僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

ネガティブすぎて人生を浪費した結果、見えるようになった世界を言葉にしたい。

20年以上言語化できなかったトラウマ。正体を掴むと、それはそれは心強い味方であった。

『万願寺唐辛子』という、辛くないと噂の唐辛子が欲しいです。どこに売ってるんすかね。Amazon?中元です。

 

さて。いきなりなのだが、僕は他の人に全く理解されないのに、苦手で苦手でたまらないものがいくつかある(みんなそうか)

 

例えば、ドラマが苦手だ。理由は言語化できないというか、それをずっとしてこなかったので不明。何故か昔からドラマが観れない。例外もあるにはあったが、稀有だ。

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後は多分、僕は人の数倍、胸糞な話が苦手である。いじめ自殺、パワハラ、ヤンキーのドキュメンタリー、残忍な刑罰、その辺。

 

僕はいじめられてた経験が多分ないのだが、ヘンなのに絡まれたり、周りにいじめられている人間がいたりといった経験はある。

 

何故か胸糞な話を見たり聞いたり読んだりすると、その時の嫌な記憶や感情が当時の濃さ以上に強く蘇ってきて、本当に消耗してしまうのだ。難儀な性格である。

 

「あのときのクソみたいな気分は本当にひどかった」「いじりの範疇じゃなかった行動に晒され続けた彼は、今は幸せになったのだろうか」

 

―よせばいいのにわかりもしない自問を繰り返す。延々とかさぶたを剥がし続けるような時間。不毛で、無駄で、そして自傷的である。

 

さて。とりあえず2つほど並べてみたのだが、実はこの自分の性質には、20年以上自覚症状がある。子どもの頃からそうだったので、天性のものかもしれない。

 

そしてふと気付いたのだが、僕はこの自分が苦手で仕方が無いものによく囚われるクセに、その言語化が全くできていないのだ。

 

性嫌悪も適応障害の過去も言葉にできたのに、まるでもう一人の自分が頑なに、心の底にある何かを封印して僕から遠ざけているかのようだ。

 

しかし、これ以上目を反らしていてもいけない気がしている。最近、何日もこの謎のネガティブのせいで、ずっと疲れる時間が発生しているからだ。

 

ということでこの記事において、一体何千字になるかも一切気にせず、20年以上避け続けてきた胸の内を徹底して言葉にしてみようと思う。

 

 

強い闇がずっと立ち込める。なぜだ?

LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶 | SEGA Official Website

きっかけは、好きなゲームタイトルの最新作、そのPVだ。もちろんキャストも豪華でストーリーも絶対面白いと期待しているのだが・・。

 

この作品のテーマ(?)の1つに、【いじめと復讐】がある。だからPV内にも、いじめのシーンが登場する。

 

机を蹴飛ばし、おびえる少女を数人の男女が囲む、周りの生徒は見て見ぬふり・・・。

 

―本当に何故かはわからないのだが、ここ数日、このシーンが強烈な負の感情や思い出とともに、突然脳内にフラッシュバックしては、少なくとも10分程度は残るのだ。

 

トリガーは完全に不明。本当にふと、それが呼び起こされる。今日も、とあるYouTuberのコメントにあった、意味不明な誹謗中傷を見た際に、また起きた。

 

―これはなんだ?僕の心には一体どんな楔が打ち込まれているっていうんだよ?

 

・・やはりまずは、冷静に、核心を突き止める必要がある。今も若干しんどいのだが、この時呼び起こされる感情を、1つ1つラベリングしていくことにする。

 

第一に強く感じるのは、意味不明なのだが、強い罪悪感だ。それか、後悔という言葉で表現できるものに近い、何か。

 

そういったものが心臓の辺りで渦巻く感じがあり、ずしんとその部分に圧し掛かっている。何なら嚥下するのさえ少し困難なくらい、この辺りがこわばっている。

 

他に覚える感情は・・・悲愴もそうだ。涙が出るほどじゃないが、確かに悲しみも痛みも、何故か同時に湧いてくる。

 

罪悪感・後悔・悲愴・・。

 

確実に感じるのはこれらの存在である。怒りは全く感じないので、今度はこれらに関連する記憶を思い起こしていけば、正体に近付けるかもしれない。

 

一体僕は、ここに何を封印しているのか?パンドラの箱を思い切り開け放ち、そして取り出して、ここに書くことで白日の下に晒してやろうと思う。

 

罪悪感・後悔・悲愴の記憶達。

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―ここからは僕としては本当にキツいのだが、もう止めない。【罪悪感・後悔・悲愴】に関連付いた記憶を、エピソードごと書き出す。

 

