僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

【強めのネガティブ】を言葉にして遊んでみたら、むっちゃ心が落ち着いた件について。

身体がヴァカみたいに重たい中元です。昨日ヴァカみたいにタマネギを煮込み倒したスープを飲んだからですかね・・。(たまねぎ中サイズ丸ごと1個くらい)

 

さて。そうやって体調がBADだと、メンタルも勝手にBAD側に振れていく。今日も己の内側のネガティブさんに絡まれて大変だった

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きっかけは軽いクレームなんですよねー。一応秒速で謝罪して事なきは得たと思うのだが、後の感情の処理が大変で、大変で。

 

仕方ないので、結構な時間を費やし、徹底して言語化することに決めた。

 

するとやはり、感情をきちんと言葉にする訓練をすれば、心がすぅっと落ち着くのがわかる。下手なサプリや謎の治療法よりよっぽどマシだ。

 

てなわけで、誰に見せるでもない文字の羅列ではあるのだが、参考になるところがあるかもねというワケで、記事にして公開しようと思う。

 

まぁ、「こいつ病的にネガティブやん」というのがよくわかる脳内会議なので、エンタメとしてもどうぞ。では以下、続き。

 

 

イッツ★脳内独り言。

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僕が代打として充てた人間が、顧客から【いまいちでした】という評価を受けた。ちなみにその人間は駆け出しなのもあり、無理をお願いしたのは僕なので、伝えていない。

 

しかし不思議なもので、なぜかすごく僕自身が厭世的な気分というか、とりあえず【良い気分の対極】に心が囚われている感覚がある。どうしてかはわからない。

 

今このとき胸の内に立ち込めているモノを適切に表現する言葉は何なのか、結構考えてみると難しい。こういう時は、広い方から絞っていくのに限る。

 

まず喜怒哀楽で考えていくと、喜びと楽しさはあり得ない。怒りもまた違うので、恐らく【哀】のどこかに答えがあるという具合なのだろう。

 

ということで、僕はどんなふうに【哀】なのかを、掘り下げてみる。

hyogen.info

 

しかし、ざっくりしすぎていて、絞る作業にまだまだ移れそうにない。だからもう少し絞ってからにしよう。

 

まずこの【哀】は、ハッキリ言って自分自身に向いている。顧客にも、担当した人間にも、実は向いていない。

 

そして、過去に似た感情になったことを浮かべても、例えば誰かの死別等、強く【哀】と結びついているはずの記憶が全く連想されてこないのに気付いた。

 

―となれば、【哀】というカテゴリ分けそのものが微妙なのでは?と思えてきた。どちらかと言えば、「先生に怒られた後の気持ち」に似ている。

 

その路線で考えていくと、恐怖や嫌悪という感情に近いという気がしてきた。だから、今度はこっち路線で言葉を探してみよう。

 

すると、もっと充実したサイトを発見した。著作権的にセーフなのかは知らないが、小説における描写までもが網羅されている

hyogen.info

 

すると、ある一節が非常にしっくりきたことに気付いた。それはこんな感じ。

 

振り捨てようとすればするほど、この懐疑は執拗にとりついてきた。
松本 清張「点と線 (新潮文庫)」に収録 amazon関連カテ誤った考えを払いのける・頭から振り払う

 

松本清張の本を読んだことは全くないのだが、この「振り捨てようとすればするほど」「とりついてきた」という部分が、まさに今のもやもやにそっくりなのだ。

 

では、僕における懐疑って何なのか?これは辞書通りの意味から考察していきたい。

 

[名](スル)物事の意味・価値、また自他の存在や見解などについて疑いをもつこと。「新療法の効果について私は懐疑的だ」「人生を懐疑する」

dictionary.goo.ne.jp

 

―そしてピンときた。僕は今回のやり取りで文字になったこと以上に、背後でネガティブな感情がうごめいていないか、それをきっと恐れているなのだ。

 

例えば、本当は講師ではなく僕を責めたいのでは?塾に対しても否定的な感想を覚えたのでは?実は激怒と表現した方が適切なほど怒っておられるのでは?

 

こういった疑念があるのではと、僕は多分、病的に気にしているのだ。だが、それを確認する手段など、直接「どうなんすか?」と尋ねるしかない。

 

こんなものは誠意ではなく、猜疑を伝えているだけに過ぎない。確認したい、でもできない。僕は単に、不確定なネガティブを想像しておびえているということなのだ。

 

あぁ、スッキリした。では、打つべき手は何なのか、見えてくるじゃないか。

 

距離を取ることだ。実体のない不安・恐怖は、自分が掴めていないというそれだけで、恐れの感情を抱いてしまってるのみに他ならない。

 

確かに、放置したらもっとデカい火事になる案件もあるため、全部が全部無条件に「ムシ、ムシ、ムシ!」ってのも大馬鹿だ。

 

しかし・・・今回のはどうだ?謝罪とフォローは秒速で入れたので、実はこれ以上打てる手(或いは打つ必要がある手)は、マジ無いのだ。

 

正確には、あるにはあるが、今すべきことじゃないってハナシ。菓子折り持って家に行くか?そんなことをこの段階でするヤツとか、殴ってでも止めるだろ?

 

なーんだ。怒られたことがきっかけになったというより、顧客を怒らせてはいけないと病的に気にし過ぎた結果、危機管理センサーが暴走したという話だった。

 

つまり、その実はいつもの僕ってことだ。未知の事象に対応しなければならない、やっぱ怖い!ということではないらしい。

 

逆に、この暴走をちょいと正常値に意識して戻してやれば、それはそれで強みとして活用できるはずだ。

 

「気にしすぎ」という言葉のニュアンスはネガティブ全振りだが、「配慮が行き届く」という言葉は、急にいいイメージを稼げるのと同じである。

 

ということで、ようやっと心が平穏に落ち着いた。文字数で言えば2000字近くになっちゃったけど、これくらい分析すれば健全ラインに帰ってこれそうですよ皆様。

 

ラベリングできない感情に振り回されがちなのであれば、この遊びをやってみてはどないでしょう。では今日はこの辺で。

 

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