僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

2023年の目標。それは、【”今”このときに集中できるようになること】である。

いきなりだが、この記事は当初、「【不満】を受け流す、とてもシンプルで建設的な方法。」というタイトルで書いていたというどうでもいい裏話がある。

 

それを書き進めるうちに、後半の内容でふと、”今年の目標”にしっくりくることを閃いた。だから急遽、方向転換をしたわけで。

 

ただ完全に消すのはもったいないので、そのままうまいこと使い回して投稿したいと思う。前半後半でなんかちぐはぐなのは、そういうことなのでご了承頂きたし。

 

では以下、事前に書いていた一部分である。

 

2022年前半の記事を読み返すと、あの頃の自分は結構荒れていたよなと、懐かしさと同時に込み上げるものがある。

 

自分で自分のケツを拭くために続けた努力や出した成果が完全にスルーされ、不満だらけの体制が維持されることが決まったのが、2022年の春のことだ。

 

なぜ現状は変わらないのか?なぜ人は仕事をしないのか?なぜ僕はリーダーになれないのか?納得する理由が欲しくて、不満を滾らせながら、色々なことを調べた。

 

結果、自己愛が強い人の思考回路には詳しくなれたし、サイコパス性がリーダー昇進に寄与する部分のメカニズムも掴めた。僕が昇れない身も蓋も無い理由も、わかった。

 

だから独立を誓い、不満をエネルギーに色んな準備をしていたのだが・・・何度か書いたが、肩透かしを食らうような出来事があり、今は不満があまり心に浮かんでこない。

 

つまり、あれだけ数ヶ月も持続した病的なイライラが、気付けばすっかり消えているのだ。もちろんムッとすることくらいはあるが、やはりどれも、持続しない。

 

ぶっちゃけて言うが、あの日感じていた不満そのものは、心の底にまだある。正確には、それを思い出す際に、怒りの感情がくっついてこなくなったというのが正しい。

 

いつから僕は、沸騰せんばかりの【不満】を、ここまでストレスフリーに受け流せるようになったのだろうか。自衛のために、何が進化したというのだろう。

 

そうやって内面を観察していると、僕が無意識下で、【不満】の解釈と使い方を、今までとは自然に変えていることに気が付いた。これは大きな発見だ。

 

ということで今日は、僕の脳内で起きていることを、なるだけ言葉にしながら書き殴っておこうと思う。

 

 

【不満】を転じて健全な欲にすべし。

 

不満そのものは、それをぶちまけたり抱いたりするのは自然だが、同時に愚かなことであると、多くの人の言葉で何度も読んできた。

 

例えば不満を言葉にして吐き出すという意味合いの【愚痴】という言葉があるが、これはそもそも仏教用語らしい。

 

分解すると、【愚】も【痴】も「おろか」という意味であり、つまり発された人ではなく、発した人を戒めているというメタが、そこに感じられる。

 

では、どうすればいいのか。その問いを胸に、2022年頭で色々と調べたり読んだり考えたりした結果、普通にして大切な結論にたどり着いた。

 

【不満】として込み上げてきた感情を、【愚痴】以外の形に昇華して活用することこそが、不満のネガティブな部分を受け流し、建設的に活用する術なのだ。

 

お釈迦様の言葉の中にも、「自分が悟りを得る一助として、健全な欲を持て」といった箇所がある。ここで言う健全な欲とは、不満を昇華した形ではないか。

 

例えば、美男美女に生まれなかった自分に【不満】を言って、自分に対し、他者に対し【愚痴】をぶちまけると、本当に愚かな痴れ者になってしまう。

 

それよりも、「では他にどの部分で戦えるだろう?」「ぶっちゃけ後天的な努力で補える部分ってどこまであるかな?」という風に自問自答するのがまだマシだ。

 

余談かつ突拍子もない例えだが、僕の同級生でイケメン枠・マドンナ枠だった人は、押しなべてもう全員結婚している。つまり、恋愛市場に残っていないのだ。

 

残っているそういった枠だった人は、定職についていないとか、極端にハゲたとか太ったとか性格がトゲトゲしくなったとか、そういう悲しい事情が大体潜んでいる。

 

ひろゆき氏も配信で言っていたが、現状維持を10年継続すれば、見た目だけでモテながらも努力をしなかった人たちが落っこちてくるから、相対的な順位が上がるのだ。

 

そしてDaigo氏が切り抜きで語っていたことだが、例えば「男は30代頭が実はモテのピークであり、30代後半からは緩やかに落ちていく」そうだ。

 

その一例か、年始に会った友達に、6個下の彼女ができていた。彼女さんがそいつを選んだ理由は、なんと「趣味が同じで定職についているから」というものであったのだ。

 

僕自身モテたいという欲は無いのだが、若い頃に不貞腐れることって不毛だよなと改めて気が付ける、身も蓋も無い実例だと思う。

 

【不満】を【不満】としてぶちまけるのではなく、健全な欲に切り替えて自分を磨くことに回す。嘲笑されても、健全な欲に転化して、ガソリンを追加していくイメージだ。

 

