼントを渡したら面白いかも考えて、夕暮れ時、昔よく遊んだ公園で渡したら面白そうと考えて、そうした。ちなみに友達は野郎である。

 

ー別の例だと、皆でキャンプをするのも好きだし、友達を釣りに連れて行ったことも一度や二度じゃ全く済まない。

 

あとはここ1年ちょっとやってないが、自宅で飲み会を開いて、皆が引くレベルの料理を作るのも好きなので、そういった価値観が自分にはあるとわかる。

 

・・ということまで書くと、色々と見えてくる。自分が人を楽しませる際に、どういう考え方をして、どういう武器を使うのかという傾向だ。

 

基本、考え方は千差万別。【俺も楽しみたい】【みんなが楽しんでくれたらそれでいい】【私が一番楽しみたいかも】という目的からして、結構個性が出る。

 

ここを深堀すると、自分が何で充足感を得るかがわかる。計画が報われることそのものなら、個人の力量がものをいう世界に向いているかもしれない。

 

周りの人が楽しそうにしている様子そのものが好きなら、それがダイレクトに見られる仕事を選ぶと面白いかもしれない。

 

得られるヒントはかなり多くて大きいのだ。

 

そして武器については、必ずと言っていいほど【好き】か【得意】から出てくるものである。

 

例えば僕はアウトドアなことが好きなので、そちらの知見はちょっとある。だから、求められた要望をアウトドアな路線から探すことが多い。

 

ただ一方、僕はチーズとトマトが大嫌いなので、友達を飯を食いに行くと言われたときにイタリア料理店が候補に挙がることは、まず無い。

 

こんな風に、自分が無意識に避ける手段は、仕事にしても武器にならないし、なるまでの努力を多分することがない分野だというヒントになる。

 

本気で何をしたらいいか全くわからない状態なら、やはり「周りの人を楽しませる」ってのも立派なファーストアクションと思うんだよねー。どないでしょう。

 

終わりに。

 

僕は今、塾の講師なのだが、それはどこにルーツがあるのか。実をいうと出会いはたまたまなのだが、仕事の性質を考えると、納得することはある。

 

僕は自己成長と他者成長(或いは他者貢献)がセットになったことへ強い喜びや満足を感じるのだ。どういうことか?

 

勉強を教えて、まして成績を伸ばそうと思ったら、こちらは生徒の3倍は理解していないといけないどころか、教え方まである程度考えておかねばならない。

 

こうすると、頭への負担は相当でかい。知っているはずのことを【説明】しようとすると、難易度は途端にハネ上がるのだ。

 

こんなことを続けていると不思議なことが起こる。中学生に英語を教えて1年経った頃、僕のセンター試験の点が20点くらい伸びていることに気付いたのだ。

 

これに気付いた際、ハッキリと「よっしゃー!」という感覚を抱いたのだ。僕は一石二鳥が大好きらしい。

 

結果、生徒に勉強を教えつつも、自分もちゃっかり資格を取ったりして、皆幸せだよね、と。

 

思えば友人と釣りやキャンプをしてくれと依頼された際も、あえて一度も行ったことが無い釣り堀やキャンプ地を選ぶようにしている。

 

それはきっと、自分も経験値という形でペイされたいからという思いによるものだと、今なら納得する。

 

てなわけで、今日の提案は至極シンプル。

 

やりたいことが見つからないなら、まずは周りの人を楽しませてみてはどうだろう?

 

では今日はこの辺で。

 

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