01 出立
朝9時30分に目が覚めた。
本当は8時に起きて、9時に出ようかとも思っていたのだが、昨晩飲んだ日本酒のせいか、普通に寝坊してしまった。(体調はまぁまぁ)
そこからは、いつも通りシャワーを浴びて、朝飯を食べて、カメラと風呂グッズを持って家から出た。
寒いのは寒いが、極端に冷えているわけでもない。フロントガラスも凍っていなかったので、出発はとてもスムーズにいった。
ここから萩まではざっくり車で一時間。
車内BGMは、気分を高めるため、ひたすら龍が如く 維新!のサウンドトラックにした。
天気は曇り。
時折小雨が混じるものの、雲の層が薄く、すぐに回復するだろうと思っていた。ドライブを続け、山道に入っていくと、次第に雪景色が広がり始める。
気付けば、ここ2日くらい天気が落ち着いているはずなのに、一面銀世界となっていた。
さすが日本海側、萩の山だな。道路の半分以上が雪や氷で覆われている個所もある。
それらでスリップしないよう、スピードはやや抑え気味。だが結局、萩には予定通り1時間弱で到着した。
歴史的景観を守るため、華美な建物は多くない。高層ビルなども、ない。けれど、寂れているわけでもない。シンプルだけれど、情緒のある街。
「いよいよだなー。」
目的地に入ったことに、僕は正直心が躍っていた。高揚感からか、不意に頬が緩む。
最初に立ち寄るところは、もう決めている。
改めてナビを設定し、僕はそこへ意気揚々と向かうのであった。
02 萩博物館にて
まずは何より、散策の前に色々な資料を見ておきたかった。闇雲に散策しても、おそらく消化不良で時間切れだ。
残された資料などを見たうえで、「この人にゆかりのある史跡を散策しよう」などと、目的地を絞りたかったからだ。
まぁ単純に、静かな空間でじっくり展示品を眺めるのが好きだから、ってのも大きいのだが。
施設内に入ったとき、正直入口の場所が良く分からなかった。おずおずと人見知り全開で探索していると、3分くらいでそれは見つかった。
立派な表札がお出迎え。
傍ではスタッフかボランティアかわからないが、おばちゃんが丸い石を撒きながら庭園を整理している。
挨拶もそこそこに中に入り、入場料を払い、チケットを受け取る。順路に従って進む。
博物館の中の雰囲気は、間接照明程度の光量で、とにかく落ち着いていて厳かであった。
展示資料も、「夏みかんについて」とか、「海産物」とか、萩市について、ユニークな切り口で見つめなおすというものが僕の目を引く。
展示物の多くが撮影禁止だったので、そこにカメラを向けないよう気を付けた。
萩城の瓦の一部、天秤、黒船の模型、銃弾を作る道具、軍太鼓、書物の写しなど、刻んできた歴史を色濃く今に伝えるアイテムが、たくさん収められていた。
吉田松陰が獄中で読破した書物のリストもあった。
常々疑問に思っていたのだが、なぜ昔の人はこんなにも字が上手なのだろう。
線に迷いがないし、判を押したように大きさが同じで、レイアウトの乱れもない。もはやこれが一つの芸術作品である。
そういうことを考えつつ、再び順路に則り進んでいく。
すると、久坂玄瑞・高杉晋作の像を見つけた。これは写真撮影NGではないらしいので、記念に一枚撮っておいた。
ここから先は、高杉晋作関連のコーナーなのだが、展示室そのものが撮影禁止とのこと。
だからしっかりと頭に残すため、気を引き締めなおし入っていった。
中には、晋作の生涯を説明した文言があり、さらには遺した書物、思想、遺品が纏められていた。当然複写ではない本物もあり、思わず息を飲んだ。
「彼に限ったことではないが、なぜこの時代の人は、こうも迷いなく、ひたむきに行動できるのだろう。」僕は改めて疑問に思った。
当時はワンアウトで斬首などを食らっていた時代だ。
今よりも行動そのものが伴うリスクは高い。(むろん、現代もワンアウトで社会的に抹殺されるという名残はあるが)
しかし、それでも、「とにかく行動せねばならない」という強い意志を、読めもしないその書物から僕は感じた。
この迷いのなさ。この行動力。一体どこから来ているのだろう?
