同世代の人は大体フォローしている異色のYouTuberに、「ぐんぴぃ」という人がいる。(僕自身は当時高3の女子に教えてもらって以来、ほぼ毎日観るようになった)
この人自身はすごくユーモアと闇のある面白い人で、実を言うと傍目には、普通に女の人とも話せているように見える。ただ、女性側の意見は、時に優しくも辛らつだ。
「お話してても、どこか壁を感じるというか。なんか紳士過ぎるなぁ、って。」「なんだろう、こうしてても常に、どこかマホカンタを張られている感じ」
・・・・・・これは、ねぇ・・・・。なんというか、僕らは異性に”言われない”だけで、きっと”思われている”のだろうと、自分でも分かってはいる何かだと捉えている。
無意識に異性との間に、透明かつ強固なバリアを形成する感じ。僕らは生まれながらに遺伝子に「オートマホカンタ」なんてスキルを埋め込まれているんじゃなかろうか。
そんな「マホカンタ」状態だが、このぐんぴぃ氏の動画をほとんど毎日視聴していく内に、なんか言語化できそうな手応えを掴めてきた。
まぁ、それが分かったからと言って、すぐに具体的なアクションに移せる類のものではないのだけれど・・・。
ただ我ながら、なかなか面白い話になったと思うので、衝動的に記事にしてみようと思った。では以下、本題である。
※マホカンタとは、ドラゴンクエストシリーズに登場する、発動中は敵からの魔法攻撃を全て跳ね返す魔法である。透明な膜のようなエフェクトを、対象者の周りに発言させるのが特徴。
異性にゼロリスクを求めると、マホカンタになる。

僕がぐんぴぃ氏の動画を観ていて一つ、笑いを通り越して魂を強く振るわされたシーンがある。それは以下の動画にあるのだが、文字に起こすと今でも心が揺れる。
誰かがどこかで文字起こししているかと思ったが、見つけられなかったので、頑張って起こしてみた。
流れとしては、「異性とどうすれば仲良くなれるか」と問いを考えるくだりで、ぐんぴぃ氏が「話しかけたいけど口説きに思われるならやめとこう」と返したところからだ。
それに対し女性側から「自意識過剰では?」と疑義を呈され、「もっと素直に話しかけてもいいんじゃない?」と重ねられたところで、何かが爆発したようだった。
でも俺はキモがられるんじゃないかという、それは「キモがられるんじゃないか」という発想が、人生がたまたま顔が幸運にうまくできているからこそ、
そんなきらい一回も考えずに済んだから、幸運だから言えているだけであって、俺は自分が何をしてもキモがられる人生なわけで、
そんなキモがられるのを知らない人間が、自意識過剰なんて言うけど、それは俺が人に迷惑をかけないために、一生懸命あなたが考えなくていい部分を、
考えているだけであって・・・・
―この部分、実はネット界隈だと、ぶっ刺さる人もかなり多いようで、その旨の投稿をしている人もかなりたくさんいた。
この考え方に同意するのは、僕も同じだ。実際、女性とは、恋愛・結婚市場のみならず、精神的・人間的にも、僕の格上どころか、月とスッポンくらいの差があると思う。
そういう格上の人から見たら、格下の存在から何かしらの好意を向けられる(あるいはそもそも興味を向けられる)こと自体が不愉快なんだろうと、僕も納得している。
世の中には「ぬいペニ現象」なるものもある。そして迂闊な文言を送ろうもんなら、「キモいLINEがきた~」と晒される風潮もある。
もちろんそれは極論だし、そうそう起こりえないリスクだとは思う。だが、僕はそのリスクを十全で引き当てるという謎の自信を自分に持っている。
少しでも身の上話をしたり聞こうとしたりすれば、すぐ引かれると確信している。ちょっとでもヘンなメタを込めたLINEを送れば、すぐディスられると納得している。
異性と接する際には、一撃で相手を不快にさせる地雷を、僕は他者より多く置かれている感覚を勝手に抱いている。金も顔も身長も学歴も持たざるからこそ、特に。
そしてそういう風にリスクがものすごく見えるからこそ、僕は女性(女子)に対し、徹底していることがある。ざっくり言うと、以下の通りだ。
① 名字を呼び捨てにしない。下の名前で呼ぶなんて、論外。てか基本は名前を呼ばずになんとかする。
② ちゃん付けにしない。セクハラ呼ばわりされても文句は言えないから。
③ 狭いところをすれ違う場合などを除いて、30㎝以内に入らない。セクハラ呼ばわs(以下略)
④ LINEは絶対に敬語。絵文字もほとんど付けない。だってイタいから。
⑤ 自分(僕)の話は極力しない。自分語りに興味を持つ人はいないから。
僕の前提は、迂闊なことをすればすぐにウザがられるという確固たる自信にある。これを他者は自意識過剰と評するが、当人は経験則から確信に至っている気がする。
意識しなければ自分は「好かれない」を通り越して「嫌がられる」存在だ。ならば自分は空気に徹する方が何億倍もマシである。
更に進んだ「異性として云々」なんて、夢のまた夢どころか、意味不明すぎて想像できないからこそ、夢にすら見ない状態なのだ。
こんな風に、異性との交流をリスクの塊とみなしていると、自分の一挙手一投足をシビアにジャッジする潜在意識がそこに常駐することになる。
キモがられない言葉を必死に模索するから、会話を弾ませるテンポも生まれないし、軽口と取られかねないからこそユーモアも入れ込めない。だから硬く、ぎこちない。
それこそが異性が感じるマホカンタの正体ではないか。自分は異性に好かれないことを”前提”に据えると、やはりコミュニケーションにはどこか壁めいたものができる。
絶対に自分の本心に立ち入らせない・・のではなく、慎重に言葉と態度を選びに選んでいるからこそ、そこに透明なバリアを感じ取られているのではないかと思う。
繰り返すが、そういった言動を取ってしまう理由は、自分は異性に好かれないことを”前提”に据えていることだ。
中にはそれでも「ハイ次!」と気持ちを切り替えて、チ〇コから身体が生えているかの如く異性にアタックしまくる、元気で幸せな人もいるわけだが・・・
僕は過去の経験、黒歴史、イタイ言動などを踏まえ、自分にはそういう青春チックなことについて、全く素質も意欲もないことを心の底から認めている。
将棋で言えば、玉を完全に詰まされた状態。だから、「結婚しようと思わんの?」と生徒に言われるたびに「来世頑張る」と答えているが、これは冗談ではなく本心だ。
僕は30歳を過ぎた。もう良い年だ。恋愛に興味はなく、結婚に利点がない人間だ。世間が良いというから無条件に目指してきたけど、それが合わないことを悟って、久しい。
僕にとって異性は、接している間だけ気分を害させなければいい相手、という感じが一番強い。この跳ね返す感じは、なるほど、マホカンタのイメージそのものだ。
僕が少女漫画のツンツンしたイケメンだったら、それでも引く手あまただろうけど、幸いにもそんなルックスに生まれなかった。未練はやっぱり無い。
モテない僕らがオート発動する「マホカンタ」は、諦めの果てに精神的に出家したら身に着けられた「優しさ」のようなものだ。そう呼んでも良いかもしれない。
僕のマホカンタは死ぬまで消えない。なんかとても強くなった気分だし、いつも護られているという安心感さえ、どこかにじんわりと感じている。
では今日はこの辺で。