モデリングという言葉がある。
意味は、自分が目標とする人物を徹底的に真似すること、みたいな感じだったと思う。
例えば、イチローに憧れて振り子打法を練習するのも、錦織圭に憧れてエアKを練習するのも、ある意味モデリングである。
スポーツ関係の練習方法として、結構効果的なんだとか。
実はこのモデリングという技術?は、脱人見知りにも使えるらしい。
ということで今回はそのお話。
モデリングという語句に出会ったきっかけは、とある人見知り向けの本を読んでいたことである。
その本に、とても印象に残る一文が載っていた。
「人見知りの人が、素の自分で勝負しようと思っても、なかなか難しいものがあります。ということで、対外用の自分、いわばペルソナを作ることが、脱人見知りには効果があります。」
ちなみに文章は、正確な引用ではなく、僕の記憶の中のぼんやりとしたイメージだ。
さてさて、まず気になったのは、「ペルソナ」という単語である。
某ゲームを思い出したけど、どうやら真意は「仮面」とかそういう意味らしい。何語かまでは失念した。
んじゃ、「ペルソナを作る」って何だ?ということでどんどん読み進めていくと、
「素の自分はとりあえず引っ込めて、『こんな人にみられたいな』『こういう風にコミュニケーションしてみたいな』という理想の自分像を作り、それを演じること」
つまり、ペルソナを作る≒モデリングである。
みたいな話らしい。これを読んだとき、僕は「キタ!」と思った。
「元来の自分の気質を変えるのが無理なら、人と話すときだけ、理想の自分を演じればいいんだ!」という発想は、僕にとって大きな救いとなった。
僕は軽く興奮しながら、早速自分の憧れの人物を部屋に落ちてた紙に書いてみた。
すると残念なことに、空想世界の人物の名前ばかりが紙面に登場することに。
現実世界での人間関係の希薄さを、こんなところでも実感するなんて。僕はちょっと凹んだ。
が。
別に本には実在の人物じゃないといけないなんて書いてなかった。
とりあえず、頭で考える前に実践だ!
ということで、純粋に、本当に純粋にこんな大人になりてぇなってことで、
僕は「よつばと!」のジャンボを分析することにした。
適当だけど適当過ぎず、趣味も広くて、ノリも良い。喜怒哀楽もあって、身長以外何から何まで丁度いいというのが魅力だった。こんな大人に僕もなりたいな、っつって。マンガの登場人物だけれども。
そのまま勢いで、会話の返し方とか、ノリとか、その辺を分析して、自分なりの想定問答を頭の中に作った上で、とりあえず1週間くらい実践してみた。
結果。誰にも気づかれなかった。
というか、用意した想定問答が、現実の世界ではほとんど使えなかった。マンガにはマンガの、独特な間とかセリフ回しとかがあるもんな。
なんだろう。もっと現実に則した感じにしないと駄目だな。
皆さんも、もしモデリングをしたいのであれば、空想の人物はオススメしません。
ということで、僕は再びモデリングしたい人を探し始めた。
すると、「この人かっちょええ」って人に出会えた。
その人はとある会社の社長さんなのだが、性格はまさに豪放磊落。細かいことは気にしないし、自分に正直なのか、思った事はズバッと言っちゃう。それでも、筋が通っているので人望は篤く、周りには人がたくさんいる。まさに「目指したい」人物像そのものであった。
僕には、大げさだけど現人神のようにも見えた。
これだ!と僕は再びペルソナ作りに取り組んだ。
声は大きく。
「○○どうする?」→「即答」
何かトラブルが起きた時→一切慌てず、余裕の態度を取る
会話→「けど」「でも」をなるべく使わず、歯切れよく
みたいな感じで分析し、「よっしゃ、理想の男になったるで!」と僕は意気揚々と実践に乗り出した。
結果。ひどく疲れただけだった。
あまりにも思考回路が僕のそれとかけ離れているので、今この返しをしているのは僕の本心なのか?とかがさっぱりわからなくなった。
素の僕なら、AであればBと思うところを、AであればZと思う人の思考で考えて、表現する。
これはとても疲れるし、何より、努力うんぬんでは真似ができない。
うん、もっと身の丈にあった感じにしないとな。
皆さんも、あまりにも自分とかけ離れた人をモデリングの対象に選ぶのは、オススメしません。
ということで、僕のモデリング努力は頓挫した。と思いきや、そのすぐ後にこれは!という人を見つけた。
それは、お笑い芸人の博多大吉さんである。
感情表現が豊かなタイプじゃないのに、色んな人に慕われて。
表現力に優れ、淡々とした口調でも面白いことが言えて、しっかり笑いを取って。
割と自虐的なことを交えつつ話をしても、謙虚であると受け止められて。
感情的になることなく、いつも冷静に対処して。
かと思えば、テレビに映らないところで、お酒に飲まれやすいとか、内弁慶だとか、どこか間の抜けたエピソードもあって。
完璧じゃないですか。
これこそ僕みたいな人間が目指す最終形態ですよ。
何より、素の僕をちょちょっといじれば、真似ができそうな感じというのも魅力だった。
これは別に、真似が簡単そうだからというか、自分のタイプに近いから、というのが大きい。
今現在、僕は結構博多大吉さんの感じを意識して、会話の場では話しているつもりである。結果どういう風に写ってるかは、相手側にしかわからないけれども。
でも、素の自分を少しの間でもひっこめてると、不思議と人見知りが緩和されたような気がする。仮に恥をかいたり、不興を買ったりしても、傷ついてるのは演じてるキャラとしての自分であって、本当の自分ではないから、みたいな安心感があるからだろうか。この辺は上手く言葉にできないな。
なるほど、ペルソナ、侮れないぜ。
モデリングという言葉には、とても夢がある。
なんせ、なりたい自分に、ひと時ではあるけど、なれるのだから。
でも、やっぱり極端な感じにすると続かない。肩の力を抜くってのは何にでも通じるな。
脱人見知りにはモデリング。
皆さんもまずは軽いノリで、試してみては?
スローカメラの休日 (エイ文庫) 田村 彰英 エイ出版社 売り上げランキング : 336406 Amazonで詳しく見る by AZlink |