そういえば2週間後にも、楽しみにしていたゲームが発売されるじゃないか‥!9月は娯楽に忙しいぞ。中元です。
さて。どうでもいいのだが、この夏は労基に駆け込んだら楽勝で勝てるのではと思うくらい働いた。量も時間もみっちみちのむっちむちである。
そんときは、駆けずり回る僕の周りで暇そうにしている方を心底恨んだものだ。マネージャーの役目を変われとさえ、本気でイラついていたくらいである。
―しかし、サイヤ人じゃないのだが、僕はその死地でこっそり成長をつかんでいたようだ。その成長とは・・・
一人でできることなんてたかが知れている。
そんな当たり前の教えを、身に染みて理解したことである。これがわかってなかったから、お前は死にかけたのだバカと、1か月前の僕を説教したい気分である。
ただ、もうそれは叶わないので、この記事にまとめることでこの葛藤を成仏させてやろうと思う。
今日はそないなお話。
「組織で一番マネジメントがへたくそなのはお前。」
心の底から思っているのだが、今夏一番働いた人間は自分だと思う。
月に150コマの授業、盆以外の休日はゼロ、平均11時間以上の労働・・・。毎日ぼろ雑巾のようになるまで、色んなことをやってきたものだ。
ただし、それは時間や労力を突っ込みまくったという、ただそれだけの意味である。つまり、成果に直結しているとは、どうにも言い難いのだ。
「なぜ俺にだけ仕事が集中するのだ!」と恨み節を吐きながら作業をしたものだ。マネジメントについて呪ったことも数知れず。
だが今ならはっきりと、自信をもって、何なら胸をそびやかせながら言える。
お前(=ぼく)のマネジメントがへたくそすぎるからだ。
改善は認めないと始まらない。だから認める。
他の誰でもない、僕が単に抱え込み過ぎなのだ。僕が単に、自分を過信し過ぎなのだ。ワンマンで成果を出せるほど、僕は有能じゃないのだよ。
その証拠に、あんだけ必死になって働いたのに、それに比例して数字が出たとはマジで言い難い有様であった。勘違いここに極まれり。若さとかでごまかせない恥。
―そのことを悟ってからというもの、僕は自分の働き方はおろか、価値観さえも転換させることに決めた。
そして今のところだが、それが正解だったし、僕に欠けているものだったと強く感じている。項を変えて、今度はその正体を書いてみる。
行き着く先は・・・。
こういう葛藤を抱いて、燃え尽きた状態に至った僕がふと閃いたのは、【人生の勝算】に書かれていた一節だ。
思い出せる限りだと、たしか「とことん個人プレイヤーで駆け抜けたものの、ふと『一人で頑張っても、こんなものか』という境地に至った人」の話だったはず。
僕とその人はアリと巨象くらい違うけど、なんかこの気持ちに似ているな~と、そのときは思ったものだ。
―となれば、その人がその後に至った境地に、僕が次に目指すべき場所のヒントがあるかもしれない。
そう考えて本を読み直すと、その人は【強いチームを作ること】に注力していることが書かれていた。
個ではなく、団体でさらなる高みを目指す、みたいな。そのコミットは尋常じゃなく、持てる全てのスキルを休日返上で伝えてもいる、とのことだった。
―しかし、「じゃあ俺もチームを作る!」という風に、すぐすぐの転換は無理だ。理由は簡単で、僕の会社は多分の例に漏れずヒエラルキー制だから、である。
つまり会社から訓示が出て、立場に据えられて初めてそれが認められる状態なのだ。下手に出世を露骨に狙えば、敵を増やしかねないというあるあるネタ。
そんな状態なので、少し頭を抱えてしまった。この立場のまま、チームを取りまとめる役割を務めるには、一体どうすればいいのか。
同時に思ったことだが、上の方々はもれなく体育会系の出身で、上下関係に非常に厳しい。「お前の意見を採用しよう」という取り立ても期待しづらい。
―こういう風に詰みかけている現状でも、何とかなる端緒はあるのか。自分の置かれている状況を全て考えてみると、ついに一つ、答えが出た。
僕が学ぶべき処世術のヒントは、極論すぎるのだが、恐らく極道社会にある。
「黒も白になる」といった上の命令が絶対といった苛烈な世界は、想像もできないのだが、体育会系とされる風土の究極体だとさえ感じている。
そして、実はそれをまとめた本は何冊か、既に家の本棚に並んでいるのだ!!
初めて買ったときは単に当時「龍が如く」にハマっていたというただそれだけがきっかけだったし、社会人ですらなかったので、教えはほぼ素通りしてしまったのだが・・。
今読み返すと、自分がスポンジになったかの如く、実例をイメージしながら一つ一つを吸収することができる。本当に必要があると、これくらい理解できるのか。
でだ。
一番驚いたのは、圧倒的不利な立場でも、言い回しや根回しなどで、いくらでもやりようはあるという教訓であった。
つまり、腐ったら負けであり、腐らなければ負けじゃないということなのだ。目が覚めるような思いである。
・・・僕はみみっちいプライドを取って、巨象にケンカを売るような考え方をした結果、燃え尽きかけたうえに個人の限界を知ってしまった。
しかし、逆であった。
プライドは普段から表に出しておくのではなく、腹の奥底に据えて、最後の支えにするべきもの。最終目標のためには、些末な恥はかき捨てなのだ。
できることなら30歳になる前に知っておきたかったが、知らないまま40歳とかになるよりはマシだ。そう思っておくことにする。
「みみっちいプライドなんかにこだわるからだ、ばーか」
プライドに死ぬ。
正直、死にざまに価値のあった時代では通じたことかもしれないが、現代では美徳でもなんでもない。死んだら終わり、なのだ。
思ったままを書きなぐったという感じの記事なので、内容は雑然としているけれど、整理整頓すると色々薄らぐ気がするので、このままアップするとしよう。
一度燃え上がるようなギラギラした時期を経験したら、優しい炎に変わること。でなければ、周りも身も亡ぼす。なんか、どっかの本に書いてあったな。
そんなことも少しは感じる。つまり、僕は大人になれたかな、多少は。
では今日はこの辺で。