僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

僕の守護霊、はたまた呪い?「性嫌悪症」という摩訶不思議な特性に迫る。

最初に自覚したのは中学2年の頃だが、僕は性嫌悪症(せいーけんおしょう)という特性?を持っている。例えば思春期男子なら血眼になって読み耽るエロ本が、猛烈に苦手だ。

 

調べたら出てくるのは出てくるのだが、そこで紹介されている症例は結構ブレがあり、その定義も極めて曖昧という印象だ。

first-clinic.jp

 

一応かつて僕も、この疾患(!)をテーマに記事をいくつか書いているのだが、これらを書いてから数年経った今も、まるで改善しないどころか悪化の一途という感じがする。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

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正直、症状の名前は同じでも、それによって心身にどんな影響が出ているかは個人差が激しいのは結構普通のことなので、それ自体にもどかしさは覚えない。

 

僕がもどかしいのは、あまりにも本能や直感に反しているからこそ、ほぼ誰からもそうだと信じてもらえないその一点にある。最近はそれも、諦めたのだが・・。

 

僕に備わる「性嫌悪症」は、僕にとっての守護霊なのか、それとも子孫を残すことを阻む呪いなのか。

 

ここ数年の自己内省や観察を通じて気付いたことを、また記事にして棚卸ししておく次第である。

 

 

”僕個人の”性嫌悪を言語化する。

 

まずは僕自身が抱えている性嫌悪を言語化してみる。ただしこれは個人的な感想として、少し割り引いて読んでいただければ有難し。

 

まず、ここで言う嫌悪感についてだが、リアクションとして、集合体恐怖症の人が蓮コラを見たときの反応と、よく似ているなと分析している。

 

僕はその嫌悪のトリガーが、いわゆる性的なモノにある、という感じだ。AVの前半はギリ大丈夫だが、キス・絡み・脱衣が始まった瞬間、「うわ・・」と思ってしまう

 

ちなみに音もダメで、色っぽい声も苦手だし、性行為を想起させる音も、すごく嫌だ。(余談だが、美人さんが唐揚げをサクサク食べるASMRも、すごく嫌な気持ちになってしまった)

 

とはいえ、では女性自体がダメなのかと言われれば、別にそんなことは無い。普通に僕は異性愛者”寄り”だと思っているし、時折なんかエロいなと思うことは普通にある。

 

それはシチュエーションだったり衣装だったりパーツだったり様々だが、だからといってそこを過度にアップした画角になると、いずれも嫌な気持ちが勝ってくる

 

―とはいえ、例えばみんなで温泉に行った際に、「男が裸だ!うわっ!」みたいな感想を持ったことは無い。これはこれで、今までの説明と辻褄が合わないようにも思う。

 

一時期「もしかしたら・・?」と思っていわゆる男性同性愛系AVを観てみたことがあるが、男女のAV以上にキツかったので、つまり性的なモノがダメなんだと納得した

 

それは実生活でもかなり影響がある。飲み会とかで、おふざけだろうがそういった他意が無かろうが、異性が一定以上の近さに居ると滅茶苦茶落ち着かなくなるのだ。

 

これはセクハラをまず間違いなくしないというある意味安心できるステータスではあるのだが、確実に「避けている」という印象を相手に与えてしまう

 

実際大学の頃、同期伝手に、「お前から避けられている、という相談を受けたんだけど、ホントか?」というすごい変化球で指摘されたこともある。

 

実際全くそんなことは無かったので、ただただ申し訳ないし、情けない話である。(その際はなんでか知らないが、ノリで7000文字程度の反省文を作成してその子に提出した)

 

ちなみに授業になると何故か全く平気で、女子高生だろうが、ガンガンしょーもないことを話すし、真面目に授業もするし、会話だってできる(と信じている)

 

だが、バイトの女子大生と話すのはすさまじくエネルギーを使ってしまうため、なんというか、男として格下に思われてるだろうなとそこは受け入れている。

 

ということで、性的なモノは一切ダメで、それに付随して異性とのコミュニケーションにもすさまじくハンデが発生している、というのが乱暴な要約だ。

 

仮に僕が性欲の鬼みたいな輩だったら、意地でもこの辺を改善しようと血の滲む努力をするだろうが・・・・ところがどっこい、僕はどうやら、アセクシャルのケもあるのだ。

jobrainbow.jp

 

そもそも苦手だけど、本能的に性欲発散の相手を欲しないという意味では、ある意味無敵の組み合わせをもって生まれたということになる。

 

