朝目覚め、ゆったりとモーニングを楽しむ。
香り立つコーヒーが嬉しい、爽やかな一日の始まりだ。
その後は録画していた番組を見たり、溜まっていた本を読んだりと、平日に出来なかったことを消費していく。
昼は気になっていた飲食店に行ってみる。
評判になっているだけあって、味も雰囲気も素晴らしい。
その後は食後の運動を兼ねて、ジムで運動を行う。
汗を流した後のシャワーは最高である。
夕方になれば、前もって約束しておいたディナーを友達と楽しむ。
互いの他愛もない近況報告は、週の中でもかけがえのない大切な時だ。
帰宅後は、軽く仕事の準備を済ませ、余裕のある心持で布団にもぐる。
そして再び、仕事へと繰り出していくのだ。
・・・とか、僕は出来たことがまぁないのだが。
無理矢理予定を捻じ込まない限りは、1日の構成要素が「寝る」「食べる」だけで終わることも多い。
というか大体そうなる。
今回は有意義な休日とやらについてだらだらと考えてみようと思う。
有意義って何なんだ。
先に書いた休日は、実を言うとブログや本で知った、一流と呼ばれる雲の上の方々のそれをただ書いただけである。
確かに尊いし、有意義そうだし、一流たる所以を窺い知ることもできる、非の打ちどころのない休日である。
しかし、僕はどうしてもこう思ってしまう。
「いつ、疲れをとるねん」と。
確実に、先に書いた行程をこなすと、異様に疲れることは請け合いだ。
有意義に過ごすことは、桁外れの体力に比例するのではと感じて仕方がない。
「休みの日こそ何もしない」のがノーマルな僕にとっては、テンプレ的有意義なソレは全く性に合わないのは、客観的に考えれば明白である。
でも、そういう休みを満喫したいという思いも、相反するようだが持っている。
このジレンマを解消することが第一歩な気がするので、色々と布団の中で考えてみた。
しばらくぽけーっとしていると、ふと解決方法が2つ浮かんできたので、以後述べていく。
その1 強制力を持たせてみる。
自分の中での「よしするぞ」は、大方非常に緩い意志である。特に休日の予定については。
だから、矛盾しているようだが、強制力を持たせない限りは「よしするぞ」は「まぁいいか」にすり替わって終わる。
ではどうやって強制力を持たせるか。
僕なら、あちこちに触れ回る。
「日曜日はあそこにラーメン食いに行ってくるわ」と言いふらしたりだとか、Facebookに「月曜こそジムに行く」と投稿したりとか。
一度目に見える形にしてしまうのがミソで、言ってしまった手前行かざるを得なくなる。(それが楽しいかはまた別として)
又は、誰かを誘う。
前々から行きたかった温泉とか、史跡とか、そういう遠出を要するものには、同行者を探すようにしている。
独りぼっちだと、確実に引きこもって終わる。
強制力を持たせるというのは、有意義の第一歩なのかもしれない。
重ねて言うが、だからといって愉しくなるかは別である・・・。
その2 有意義の捉え方の転換。
開き直りもまた有効である。
一日中寝る。ゲームを13時間やる。ネットサーフィンしてたら日が落ちた。
これもまた有意義に違いないと考えるのである。
一日中寝た。結果、身体に溜まっていた疲労はどこかへ消えた。
ゲームを13時間やった。結果、ストレスが吹き飛び、気持ちがリフレッシュした。
ネットサーフィン上等。結果、広く浅い知識が増えた。
なんと有意義ではないか。
(どことなく論語みたいな書き方になったが・・。)
とかなんとか理由をつけて開き直れば、罪悪感とか背徳感といったニホンジンらしい何かも薄れて、字面で分かるようにとても自分に優しい。
結局は考え方うんぬんに着地してしまったが、思うように過ごせれば有意義という割り切りもまた、必須条件だと感じる。
終わりに。
ワークライフバランスという言葉が提唱されて久しい。
公私ともに充実とかそういう話なのだが、公も私もたっぷり充実させると、それはそれでクタクタである。
有意義を目指して頓挫して、ああダメだったと落胆する。
たいへん無駄である。
有意義か否かは考え方次第と強く感じるので、僕は明日、有意義に終日寝て過ごそうと思っている。
達成できたら花丸ものだ。
何か楽しみになってきた。
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