・・・先に書いておくと、人によってはとんでもないダメージを与えてしまうかもしれないエピソードも入っている。少しでもヤバいと思ったら、目次から飛んでほしい。

 

さて。これら3つの全てを含む、最初の記憶。それは、祖父の死だ。忘れもしない。僕は爺さんに惨いことをしてしまった。

 

―当時僕は8歳だった。長い入院が何を意味するのか、全く分からないくらい、年端も無いガキ。

 

お見舞いも、面倒なことに感じていた。したいゲームも読みたい漫画もあるのに、わざわざ長い時間を掛けて遠い病院に行って、話だけするのは、億劫だ。

 

そう思った僕は、1度お見舞いに行くのを断ってしまった。爺ちゃんは寂しそうだったと、父が教えてくれた。

 

それが最後の機会だとわかっていれば、断ることなど無かったのに。

 

通夜の日、僕は担架に乗った祖父を直視できなかった。机の下に丸まり、泣き叫び、現実を受け止めることができなかった。

 

・・葬儀の日、どういう流れがあったのかはわからないが、棺に入った祖父の顔は少しだけ覚えている。詳述はしないが、覚えているのだ。

 

僕は故人の意思を汲み取るにはあまりにもガキだった。だから最期に、辛い思いをさせたに違いない。死を受け止められなかった己の浅さ、本当に悔いた。

 

―その後も、何人かの死に立ち会い、最後まで見送ることは徹底しているのだが、あの日抱いた後悔は全く和らいでくれない。薄らいでくれない。

 

早く天国に行って、祖父に土下座して詫びたいと、本気で今でも考えている。

 

・・ちなみに、ここに書いた胸の内は、身内の誰にも話していないし、友人の誰にも語っていない話である。初めて言葉にしてみたが、思った以上に罪悪感が強い。

 

―どんどん掘り返そう。【罪悪感・後悔・悲愴】。次にこれを思い出すのは、高校の同級生が受けていた、明らかなイジメである。

 

僕が通っていたのは、受験が存在する公立高校なのだが、いわゆる不良と呼ばれる集団がいた。(本物に比べれば相当にマイルドなんだろうけどさ)

 

僕は別にターゲットになってないのだが、同級生の何人かが露骨に絡まれているのを見たことがある。胸倉をつかまれた場面も数回、ある。

 

この記憶を思い出すと、僕の中に【罪悪感・後悔・悲愴】が湧いてくる。―不思議なことに、実はそのターゲットになった同級生と僕は、ほぼ他人という間柄なのだけど。

 

・・・単に目の前で辛い目に遭っている人間がいると自覚しながら、どうすることもできなかった無力さに、それを覚えているんだろうな。

 

今でもヤンキーよりな方々は苦手なのだが、それは単に絡まれて殴られるのが怖いというより、上記の記憶が蘇ってしまうから、である。

 

この辺は慣れで克服できていくのかもしれないが・・。とりあえず今はいたずらにメンタルを搔き乱すだけなので、手は出さないでおこう。

 

・・・他にも僕の中にこれらを抱く経験はあるだろうか。じっくり考えてみたが、20代に入る頃には、強くそれを抱いた出来事はゼロになっていると気付いた。

 

例えば「善悪の屑」を読んでいるときなんかに、そういった感覚を”思い出す”ことはあったが、新たな出来事にそれらを覚えたことは、マジで無い

 

10数年以上前の過去に起きた出来事。そこであまりにも強く抱いてしまった【罪悪感・後悔・悲愴】。何故これらの記憶は、まるで薄れないのだろうか。

 

―しばらく手を止めて、心理学に関する記事をザッピングしつつ、色んな仮説を考えた。

 

そしてここでふと、同じ類の出来事であっても、【罪悪感・後悔・悲愴】が紐づいていない記憶が存在することに気が付いた

 

例えば、もう一人の祖父の死に思い巡らしても、上記のどれも連想されない。また、本当にたまたまなのだが・・・今朝、実家の犬が虹の橋を渡ったそうだ。

 

しかし今のところ、心は平穏である。何というか、覚悟はできていたし、それを踏まえた上で出来る限りのことは注いだつもりだから、だろうな。

 

なるほど。自分の中でやり残した、何かしらのしこり。これさえなければ、辛い記憶も僕は咀嚼しきれているようである。

 

とはいえ、20数年前に戻って祖父の見舞いに行くことも、10数年前に戻ってイジメを密告することも、もはやできない。

 

罪滅ぼしのために、大怪我を負った友人の見舞いにも、既に末期で意識の無いもう一人の祖父の見舞いにも行き、弱り切った実家の犬を、時間が許す限りなでたりもした。

 