僕の血筋は間違いなくここで絶えるだろうが、なんかそれを前提としてこの世に生を受けてきた感じがして、すごくナチュラルに諦めがついている。

 

僕に与えられた天命はなんなのだろうか。遺伝子を遺せないからミームを遺したいという思いがあるからこそ、この仕事を続けているのかな。

 

きっと、考えすぎだよね。(マシュマロ王国の住民風に)

 

「チ〇コから身体が生えてんのかな」

 

そんなわけで僕は、「異性間性交渉未経験者」である。「したいけどできない!ヌオォォオオ!」というガッシュみたいなタイプではないので、全く興味も焦燥も無い。

 

ぶっちゃけそこに対してマウントを取られてバカにされても、「お前エジプト行ったことないんww」と煽られているのと似た感想しか持たない

 

自分にとっての軸や価値観からあまりにも離れた世界における経験値の有無を論じられたところで、「どうでもいい」のだ。

 

昔から不思議に思う。こういう人たちは、チ〇コから身体が生えているのかな、と。主導権をそれに譲り渡し、振り回されている。それが幸せならいいんだけれど。

 

そしてそれに立脚した思考をしていると、僕は”異常”で、自分の気持ちに”蓋をしている”だけなのだから、つまり”なんとかしなきゃいかん”と繋がっていく。

 

過去何度、荒療治と称して風俗やキャバクラに連れていかれそうになったかわからない。普通だったら気を遣ってやんわり断るのだが、これらはもはや断固拒否だ。

 

そう徹底していたら、最近はついぞ誘われなくなったので、滅茶苦茶平和に過ごせている合コンは僕にとって金ドブだと公言しているので、その誘いもゼロとなったし。

 

僕はもう、恋愛市場・結婚市場からとっくに降りた存在だ。その代わり、外野席からそこでのすったもんだを、一つのエンタメとして楽しむ権利を得られたと思う。

 

LINEの文面に一喜一憂、ぬいペニ現象、パパ活Tiktokヘビーユーザーおじさん。チ〇コから身体が生えた方々のドタバタ喜怒哀楽は、カオスなオムニバスドラマである

 

だから、下手なフィクションより、よっぽど面白い。かつそれを楽しむために必要な対価が、恋愛・結婚を完全に捨てることであるなら、なんと安いコストなのだろうか。

 

10年後も自分が同じことを言っているかどうかはわからないけど、現時点で試しに、40歳になった僕が20代の子のケツを追いかけまわしている姿を想像してみた。

 

すると、マジでゲロを吐きそうになった。中年になっても女子高校生に欲情できるあの人たちは、本当にバケモンだなと、謎のリスペクトが込み上げてきた。

 

僕は身体からチ〇コが生えている。どっちの方が人生が楽しいかで言えば絶対に僕と反対の方々だが、ラクかどうかで言われれば、僕に軍配が上がると信じたい。

 

終わりに:孤独にならなければそれでいいんだけど、孤独だって悪いもんじゃない。

 

そんな僕もかつては彼女が欲しかった。

 

当初は、著しく低い自信を高める根拠を得るため。しばらく経ってからは、単に大体いつでも遊び相手になる存在が欲しかったためだ。

 

自分自身の本性や特性に気付くにつれて、重要度はどんどん下がっていき、30歳を過ぎる頃には完全にゼロとなった。

 

歳が近い人は、もう大体結婚して母親になっている。かといって年下だろうが年上だろうが、僕は【異性として】、女性を見ることができない。

 

そして僕に異性としての価値を見出す人がいたら、その人は相当な変わり者か、人を見る目がないと心底考えている。宗教勧誘か、ねずみ講の誘いを真っ先に疑う

 

性嫌悪は結局、僕から実り多い人生を奪う邪魔者なのだろうか。それとも、僕を邪な何かから徹底して守ってくれる守護霊なのだろうか。

 

現時点では、メリットの方が多いと感じているため、守護霊の如くこの特性を崇めている。ぬいペニ現象もNTRも二股も、どれもこれも僕には一切の関係がない。

 

恋人がいたって孤独を感じる人はそうだし、逆もまたそうなのだ。僕は孤独でさえなければそれでいいと思っていたが、最近はそこすら軟化しつつある。

 

独りの時間も楽しい。時には一人の時間の”方が”楽しい。誰にも会いたくないときだってあるし、それはそれで必須なのだ。

 

摩訶不思議な特性だからこそ、観察も面白い。トクなものを持って生まれたなと、今はそこまで強く肯定できている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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