僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

10年ぶりに家族(犬)の【死】と直面したので、心の変化を日記にしてみる。 ―どん底から普段通りまでの軌跡―

思い立ったが吉日。謎のスイッチが入ったので、今日からまたしばらく減量に入ります。3㎏くらい落とす予定。中元です。

 

はい。別ブログでは感情のままに長文を書いたのだが、実家の犬が享年15歳にて、虹の橋を渡ったそうだ。

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―こういう家族レベルの死というのは、10年前に祖父が他界したとき以来であり、やはり心に激烈なダメージが入る出来事に違いない。

 

しかし結局、こういう離別・死別の辛さを癒すのは、サプリでも自己暗示でもなく、【時の流れ】なのだという。

 

だから、今のこの状態をむしろ好機と捉えて、どういう風に気持ちは変わっていくのか、日記として記録してみようと思う。

 

何か辛いことが起きた方には、回復までの目安になるかもしれない。では以下、その変遷である。

 

 

1日目。

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訃報があった初日は、本当に情緒が不安定だった。

 

連絡があってしばらくは、何かがぽっかりと抜けた気持ちになり、マジで何もする気が起きず、ただただ「永眠した」という事実を眺めているという感覚だった。

 

―しかし、何かが崩れたのは夜になってから。事実を受け止めようと、ふと思い出を1つ1つ頭に浮かべるたび、気づけば涙があふれて止まらなくなってしまったのだ。

 

5分くらい、ひたすらに泣いた。嗚咽が止まらないとかではないが、静かにぽろぽろと、泣き続けてしまった。

 

そして酒を飲み過ぎて、翌日はグロッキーであった。単に気分が晴れていないのか、酒のせいかわからないが、やはりこう、だるい。

 

1日ではさすがに治らないようである。

 

2日目。

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今日のメンタルの様子は、まるで何にも集中できないという表現がぴったりくる。本当に何にも、考えられないというか、集中できないのだ。

 

元気だった頃の犬の姿を思い出して大号泣といったヤバ過ぎるメンタルにはなっていないのだが、心臓あたりに鉛を埋め込まれたような違和感が、ずっと続いている

 

食欲は、やっぱりいつもよりは、無い。そして、心に何も浮かんでこない。あれをしよう、これをしよう、という前向きな何かは、それこそ微塵もないほどだ。

 

ずっと楽しみにしていたゲームも、昨日は起動する気すらわかずに止めてしまった。今日もそんなに、手を出そうという気にならない。

 

この辺は無理矢理「やる!!」というものでもない。おとなしく内面と向き合って、時間が癒してくれるのを待つしかないと、少し諦めている。

 

仕事はかなり無理して身体を動かし、終わらせた。そして気づいたが、昔適応障害になったときと、驚くほど気分が似ている。ならばすぐに戻りはすまい。

 

この時も、できることだけやって、できないこと、したくないことからは目を逸らしていたら、いつの間にか復活していたという具合だ。

 

流石に2日程度で直るほど、あいつの存在は軽くない。なんか、安心した。だからこの胸につかえた何かとは、自然に消えてくれるまでじっくり付き合うことにする。

 

3日目。

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今日は何が原因かよくわからないが、寝つきが猛烈に悪かった。起きてからも、無気力というか、胸に何かがつかえている感覚は、相変わらず残っていた。

 

昨日は夜に、一気にメンタルの調子が悪くなった。気づけば「ドウェイン・ジョンソン うつ病」みたいに、うつ病体験談をずっと読み漁っていた自分にゾッとしたほどだ。

 

やはりこの感覚、覚えている。適応障害になって何にもできなくなったあの頃。それと全く同じ無気力さを覚えている。

 

何も考えられないというのではなく、何も心に浮かんでこないといった方が正確かなぁ。can'tに含まれる意思すら、今の僕には欠如している。

 

流石に、涙はもう出ない。 会いたいという思いも、今は出てこない。

 

体験としても思うが、こういう抑うつ状態のときは、ただ現状が過ぎ去るのを待つのが一番だと思う。

 

無理せず、ただひたすらに、するべきことだけしながら待つ。

 

でもま、日を追うごとに少しずつ何かが元に戻ってる気もするから、見通しは悪くないんじゃなかろうかなぁ。

 

4日目。

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相変わらず何をするにも身体が重いのだが、少し違う思考が頭の中に湧いてきた。

 

「しんどいなぁ」「でもボチボチ、悲しんでる俺に酔うのも飽きてきたなぁ」というものだ。後者は外野に言われたらイラつくが、今回は内から湧いてきたので不思議。

 

しかし、だからと言って元気いっぱいの自分がやっていることを無理やりやろうとしても、強烈な抵抗があり、身体が動ききらない。

 

心と身体、どちらかはわからないが、まだ回復が追い付いていないようだ。

 

―とはいえ、このモードから抜け出せる日は、思ったより近いのかもしれない。今日より明日、明日より明後日、元気だったらそれでいいや。

 

5日目。

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―少しずつもとに戻ってきた実感がある。ひとつひとつのエネルギー消費量はまだとても多いのだが、訃報の前に出来ていたことが、ほとんどできるようになってきた。

 

与えられた娯楽(例えばゲームとか)もしっかり楽しめているし、胸の辺りにあった重苦しい感じも、意識しないとわからないくらい薄まってきている。

 

―しかし、今でも、【クリエイティブ】なことがなかなかできずにまいっている。以前は色々やれたのだが、今は短めの記事を書くので精一杯という具合。

 

ただ、実はゲームが面白すぎて、若干睡眠削るくらいやっちゃってるから、そっちにエネルギー割きすぎって話なのかもしれんすけどね。

 

とはいえ、昨日よりは元気になってきたので、そちらを喜ぼうと思う。てかゲームをエンディングまで進めたら、この辺は復活する気がしてきた・・・。

 

6日目。

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―ここまでくると、すっかり心が訃報の前に戻ったのを感じている。もちろん悲しみはまだあるが、どう頑張っても落涙までいかない。そんな感じ。

 

「ここで娯楽に興じたら、死んだあいつはどう思うかな・・」なんて後ろめたさも無くなってきた。

 

なんなら、「いつまでもしおらしくしててもダメじゃんね」という風に、心が前を向き始めている。

 

・・・そういえば【We are lonely, but not alone】という本に書いてあったが、通夜と葬式、そして四十九日は、実に遺族の心に寄り添った設計なのだという。

 

大抵、人を送り出すときは、超忙しい。それによって悲しみを緩和するためだ。そして四十九日経ってから再び集まり、元の暮らしに戻ったかを確認する。

 

こういう設計を考えても、死を引きずる必要って全く無いのだなと思わされる。確かに、「私が死んだんだから、一生落ちこめ」ってのは、タチの悪すぎる霊だな。

 

最期の様子はまだ聞いてないが、連絡があった時間帯を見る限り、寝ている間に逝ったのだと思う。最高の旅立ちの形じゃないかな、と。

 

もちろんまだバカ騒ぎがしたいというレベルにまではいかないけど、例えば美味しいもん食べたいとか、行きたい場所に行きたいとか、そういう欲は出てきた。

 

僕の場合、そのためには6日必要だったようだ。これはむしろ早い方だろう。筆記開始を毎日行った成果かな?

 

まあ、身体(というより心)を張った観察記。何かお役立ちいただければ嬉しい。では今日はこの辺で。

 

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