示唆に富む、面白い教えだと感じている。人生はやはり、長期戦なのだ。

 

【不満】に囚われなくなるための、具体的方法について。―そしてそこからの、2023年の目標。

 

今でも覚えているが、高校生の頃、僕が抱える悩みの答えが知りたくて、人生で初めて自己啓発本を購入した。それが「あくせくするな、ゆっくり生きよう」である。

 

当時は言わんとすることがよく理解できず、とりあえず1周読んだのは読んだが、そこから13年以上、再読することなく、捨てもせず、放置してしまっていた。

 

そんな本を、本当に何の気なしに最近手に取って読み直しているのだが、僕が最近大事にしている考え方が、ほぼ全てここで指摘されており、とても驚いた

 

考え方が感情を生み、その感情に自分をジャックされると、不幸が始まる。そして不幸を生み出す思考は、大抵過去や未来への不安が作り出すもの

 

心が「今ここ」に無いとき、自分にも他者にも厳しくなる。そして、心が苦しくなる。息も詰まる。だから、あくせくするな、ゆっくり生きよう、と。

 

ずいぶん遠回りをしたが、当時の自分が全く拾えなかった考え方や教えを、今はどんどん腑に落とすことができる。その大切さも、よくわかる。

 

過去や未来を考えると、分析的な思考が始まり、不安という感情を作り出し、果ては苛立ちや悲しみさえも生まれてくる。そして、ありのままの「今」を見失う。

 

流動的に今を見つめる。過去のことを思い悩まない。未来のことを悲観しない。心を都度、今ここに戻す。どれもこれも、今の自分にしみこんでくる。

 

「今このとき」に集中できるようになれば、不満に囚われることは確実に減る方丈記に書かれている無常観こそ、目指すべき境地なのだと今は独り言ちている。

 

―では、どうすればそれができるようになるのだろうか。

 

もちろん今も修行中の身だが、少なくとも高校生の頃よりは、格段に上手になってきている実感はある。だから手前味噌だけど、具体的な方法を書いてみる。

 

心を今ここに戻す強力な武器は、「観察」と「イメージ」だ。僕は、自分が何かしらの思考に囚われていると自覚したときは、この2つの考え方で最近は何とかしている。

 

「観察」とは読んで字のごとし、自分が抱えている感情の分析だ。その際同時に、自問することも結構多い。

 

苛立っているとしたら、何に?過去の苛立ちと比べたら、何点くらい?もっと解像度は高まらないか?この感情を活かす方法は無いか?といった風に。

 

本来は「ただ眺める」というのが正しい向き合い方らしいのだが、僕はまだそこに至れておらず、一度こういう自問を挟まないとスムーズに行かない。

 

いずれはそういう助走なしで、すっと「眺める」モードに入りたいものである。

 

もう一つの「イメージ」とは、頭の中で起きていることを、疑似的な場面に置き換えるというものである。(ピクサーの本でも似たやり方は紹介されていた)

 

例えば、いきなり過去の嫌な記憶がパッと頭に浮かんだとき、僕は川の流れを頭に浮かべるようにしている。

 

そしてその嫌な記憶は、いわば撥ねた水滴であり、あるいは一瞬生じた渦のようなものであると考える。そんなイメージを脳内で眺めていると、気持ちは割とすぐ凪ぐ

 

あるいは、目先の仕事、過去のやり残した作業、そして未来の目標をごちゃごちゃにして少しテンパっている自分に気付いた時は、よく宇宙を想像している。

 

夜空を見れば、星が大量にあるように見える。視野いっぱいに、びっちりと。しかしその実際は、太平洋にスイカ3つ程度の密度しか、実際にはないらしいのだ。

pgr.hatenablog.com

 

単に宇宙がとてつもなく巨大で奥行きがあるからこそ、スッカスカの空間に浮かぶ星の光が重なって、大量に瞬いているように見える。それだけなのだ。

 

仕事やタスクに関しても似ていると感じており、すぐにしなければならない作業が大量に並んでいると錯覚しがちだが、本当に今すぐすべきことは、そもそも少ないのだ。

 

抱えている作業を書き出して、客観的に並べていく。そうすると、本当にすべきことはなんなのか、そもそもそれがあるのかが、見えてくる。

 

―ということで、自分の内面を【観察】し、それに近い自然を【イメージ】することで、僕はだいぶ「今ここ」に帰ってくる速度を上げることができた

 

そして2023年は、今以上にその速度と精度を高めていくのが目標だ。過去も未来も存在しない。そう捉えて、今しか見ない。目先の作業1つのみに集中するのだ。

 

後はその考え方と、「長期の目標や夢」に、どう折り合いをつけるかが課題だと思っている。実は相反するようだが、これらは普通に折衷できるようだ。(練習が要るが)

 

まだまだ課題は自分の前にある。だが僕は、目先の1つしか見る気はない。今を生きたいからだ。考えるのはまた今度、である。

 

―ということで最後は若干尻切れトンボになったけど、何か役に立つことが書けていたら嬉しい。では今日はこの辺で。

 

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