しばらく高杉晋作ゆかりの品々と相対しながら考えたが、答えはすぐには出そうにない。
僕は博物館を後にすることにして、出口を目指した。
その途中、萩市にちなんだ人々を、簡単な紹介・業績とともにまとめたコーナーを見つけた。引き込まれるようにしばらく目を通す。
そして、久坂玄瑞のそれを見たとき、僕はふとあることに気付く。
「僕はもう、彼の享年を超えているのか。」
25歳にて彼は没している。
そもそも、志士と呼ばれた人々は、押しなべて夭逝していることが多い。吉田松陰は30歳、高杉晋作は29歳で、それぞれ志半ばで他界している。
24歳とか、21歳で果てた人物もいる。その最期は、病死だったり自害だったりと様々だが、平均した享年が驚くほど若い。
死が今よりはるかに身近にあった時代。直観ではあるが、先述の僕が抱いた疑問の答えに結び付きそうだと感じた。
だが、いい加減頭を使うのにも飽きたので、僕は次の目的地に行くことにした。
帰りがけにお土産を買っていこうかとも思ったが、やめておいた。とりあえず、もう十分に色々なことを受け取ったもんな。
僕は博物館を後にして、城下町へと向かった。
03 城下町散策
博物館を出て数分歩くと、城下町へ到着する。
意外なほど近いことに驚いたが、労力や時間を節約できたので万々歳だ。地図をもとに、城下町をうろうろする。
碁盤みたく道が整えられているため、目的地には案外たどり着きやすい。だが、外国の方には難しいのだろうか。
スマホ片手にしかめっ面で何かを探す、欧米人ぽいカップルにすれ違った。話しかけてみようかなと思ったが、やめた。英語圏の人じゃなかったら詰むもんな。
そんなことを考えながら、城下町を歩く。
古き街並みが、当時の様子を色濃く残している。焼杉で作られた建物が、道路に沿って延々と並ぶ。
それを囲う土壁も当時のものなのだろうか。整備が追い付かず、結構剥がれて崩れている。
民家だけでなく、焼き物屋やカフェなどの店もあり、完全に寂れているわけでもない。
しかし平日だからか、人の数はまばらだ。だからか分からないが、とにかく人工音が少なくて、良い雰囲気であった。
風と、それによってかさかさと鳴る葉っぱくらいしか、音を出すものがない。
落ち着くなあ。
そうこうしていると、僕はとある偉人の生家にたどり着いた。門をくぐり、受付を探すと、建物の玄関にそれはあった。
代金は100円。僕はそれを受け付けの人に渡し、靴を脱いでお邪魔する。
そこは木戸孝允の生家であった。
04 生家訪問
中の様子はこんな感じである。
どうやら当時のものらしい襖も残っている。書が壁にかかっている。
ところどころ、コンセントといった現代アイテムもあるが、それは止む無しということでスルーした。
木戸孝允の写真やイラストも数多く展示されている。もはやちょっとした博物館だ。
ここで何を思いながら、日々を送ったのだろうか。孝允の過去に思いを馳せる。
パンフレットには間取りもあった。とにかく、部屋の多さに面食らう。一体何部屋あるのやら。
少なくともサザエさんの家の倍近くは部屋がある。こういう建築様式なのだろうか。また、部屋の高さも、よく見たら低い。
僕の身長はきっかり170㎝ほど。少し屈まないと、襖のところとかで頭頂部を強打しそうであった。
結局滞在時間は10分くらいであった。資料はあれど、まあ、家だもんな。
時間的な余裕はまだまだある。そこで僕は、もう一軒、とある人物の生家に行くことにした。
ふと気づけば、すっかり外は晴れている。
防寒として着てきたコートのせいで、逆に少し汗ばんできた。陽気な日差しを全身に受けて、僕の足取りは軽くなる。
そしてとある公園を通り過ぎようとしたとき、僕はある銅像を見つけ、足を止めた。
「高杉晋作って書いてあるな。」博物館で見たものの、オリジナルらしい。背中から日の光を浴び、威風堂々と立っている。
「かっこいいなぁ。」
月並みなことを思った僕は、柄にもなく銅像と自撮りしようと一瞬思った。しかし、僕ごときが銅像とはいえ高杉晋作と同じ画に写るとか。
おこがましいとか通り越して、滑稽だな。
僕の自撮り計画を一瞬で潰し、次の目的地・高杉晋作の生家へと急ぐ。
こじんまりした路地に、それはあった。
少し気を付けないと、軽く素通りしてしまいそうになる。それくらいの存在感だった。
入場料はここも100円。しかし、こっちは家に上がることはできず、外から眺めるのみとのこと。
こうした品々を一応写真には収めたが、変な話、こっちは数分で満足してしまった。
中に入れなかった分、「ここにいたんだ」という感動が薄かったからかな?それとも、晋作本人があちこち行動しまくる人だったからかな?
少し理由を考えてみたが、結局よくわからない。
僕は滞在時間数分で、受付の方に挨拶をしてから、高杉晋作生家を後にしたのだった。
良くも悪くも時間が止まっている。流れがあるにしても、極めて遅い。そんな印象を僕はこの城下町で覚えた。
つまり、革命を起こさなければならないような閉塞感とか、そういうのを微塵も感じなかったのだ。
それは、今が既に維新を経た後の話だからなのかもしれないが。僕の思考の浅はかさが軽く露呈する。
「一体どうしてこの地から、明治維新が胎動したのだろう?」また新しい疑問が浮かぶ。
「やはり、萩に来たらあの人は外せないな。」僕はそう独りごちた。
でも、正直結構うろちょろしたため、お腹が空いて仕方がない。一回、食休みを挟むとしよう。
僕は駐車場に戻り、財布の残金を確認した。まだまだ余力はある。なんでも食える。
萩に来たら外せない食事処。美味い海産物が食いたい。
食欲と昂奮が入り交じり、心が躍る。
僕は何かに急かされるようにして、城下町を後にするのであった。
第二部 完