また、辛い目に遭っている人をみたら、力になれることを全力で探している。何人かは複数人の力を借りて、そこから救えたこともある。

 

だが、そうやって過去の記憶から得た教えを無駄にせぬよう頑張っても、過去は過去のまま、全然僕を許してくれない

 

―これはもはや袋小路かもしれない。気付きが得られるまで、この記事を書き進めるのは、一旦止めてみようと思う。

 

「僕にはトラウマが必要なのだ」

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―先述のところで手を止めてから大体1週間して、気づくことがあった。トラウマを自覚しながら、それを許しきれない自分。

 

その仮説として、「僕はそれを必要としているのでは?」というのが浮かんできた。アドラー心理学の【目的論】ってヤツかな、と。

 

一旦この仮説に立って、思い巡らしてみよう。まず、このトラウマの存在によって、僕にどんないいことがあるのか、だ。

 

一番パッと閃くのは、今後二度と同じ思いをせずにすむ、または確率を激減させることができる、という2点かなと。

 

確かに、死ぬ行く人の願いに答えないというトラウマのおかげで、以来僕は同じことに苦しんだ記憶はない。

 

救いに見て見ぬふりをしたというトラウマのおかげで、僕は今この仕事をなんとかできているという側面があるのかもしれない。

 

なるほど。このトラウマは確かに使いどころさえ間違えなければ、こうして僕の糧になっていることは間違いない。

 

では、他にトラウマになっていることと関連は何かあるだろうか。実は心の底で二度と思い出したくない記憶は、あと1つある。

 

それは確か7歳くらいのことと記憶している。

 

詳しい状況は忘れたが、母親と買い物に出かけた僕は、お菓子の棚の方へいき、ポケットに入れて、それを別のところにいた母に取り出して渡したのだ。

 

そして慌てた母に強く怒られた。これは下手すれば万引きという行為。やったことは犯罪と取られるかもしれない。

 

―物心がついたばかりのハズなのに、そのセリフに、自分がやったことに、僕はすごく恐怖した。

 

怖くて怖くて、車に戻ってからも、後部座席に身体を全力で押し込み、周囲の目から隠れていたのを覚えている。店から出てくる店員は、全員自分を探しに来たと思った。

 

今思えば病気に聞こえるが、取り返しのつかないことをしてしまったという感覚は今でも強く思い出せる。例え20年以上前の話でも、そんなのは関係ない。

 

―そして気付いた。このトラウマも、僕には必要なことなのだ。これが教えてくれることは、無知は罪であるということ。だから今でも、情報量が少ない話には躊躇する。

 

これはすなわち、他の人がめんどくさがる下準備とか調査とかに、源泉はどうあれモチベ高く取り組めるということだ。

 

今の勉強グセに結び付く、根深いテーマでもあった。

 

なんかこう、色々とわかってきたぞ。

 

今の僕の人格は、トラウマで出来ている。逆に言えば、トラウマになっていることに従って行動を決めていけば、望ましい結果に辿り着けているとも言える。

 

弱っている人の側にいたいのも、困っている人に痛みを覚えるのも、知らないことを我慢できないのも、よく考えれば全てトラウマで、ある種の強みじゃなかろうか。

 

こう考えれば、トラウマの解釈がまるで変ってくる。僕にとって超絶強い監督役、カウンセラー、いわば指南役、とにかくすべてなのだ。

 

―こうなれば、時折フラッシュバックしてくるあの瞬間の捉え方も変わる。恐らく、気付かねばならない予兆が、どこか近くにあるってことなのだろう。

 

色々順調なときは、確かにトラウマな記憶は一切姿を見せない。見せるときは、大体何かが起きるときか、起きたとき。なるほどなぁ。点と点とがガンガン繋がっていく。

 

・・・ネガティブの底まで下りてみるもんだなぁ。今回もやっぱり、掴めるものがあった。何と嬉しいことだろう。

 

終わりに。

 

世の中の教えにはよく、「考え方を変えろ」とか「解釈を変えろ」というモノがある。これは確かにその通りだが、そのために必要な自問は、思った以上に必要だ。

 

20年以上も同じトラウマでメンタル的にしんどくなる場面が何度もありながら、それと向き合わずに今の今まで来たのだが、今思えば20代頭でやっとくべきだった

 

皆様も、トラウマめいた記憶があるのなら、何か大事なメッセージがそこから発信されていると解釈し、どんどん掘り下げてみるのはどうだろうか

 

僕の場合は、1週間チョイと5000字チョイを使えば、いい感じのものを掘り出せた。徹底して言葉にすれば、大体のことってそんなものかもしれない。

 

では、今日はこの辺で。

 

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