闇にまみれていた20代前半らへんに比べると、僕は結構人見知りを飼いならせているように思う。
しかし、だ。前々から苦手だった場は、今でも苦手のまんまである。避けられるものなら避けたい。
人見知りの悩みを聞いたり、人見知りが嫌だと感じるもののアンケートを見たりすると、『気質が同じだと悩みも同じだな』と思わされる。
飲み会は僕も苦手だった。馬鹿正直に酔った先輩の説教を受け止め、自尊心が傷つき終わっていたあの頃が懐かしい。
スピーチも、すごく気持ちがわかる。失敗したら、笑われたら・・という恐怖に支配されて、言葉尻すべてを気にするあの感覚。
結果、自分で書き上げた台本を一字一句違わず読み上げに行く時間になる。すごくわかる。
また、異性との会話は今でもすごく苦手だ。何というか、恐怖という感覚が先導し、コミュニケーションを阻害する。
まぁこれについては、仕事における意思疎通ができればもういいやと割り切り、プライベートでの克服は完全に諦めたんだけどね。
さて。
そういう風なお悩みを共有する方々に、何か役立てればということで、上記の場において僕が意識している『考え方』を紹介する。
理由は、逃げ回るよりも、自分の考え方を変える方が楽だから。そう僕は考えるためである。
ということで、シチュエーションごとに紹介していこう。
飲み会。
これを苦手とする人はものすごく多い。
下の立場なら、お酌だの席次だの、気を使わなければならない項目が多すぎる。
また、自我が崩壊しかけている人の説教や、出元の確かじゃない噂話を一方的に聞くのも面倒だったりする。
ロジックが崩壊しているので、言葉ではどうにもならない。酒を飲まなかったり、雰囲気に飲まれない人見知りには、つらい場所である。
『飲み会など、生産性の欠落した無駄な時間だ!』と憤る人もいるかもだ。少し、気持ちはわからなくもない。
ちなみに、僕が会を開く側なら、なるべく自分以外の人の話が盛り上がるよう、僕が気を遣っている。
席次も廃止。お酌も無し。好きに飲んで好きにハシャげ!というのが僕の会のルールである。
これは結構気を遣う。『俺様は気を遣われる側だ!敬え!』という気質の人は、絶対にこんな心がけはしない。
となれば、こちらが考え方を変えてしまおう。僕は飲み会がしんどいときは、よく、『心理学を実験する場だ!』と考えている。
例えば、酔った人の弁は心配になるくらい回る。まさに、会話を引き出す心理学用語の練習にうってつけだ。
『へぇー!』『そうなんですか?』という言葉。バックトラッキング、イエスセットという小技。
こういったものを練習するのに、結構もってこいなのだ。なぜなら、面白いほど成功するから。
成功体験を積むという目的に、実は酔った人との会話はかなり使えるのだ。
また、したたかな人は、『言質を取る場として使う』のもありかなと。
酒が入れば、どんな人もある程度ガードは緩くなる。
仕事における何かしらの決議。約束事。
そういうのを話の流れで取り付けて、メモまできちんと取っておく。(その場でLINEしておくのもおススメ)
シラフだとなかなか通らない案も、するする通って気持ちいい。
僕も飲み会で通した案はいくつもあるし、また、貸しているお金の返済約束さえ何度も取り付けた。
こう考えれば、案外飲み会は無駄なことだらけではないわけで。
親睦を深めよう!というお決まりの文句がハマらない人は、こういう風に『勝手に有意義な場に変える』工夫をしてみるのが吉である。
スピーチ。
人見知りにとってスピーチは公開処刑の場だ。僕も昔はそう思っていた。(プレゼン等の発表も同義とする)
今は仕事が毎日スピーチをするようなそれなので、正直苦手意識はほとんどないのだが・・・。
昔はものすごく苦手だった。(白状すると今も、例えば大人数であったり、目上の人しかいない場であったりすると苦手意識が発動する)
何度推敲しても納得できない原稿。練習してもしても軽くならない心。不安だけが風船のごとく膨らんでいく。
言葉尻をけなされたらどうしよう。響かなかったらどうしよう。恥をかいたらどうしよう。
不安だけがぐるぐるとめぐり、精神を蝕む。自分のハートの弱さを何度呪ったことか。
そういう風に、漆黒の不安が脳内を支配しているときはどうすれば良いのか。
僕は、『もっとクオリティを高めろという内なる自分からのサイン』として受け止めて、発表のブラッシュアップに努めるのが一番良かった。
不安になっているときは、一旦その不安から意識を完全に反らす必要がある。だから、一瞬趣味等に没頭するのは大いにアリ。
その上で、重箱の隅をつつくような指摘を自分にする前に、発表の大枠からまずは詰めるべきだ。
例えば、発表にかけられる時間は何分か?その場合、大体何分の時点でどこを発表していればよいか?といった時間配分の把握も大切だ。
