毎日何かを必ず捨てることをルーティンにしているのですが、いよいよ捨てていいのかどうか判断難しい物ばかりになってきて楽しくなってきた中元です。
はい。いきなりなんだという話だが、皆様のチームを率いるリーダーは、リーダーとしての仕事をしているだろうか。
絶対数が多いのか、それとも単に不満の声を同じ人が何度も上げているのかは知らないが、僕としては「仕事をしないリーダー」の比率は30%くらいな気がしている。
正直、そういう人が同僚とか部下とか他部署であれば、被害はまだマシだと思う。(それでもロスの多さは眩暈がするほど大きいが)
だが、そこに直属だったら、なかなかに辛い。僕自身、ここ10年以上、仕事をしないリーダーから、一体何度ボヤ騒ぎをお裾分けされたことか知れない程に、だ。
―しかし結局、人生とは勉強であり、また目の前に登場した人は、そこから自分が何か学ぶ必要があるからそこにいる、というちょっとスピリチュアルな話もある。
となれば、僕がとっとと学びを完了しないことには、こういった被害を延々と受け続けることを意味するという話である。それは、イヤだな。
じゃあもう、一旦ここまでの人生や経験にケリをつけよう。ある種の教えを、書き並べることで。
ということで今から書くのは、僕が「仕事をしないリーダーたち」から、10年以上にわたり色んなことを食らった結果、悟ったり学んだりしたことの全てである。
もしこれによって、皆様の中にも学びや問いが生まれたとき、もう皆様の目の前の仕事をしないリーダーは、その役目を終えたも同然ということになる。
僕としては、そうなってくれる人が一人でも増えてくれることを願って止まない。では以下、本題である。
- 前章:「仕事をしないリーダー」と、「仕事ができないリーダー」の身も蓋もない違い。
- 学び①:チームとして成果が出てさえいれば、内情はどうあれ、リーダーとして評価される。
- 学び②:「手柄」にこだわるべきか否かは、組織図をきちんと見定めてから考えよう。
- 学び③:倍返しは考えることなかれ。4倍くらいめんどくさくなって返ってくるから。
- 学び⑤:「責任は俺が取る!」という言葉は99%ウソです。基本疑いましょう。
- 学び⑥:上詰まり状態なら、転職か独立も視野に入れた方がいい。
- 終わりに。:反面教師の限界は、思ったよりすぐ訪れる。
- おまけ:より詳しくこういう人たちの心理を知りたい人のための推薦図書。
前章:「仕事をしないリーダー」と、「仕事ができないリーダー」の身も蓋もない違い。
まず確認したいのだが、「仕事をしないリーダー」と、「仕事ができないリーダー」は、似て非なるタイプである。まずは後者から説明してみたい。
後者はズケズケと言ってしまえば、マジで能力不足ゆえの評価である。エラーをしまくる選手がスタメンに選ばれないのと全く同じだ。
こちらの人は単に気の毒であり、社内制度の被害者であり、またそれゆえに、周囲の評価も分け隔てなく低めという悲しい状況に置かれていることが多い。
―一方、前者はちょっと厄介な側面を持っていることが多い。だからこそ、単に能力が無いだけの人より、遥かに面倒な存在になっているケースの話をよく耳にする。
もしかしたら、実際は能力が無い側なのかもしれないが、大体はどこか「やればできる」感を出しながら、あえてやらないというのが特徴ではなかろうか。
例えば、会議では堂々と発言する。提案を主張する。部下への命令は決断口調。大きな目標や夢を語る。そして上の人への覚えは極めて目出度い、と。
しかし、部下に対し見せる姿は綺麗に真逆。全く仕事をしない。休憩を堂々と取り、作業をするのは部下ばかり、という風に。
ここまで自分の言動がちぐはぐだと、自己矛盾を起こして猛烈な不快感を抱きそうなものだが、本人はマジで平気だから、振り切ってもう、面白い。
というわけでここから先の話は全て、この類の「仕事をしないリーダー」をモデルケースとして、つらつらと書いていく。
それを前提として、お読みいただければ嬉しい。では改めて、本題へ入ろう。
学び①:チームとして成果が出てさえいれば、内情はどうあれ、リーダーとして評価される。
この項は学びというより、現実がそうなっているから何かしらの手を打ちましょうといいう類の話である。だから、どちらかといえば”紹介”に近い。
例えばリーダーが仕事をしないから、部下が気を利かせてバリバリ働かないと、部署が回らないケースを考えてみる。
