僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

コミュ障という評価は、「あの考え方」ができる人だってことの裏返し説。 ―尚、コミュ障と言ってくる人はアレ説も同時に―

昼寝から目覚めたら喉が痛かったということはイビキかいてるってことですな。論理的思考っておもろい。中元です。

 

はい、今日この記事もドライブ中に吹き込んで作成しております。今日は【コミュ症】について喋ってみようかなと思います。

 

僕は自他共に認めるコミュ障でして、初対面の人であっても、すぐにばれてしまうぐらい、強く出ちゃってるんですよね。

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さて。皆さんは、このコミュ障という言葉を聞いて、どう思われますかね

 

僕は今でこそあまり気にしないのですが、【コミュニケーション障がい】なんて、自分は何かが欠落した劣等人間なんだ・・・みたいに落ち込む人が多いとも思います。

 

また、「あぁ、俺はもう、就職もすることができない・・・」といった次元にまで落ち込む人もいるってそうなんですよね。まぁ、気持ちはわかります。

 

しかしですね、コミュ障って表現は、実は意味するところが【本当にコミュニケーション能力がマジで欠落している】以外のことの可能性もあるんですよね。

 

要するに、本当はそういうネガティブな含みをもった言葉で表現するべきじゃない個性まで、その言葉で置き換えられているだけということです。

 

どうにもわかりにくいので、今日はそれについてお話ししたいと思います。

 

 

【コミュ障】は環境で変わるモノ。

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コミュ障の定義って、僕はよくわからないんですけども、例えば言葉がたどたどしいとか、冗談が苦手とか、そういうことだと思うんですよね。

 

僕も一時期ほどではありませんが、これらは今でも超苦手なんですよ。気の利いた返しって何なのか、考えても考えてもわかりません。

 

ただ最近はかなり図太くなりまして、「理解できない冗談を振る方も問題あるよね」とか、そういうことを思っちゃうようになったので、僕自身は平気です。

 

ただですね、こういった定義のうち気になるのが、「言葉がたどたどしい」とか「真面目なことしか言わない」といった部分です。

 

思うんですが、これらがイマイチとされるかどうかって、正直TPO次第です。

 

そして少し考えると気付くのですが、コミュ障かどうかって、飲み会や雑談における、砕けたやり取りの中のふるまいのみで判断されてませんかね

 

つまり、コミュ障かどうかは、その人の力量とか能力じゃなく、場面で決まるということです。

 

例えばフェルマーの最終定理っていう本に書いてあった記載に、ヒントとなるものがあります。

 

数学者の方というのは、質問されてから言葉が出るまで結構まごつくというか、即答することはあまりないそうです。

 

その代わり、しばらく経って出てくる言葉は、綺麗に論理立てられた矛盾のない説明だっていう風に書かれていました。

 

これを読んだ後、たまたま本のもとになったドキュメンタリー番組の方も観たところ、確かに5秒ぐらいは沈黙か、モゾモゾ喋るかという反応だったんですよね。

 

ただしその後に出てくる説明は、非常に論理的で流暢で、ただただ見事だと思わされました。

 

さて。このことを踏まえてはっきりと思ったのは、2点あります。まず、ぶっちゃけコミュ障の定義に、当てはまってるよな、ということです。

 

そしてもう1つは、だからといって人間として能力が低いかどうかで言ったら、そんなふざけたことは無いよな、ということです。

 

やはりつくづく思うんですけど、コミュ障っていうのは、ふざけたことや冗談を言えない代わりに、論理的思考がクセづいているっていう可能性もあります。

 

あるいは、自分の中で「相手を傷つけないか」「返答になっているか」「根拠を示せているか」といった自問ができているとも言えますね。

 

全てのことに対して、理由と結論を添えないと落ち着かない。カタいと言われればそれまでですが、論理的な物言いが好きという性格の話であるかもしれない。

 

これがコミュ障の正体の一つだとすると、ちょっと納得です。こういう話し方はどうしても話が長くなりますし、くだけた雑談には不向きなんですよ。

 

しかし、フォーマルな場や、会議等の雑談では大事な思考法だし話し方であるともいえます。コミュ障とされる人は全場面で劣等とか、暴論にもほどがありますよね。

 

ちなみに、雑談の場で輝ける人っていうのはちやほやされがちですが、そういう方々にもある種のリスクはあります。

 

そのノリで成功体験を重ねた結果、そういう空気感ですべてなんとかしようとすると、場面によっては「空気が読めない人」と思われてるかもしれません。

 

雑談の場でコミュ障をディスる人は、雑談以外ではKYかもしれない。まぁこれも暴論ですが、個人的には大外れはしてないよなとも感じています。

 

繰り返しになりますが、くだけた場でいいのに真面目な態度をとっちゃうことをコミュ障と言ってる人が9割だと僕は感じています。

 

もちろん、日頃から挙動不審といった「ザ・コミュ障」という方々もいますが、一場面のやり取りだけ切り取って、人間として下みたいに捉えるのっていかがかな、と。

 

まぁ、僕自身はもう自分がコミュ障だとか言われても気にならないというか、気にしてないと言うか、何なら毒づいていることもあるので、平気なんですけどね。

 

コミュ障なら身に付けたい考え方と戦略。

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コミュ障とされる僕らは、その場のノリとかテンションで盛り上げる方法は嫌いというか、苦手です。

 

しかし、話すことが不得意でも、相手を盛り上げることは多分可能です。だから最近は、「相手を気分良くする」ことに特化し、勉強と実践をしていますね。

 

例えば、本当にくだけた場で、単にダラダラ時間を引っ張りたいだけなんだなと理解したら、僕は基本、お酒飲みながら質問しまくります

 

「しょーもねー」と思ったらスルーして、「あ、おもしれー」と思ったら食いついて。こっそり押し引きしながら、ほぼ自分のことは喋らないながらも遊んでますね。

 

コミュ障という自覚がもしあるのであれば、トークスキルを磨くよりも、基本そんなこと言ってくる人は話したがりばっかりなので、聞いてあげればいいと思います。

 

相手にずっとしゃべらせる。そのためのテクニックなりスキルなりってのは、心理学の分野とかでかなり体系化されているので、学習はし易いと思います。

 

本なんてそこら中に並んでいるので、手っ取り早くそれを学びましょう。気持ちよくしゃべっていただいて、満足して帰ってもらえば、それでいいんですよ。

 

【自分の素性をほぼ明かさずに、相手の素性を明かさせまくるゲーム】みたいに捉えても面白いかもしれませんね。

 

「俺は名前しか喋ってないのに、相手は職業・大学・恋愛観まで教えてくれた!」という感覚を得られたら勝ち。こういう楽しみを作るのは、大いにありだと思います。

 

終わりに。

 

やはり、何事も考え次第です。コミュ障≒落伍者ではありません。コミュ障wと評される僕たちは、もしかしたら筋道立てた説明が得意という可能性もあります。

 

同時に、そういうことを言ってマウントを取りまくる方ってのは、場面を変えればただのKYって可能性もあります。

 

まぁ、要するにどっちもどっちってことなので、むやみに卑下も誇示も要らないよってことを、まとめとして書いとこうと思います。

 

では今日はこの辺で。

 

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