僕は今年で33歳になる。3年くらい前から、少なくとも人生はもう折り返したという感覚があり、そこから先の人生を過ごしたいという欲も無い。
僕はいわば、時折自分で自分を殺している。例えば今の塾講師という働き方は好きなのだが、今年で、今の働き方から、引退という形で区切りをつけることに決めている。
講師としての僕が果たしたい夢はあと2つ残っているが、それを残したままでも普通に引退してしまうだろう。僕はそれくらい、自分の欲するものには無頓着だ。
教えることをもっと有能な人間に任せて、僕は彼らが活躍できる場を一生懸命創っていく。その夢のためには、今の働き方は最適解じゃないと確信している。
僕の言う引退は、僕が抜けることで後任の余白を作り、僕は僕が活きる労働の場を試行錯誤しながら作れるポジションへ移ると、まぁ、そんな夢物語のことなのだ。
執着したくてもできない。捨てることが得意。捨てられないアイテムも時にはあるが、その中から1つでも捨てられれば、残りも大体捨てられる。そんな人間なのだ。
・・・そんな僕だが、代替案も存在しないという意味に限れば、実は今生においてただ一つだけ、やり残していることがある。
しかしそれは、客観的に見ても、主観的に見ても、だいぶ頭がおかしいと思われること請け合いだ。
それ自体がやり残しだと強く確信はしているが、理由のみならず、それ自体が何なのかさえ、あまりうまく言語化できていない。
だからこの記事を借りて言葉にしていく次第である。
僕の唯一のやり残し。
恥ずかしいが、それは「交際を申し込まれて、それを断ること」だ。30過ぎて何言ってんだという話だが、これが人生に起きてくれれば、僕は悔いなく死ねるほどである。
僕は記憶に在る限り、恋愛なんてものに全く縁が無い。最初はそのことがとにかく異常であると思っていて、そこから抜け出そうと我ながら頑張ったものだ。
合コンでしくじり、年下の子に距離を置かれ、後輩に振られ、同期にスカンされ、先輩からやんわりと断られ。都度心が引き裂かれそうになるのは、なった。
最後に思い切りフラれて以来7年くらい経つが、その間に僕はこの辺に諦めを完全につけた。
つまり僕にとって恋愛とは、僕の人生における失敗の歴史、本当の意味で黒歴史に他ならないのだ。あるいは、永遠に手が届かないと悟った、子どもの頃の夢に似ている。
・・・ではなぜ、こういったある意味の諦観に辿り着きながら、今更言うなれば告白されたい・・・なんてキモい願望を考えているのか。
先に言うが、その理由は極めて身勝手だ。だから多分不愉快に思われると思う。だがもう、膿は出し切りたいので、このまま文字に起こすことにする。
そもそも僕が恋愛をきれいさっぱり諦められたのは、逆算によるものだ。例えば、どれだけシミュレートしても、僕は子どもが絶対に要らない。
また、性嫌悪症を持っているため、そもそも猥褻なものがとても苦手という特性も併せ持っている。故に、色々とムリなのだ。
ついでに特定の異性に恒常的な好意を抱くことも無いらしいと気づき、そのまま自分という人間の生態を掘り下げていく内に、ある結論に辿り着いた次第だ。
「子供要らんなら結婚する必要ないし、結婚しねーなら、その前段階の関係性である彼女も要らない。そのプロセスに過ぎない恋愛も、つまり不要だよな」
ここに至ったのがざっくり27~8歳の頃だ。おかげさまで以来、ヘンなプレッシャーや気苦労を覚えることなく、平和にずっと過ごせている。
―だがこの信念は、あるリスクを孕んでいる。それは、いざ告白を”された”際、それが揺るぐとトンデモなくダサい、というものだ。
僕の納得は、この揺さぶりに勝てるのか、勝てないのか。悲しいかな、これは実際にそれが起きてみない限り、永遠に確認することは叶わない。
繰り返すが、自分勝手な理由は承知の上で、僕は僕の出した答えと、それに付随する納得が、確固たるものだと確認したい。そのためには・・・・という話なのだ。
だがもう1つ、(無いだろうが仮にあったとして、)僕はそういう申し出を断るべきだと考えている理由がある。
それは僕が彼氏として、旦那として、父親として、全く不適合であると自覚しているからだ。異性として誇れるポイントを僕に見出す人は、本当に人を見る目が無い。
以前記事にしたが、僕は「結婚はしたいけど、俺を選ぶようなアホとは結婚したくない」という2ちゃんねるか何かのコメントに強い共感を覚える。
その人に自分がどう見えているかは知らないが、上っ面だけ見て判断するには、あまりにも僕の性根はネジくれ倒している。断ることで、不幸になる人は減るというわけだ。
過去何度も呻吟した思考プロセスを辿れば、僕は必ず、異性から想いを告げられても即答で断るはずだ。確認できていない自分の信念を、ちゃんと確認しておきたい。
自分で出した答えには、都度納得しておきたい。そしてこの異性が絡む問答は、どうしても”外部からの要因”が無ければ、確認しようがないのである。
―これが僕のやり残している、ただ1つのことだ。書き終わっても思うが、やはり頭がおかしい。相手のことを何一つ考えていないことがよくわかる。
思うに僕は、やはりモテないことをコンプレックスに感じているんだろうな。それが解消されるためには、自分で自分を受け入れるだけでは不十分なのだ。
しかしながら、アセクシャリティと性嫌悪、そして子供嫌いといったあらゆる要素が絡みあった結果、頭ではモテることは何一つ人生の幸福に繋がらないとも納得している。
お互いのために断るという選択肢を取れる自分。僕がみたいのに、みれていない自分の姿は、もうそれだけなのかもしれない。
では今日はこの辺で。