この時点で色々、現場から見れば、この人はリーダー失格間違いないだろう。しかしもし、現場の人たちが優秀で、しっかりと成果を出すことができていたら、どうなるか。
それは、リーダーの手腕だし、なんなら組織の成果として、更に上からは扱われる。だから一層、リーダーの地位は安泰となる。なぜなら、成果が出ているのだから。
・・・これについては、いくらこちらが腹を立てても仕方がない、どうしようもない現実の壁というヤツである。
役員クラスの方々からすれば、”成果が出ているのだから”、リーダーを交代する理由が無い。ここは、僕自身全く腑に落ちなかったが、そうなのだから仕方ない。
上司を昇進させれば、一緒に部下も昇進する。組織がある種階層的になっているなら、そうやって取り入るのが処世術。最短距離で肩書を得る方法。と書く本も多い。
―これについては、あなたがペコペコするのを苦に思わない、あるいはそうしてでも成し遂げたい大意があるとか、大企業に勤めているとかなら、そうしても良いと思う。
しかし、中小企業という風に、上が詰まっているとか、社会的な規模のたかが知れているとかいう場合なら、心をすり減らしてまで手柄を差し上げる意味はさほど無い。
「まずは上司の仕事をしよう」「上司の意思を読み取って作業に取り組もう」というのは、そもそもリーダーが仕事をする人だというのが前提のノウハウだと思う。
むやみやたらに高尚な自己啓発のメッセージを鵜呑みにしないよう、現実はちゃんと見定めた方が良い。ここは身に染みて、つくづくそう思う。
学び②:「手柄」にこだわるべきか否かは、組織図をきちんと見定めてから考えよう。
大体去年くらいまで、僕は「手柄」にこだわってきた。特に自分が作った自負のある良い数値を、しれっと持っていかれないように、かなり目を光らせてきたつもりだ。
プライドのせいという側面もあるだろうが、どちらかと言えば、きちんと手柄の帰属先を明確にしておかないと、昇進が全く近付いてこないと考えていたためだ。
だから悪い成果も受け止めつつ、それでも出た数値は堂々と発表してきたつもりだが、最近はそういう小さなフレームでの考え事をすっかり止めてしまった。
理由は、後述するが「成果が態度に負ける組織図」だというのを悟ったからだ。つまり、僕がどれほど頑張ろうと、「これから巻き返します」というセリフには勝てない。
僕が昇ることはつまり、誰かを落とすことに他ならない。降格人事を伴うからこそ、人の動きは硬直化してしまっている。このような場で、手柄にこだわる意味は、何か。
今はもう、手柄はぽいぽいと渡している。それで気分がよくなるなら、もうそれでいいからだ。一方、責任は僕が取るようにしている。その方が話が早いからだ。
「手柄」を明確にしておくことを最終防衛ラインだと説く人は多いが、やはりそれも組織規模によりけりというのは、これもある意味大きな学びだったとつくづく感じる。
学び③:倍返しは考えることなかれ。4倍くらいめんどくさくなって返ってくるから。
「仕事をしない人」へ復讐を仕掛ける人がたまにいる。例えば提出した資料にワザとミスを隠しておき、対応にてんやわんやさせて仕返す、という風に。
しかし、もし自己愛が強い性格が相手であれば、その仕返しは止めた方が良い。恐らく4倍以上のめんどくささで、組織を巻き込んでやり返されるからだ。
思い当たるフシがあると思うが、仕事をしないリーダーは、得てして自己愛が強いという共通点があることが多い。言葉を選ばず言えば、ナルシストである。
そういう人は、”恥”に対して、ものすごく敏感だ。自分が軽んじられていると思えば烈火の如く怒るし、人からその感情を逆撫でされたら、途端に攻撃的にもなる。
仕返しは長期戦に渡り、下手すると陰湿なものにも繋がる。必要な情報を渡さない、誤った指示を出してミスをワザとさせる、等々。
・・逆に言えば、自尊心さえくすぐっておけば上機嫌でいてくれるので、ほどほどにヨイショだけしておいて、でもあまり近寄らないという処世術も存在するわけで。
直接やり返すと言えば聞こえはいいが、それよりも「相手にしない」という遠回しな仕返しの方が、色々とストレスフリーだとは、ちゃんと書き添えておこう。
学び⑤:「責任は俺が取る!」という言葉は99%ウソです。基本疑いましょう。
何度か書いた話だが、やっぱり僕は「責任は俺が取る!」という言葉が嫌いだ。聞くだけで全身が粟立つ。虫唾が走る。アレルギーである。
