コンプラ上詳しくは書けないが、今、過去一と言っていい虚しさを味わっている。「胸に穴が空く」とよく形容されるが、本当にその感覚だ。
信じていたものに裏切られた、というよりも、「今までの時間と痛みは一体何だったのか」と八つ当たりのように問わずにいられない種類の虚しさだ。

強いてその構図を表現するなら、”肩透かしを関係者全員から食らい、さまざまな感情の落としどころが消えてしまった”、というところだろうか。
このままダメージがさらに大きければ、エンタメ作品なら誰かが闇落ちしても納得、というほどの重さがある。ただ、ひたすらに虚しい。
だが、こういうときこそ逆に、徹底的に「自分の心に空いた穴」と向き合うことで、心が慰められてくるのかもしれない。そう思わないと、やっていられない。
今日はそんなふうに、胸に空いた巨大な穴を見つめた観察記を書いてみる。
ぼかしながらも、何が起きたか書いてみる。

とはいえ、僕に何が起きたのかのストーリーが見えないと何も伝わらない気がするので、流れだけぼかして書く。ちなみに前に書いたが、僕の仕事は塾講師である。
さて。去年の夏くらいから“悪化”していたのだが、自分の受けた恥や不始末から来る不機嫌を、すべて僕にぶつけてくるタイプの顧客がいた。
「提出物に抜けがあるのも」「ウチの子が頑張らないのも」「期限を把握していないのも」「アポの日取りを忘れたのも」――すべて“お前のせいだ”という論理で。
最初はまともに受け止めてしまい、ひたすら消耗してしまったが、回を追うごとに感情を切り離し、作業のように対応できるようにはなっていた。
正直「では解約しますね」とバッサリ切って、終わらせてもいい話でもあった。それでもそうしなかったのは、生徒本人の意思を尊重していたからだ。
「私はヨソが良いと思うのに、この子はここが良いと言っている」そんな余計な一言付きのメッセージを、僕は信じることにした。
休日を削り、嫌味に心を削られながらも、できる限り万全の準備で大一番に臨めるよう整えた。その子がここを選ぶというなら、それが返礼だと思ったからだ。
だが、そう思っていたのは僕だけだった。その子が「別にそこまで本気ではない」ことがはっきりと伝わるメッセージを受け取ったのだ。その瞬間、何かが折れた。
じゃあ俺は一体、誰のために、何のために、心無い言葉を受け止めながら耐えてきたのか?誰のためにもなっていなかったのなら、この半年間は何だったのか?
詰まっていたものが一気に抜けるような、強烈な空虚感に襲われた。今もなお、自分がここに在る感じがしない。この虚しさは、いったい何なのだろう。
これが、この記事を書くにおける、起点たる出来事である。
見ていた世界が違ったことへの悲しみ。

実を言うと、この感覚は今回が初めてではない。過去にも何度か味わっている。それらに共通するのは、虚しさと同時に“悲しみ”があったことだ。
自分の頑張りを越権行為だと叱られた日。信任して任せたら「一切手伝ってくれない」と別の人から責められた日。そして今回。
この人も同じ未来を見ているだろう。この子も全てを投げ打ってでも合格したいはずだ。僕は、そう思っていた。だが、実際は違った。
同じ景色を見ているという希望が消えたときに生まれる感情、それがこの悲しみと空虚感なのだと思う。僕だけが独りで苦しみながら走っていることを悟ったあの感じ。
だからつい問いたくなる。「この時間と痛みは何だったのか」と。僕は何を差し出して、それでこの痛みを引き受けて、そして、何がどう変わったのだろう、と。
考えれば考えるほど、込み上げてくるのは「やるせなさ」ばかりである。
今の僕に”在るもの”は何か。

正直に言えば、かなり堪えている。全てを「もういい!」と投げ出したくなる、そんな自棄の気持ちもある。だが数時間経つと、流石に少しずつ、冷静さが戻ってきた。
だからこの記事を書き始めたわけだが、しばらく内省していると突然、心の奥からツッコミが飛んできた。
「お前が本気で向き合うべき生徒は、その子だけじゃないだろ」
・・・その瞬間、「ハッ」とする感覚を覚えた。今まで全く見えていなかったものが、突如として、しっかりと、認識できた時のあの感覚だ。
何度も確認したが、やはりそうだ。僕は、今回の一幕で、僕が大事にしていたものは、別に何も失っていない。手元に残ったものの純度が上がった、と捉えた方が良い。
むしろ、酷く痛んでいた虫歯が抜けただけのような感覚なのかもしれない。それに寂しさを覚える暇があるなら、残った健康な歯を大事にする方が、ずっと意味がある。
明日も、明後日も、本気で合格を目指す子たちはいる。僕が応えるべき存在は、いつも目の前にいるということを、再発見できた好機だったと、今なら解釈できそうだ。
終わりに。
この悲しみは二度と味わいたくない。だが、この悲しみを感じるということは、誰かを信じ、誰かに本気で向き合っている証でもある。
もしそれを捨ててしまえば、講師としての自分も失ってしまうことになるだろう。それだけは選べない。筋トレをしている限り、筋肉痛は避けられないのと同じように。
だから今日も明日も、僕は授業をする。僕にできることはそれだけだし、大事にしたい人に報いる方法を、今のところ他には知らないから、である。
では今日はこの辺で。