テーマがそもそもずれてないか?といった確認もしといたほうが良い。
文章のスリム化などは正直最後にするべきだ。というか、紙媒体でするべきじゃない。
ある程度(50%くらい)完成したら、実際に練習してみよう。不安を消すには、練習と改善しか無い。
実際に喋ることで、不自然な言い回しに気づけたり、別の表現を思いついたりするものだ。
頭の中でぐるぐる考えるくらいなら、不完全なままに練習を重ねて磨き上げよう。
不安も要は使いようなのだ。
完成度の高いスピーチを作る才能が俺にはある!くらいにポジティブに受け止めて、それを使いこなしてやろう。
異性との会話。
これは僕も改善の途上であり、完全なる答えを提供できないのだが・・・。
少し言い訳をします。
恐ろしいほど苦手になった契機は幼稚園の頃、頬っぺたに結構な切り傷を負わされたことにある。
そこを押さえた右の掌が赤く染まっていた。鮮明に覚えている。尚、何の怒りを買ったのか、今の僕にもわからない。
また、成人してからも、芋焼酎による飲み比べを挑まれ、敗北し、翌日地獄を見させられたことがある。
命に係わる(と思わされる)出来事を二度も食らえば、心の底から苦手になる。苦手になるからコミュニケーションを取れず、ますます苦手になる。
スパイラルですね。ホント。僕の好きな本『嫌われる勇気』においては、過去のトラウマを目的論で否定しているが・・。
僕の場合、『異性と接したくないから、過去の出来事をトラウマとして利用している』となるのだろう。自覚はある。
だが、異性とうまく接するようになりたいという欲が、結婚や恋愛を諦めたのと同時期から急激に萎んでいるので、どうでもいいかなと思っている。
さてさて。皆様に役立つ情報を提供しなければ。
ちょっと考えてほしいのだが、『異性』『彼氏』『彼女』『嫁』『恋愛』『結婚』『夫婦』という言葉が、自分の中で、異常に重みをもっている方はいないだろうか?
『彼女』と『嫁』は並外れた努力をしなければ傍にいてくれないぃ・・・とか。
『結婚』や『恋愛』をしていない私ってゴミ・・・とか。
はっきり言おう。実際のそれは、どれもこれも想像よりしょーもない。ドラマや漫画に作られた価値観など、この際唾棄してしまおう。
ということで、恋愛だの彼女だの彼氏だのといったことの身もふたも無さを学べる良著を紹介しておく。
この小説は、異性が苦手すぎる自分を何とかしようと思って買ったのだが・・。
逆説的に、おかげで『恋愛を諦められた』という本である。そういう意図で書いたのではないだろうけれど。
モテだとか恋愛のしょうもなさの正体がよくわかるので、男性におススメの本である。
さて。
このブログを読んでいる方にどれほど女性がいるかわからないが、さっきの本の女性向け版みたいなコンセプトの本はあるらしい。
白状すると僕はこれを読んだことはないのだが、著者の別の本を読む限り、薄くてつまらないことは絶対に書いてないと断言できる。
まずはこういった本で、神格化されている恋愛だのなんだのの定義を正常値に戻すのが絶対に良い。
また、自分が思っているよりも、異性という存在は等身大だということも知っておくべきだ。
女子が神なら自分はウンコとか、見当違いも甚だしいぞと言っておく。
あとは、場数を踏んで何とかしよう。フェイストゥフェイスのやり取りがダメなら、SNSでやり取りすれば良い。
形はどうでもいいのだ。やり取りをしている!という形を重ねて、それで自信をつけていこう。
ということで、僕は顔を合わせてのやり取りは相変わらず苦手だが、SNSの台頭のおかげで、業務においては支障がなくなってきた。
僕みたいに異性と向き合うのがしんどすぎて、甘酸っぱい事柄のすべてを捨てると決意するのも一手だが・・・。
あんまり推薦はできないかな。まずは読書なんかで価値観を正常に戻し、SNS等のツールでやり取りを重ねる。そして、自信を深めていく。
結局はこの積み重ねが一番効いてくるのだろうと僕は思う。
終わりに。
書いていて不思議と熱くなり、こんな長さになってしまった。久しぶりだ。
苦手なものを好きになる努力は、正直僕は無駄だとしか思えない。どうせ好きにはなれないから。
それよりかは考え方を変えるなり、対処法を用意するなり、そういった準備の方が健全だ。
台風が来るとわかっているなら、備えをするのが当然なのと同じ。『台風大好き!』と口に出しても、何も状況は変わらない。
苦手は苦手で構わない。そのうえで、ここに書いたことが、それの捉え方を変える一助になっていれば、僕としてはすごく嬉しい話である。
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