そしてこういう響きだけカッコイイ言葉の手形を乱発する人は、僕は信用しない。理由は簡単で、所詮ただの見栄であり、この通りにする人はほぼいないからである。
実際に問題が起きたとしたら、例えば「現場の人間が対応した方が良い」という謎の正論を振りかざし、現場の人を対応に行かせる、という風に。
しかも不思議なもので、問題が解決したという報告を受けたら、更に上の立場の人にそのまま連絡を流すということさえやる人もしばしばだ。
聞いた人からすれば、その人が解決したんだろうなと、特に疑問も持たずに思うことだろう。横取り以外の何物でもない。
僕自身も、似たようなケースを食らったことはある。だからこそぶっちゃけ、わだかまりのようなものを腹の底に抱えている感覚は、まだ持っている。
責任は俺が取るなんて堂々と言える人は、まず責任を取らない。
これは本当に良い学びだった。ただの皮肉だが、本当にそう思っている。
学び⑥:上詰まり状態なら、転職か独立も視野に入れた方がいい。
大体丁度1年くらい前から、僕は【独立】しないとダメだと思うようになっている。その話は何度も書いたし、今もその炎は全く消えていない。
そのきっかけは、これまた何度も書いている気がするが、「成果が態度に負けたから」である。その経緯について、かなりぼかしながら書いてみよう。
直属の上司は、どれだけ好意的に考えても「仕事をしない人」だと、実は社内で認知されている。そんな方が、去年の今頃、結構なことを立て続けにやらかした。
元々業務態度について釘を刺されることなどしょっちゅうであり、その都度僕を巻き込んで何かしようとはするが、いつの間にかほっぽりだすというのが続いていた。
そこへきて、不始末の連続。結構社内では「交代か?」という話が盛んになり、僕にもそれとなく「心の準備を・・」という話が来ていた。
というのも実は僕が預かっている体になっている部署の数値は良かったというのが大きい。クレームを食らいながらも我武者羅に頑張った成果が報われたのかな。
―と思っていたのだが。
「申し訳ありませんでした!今から心を入れ替えて頑張ります!」みたいな宣言を会議でブチかまし、それからその人が猛烈に仕事をし始めたのだ。
その様子に、気付けば僕の昇進の話も有耶無耶になり、そして完全に立ち消えた。尚、その猛烈に働くモードは、1ヶ月も持たずに鎮火したのだが・・。
このとき悟った。上が詰まっているとき、あるいは成果が態度に負ける環境にあるときは、歯を食いしばって耐え続けるなんてのは愚策だ、と。
元々小さい界隈でもあるため、転職したところで色んなことが振出しに戻るだけ。ならばいっそ、独立した方がいい。そういうのが契機となっている。
逃げずに立ち向かうことはこと日本社会における美徳になっているが、それもやはりTPO。今回は逃げずに立ち向かうだけ徒労なケースだと思う。
単に仕事をしないリーダーがそこにいるだけならまだしも、逃げ場までもがあらゆる方向に無いのなら、自分の大切な時間を無駄にする前に逃げちゃうのも一手だ。
これもまた、一つの大きな学びである。
終わりに。:反面教師の限界は、思ったよりすぐ訪れる。
ということで、あっという間に終わりの項に入ってしまった。ここに至ってから本当に何度も自問自答した。「他に学んだことは、本当にないか?」と。
もちろん仕事のやり方とかそういう有益なことも習ったが、それは別に仕事をしないリーダーに限定した話ではないので、思い切って割愛した。
「その人が仕事をしないからこそ、僕が学べたことはなにか?」という目線にシビアにこだわった結果、上記の学び以外は、本当に出てこなかった。これが全て、か。
尚、こういう悲しい目に遭う人を減らすためには、例えばゆくゆくは自己愛が強い人を要職に就けないための施策やシステムを作ることも必要になってくる。
しかしそれは、どうにもかなり先の未来である。だからここに書くのは止めておいた。むしろ他に面白い学びを皆様が得ていたら、どこかでぜひとも教えてほしい。
―改めて、反面教師から学ぶ限界は、本当にあっさりやってくるんだなというのがよくわかった。
「こうはなりたくない」という動機からは、そこまで吸収することは無いのだ。スルーの重要性についてもよくわかった。
ということで、僕の10年分の経験を5000字に凝縮した記事、今日はこの辺で。
おまけ:より詳しくこういう人たちの心理を知りたい人のための推薦図書。
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