2年以上前に書いたこの記事の評判が、最近良い。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
『人見知り』の評価として『優しい』は鉄板である。
しかしそれが心地よい物とは限らない―というのは、人見知り共通の悩みと言えるのではなかろうか。
・・というのをつらつらと書いたのが、先の記事である。
ただ改めて読み返すと、結局は抽象論に終始しているので、読んでいてスッキリしないのでは?という印象を、今の僕は覚えた。
もっと具体的に、『優しさ脱却』のプロセスを述べた方が良さそうである。今の自分はどうなんだ、というツッコミはさておいて。
以下、それらについて、2点ほど軽く述べていく。
Yes,butの返しを心がける。
『優しい』人見知りには、とにかく依頼事が降ってくる。それが、誰かの力を借りなければ片が付かないモノという類ならまだいい。
ただ、単純に『メンドクサイ』『早く帰りたい』が動機だと推測できるものは、やはり快く引き受けるのは困難である。
しかし、人見知りで、特に引っ込み思案であれば、こういうのを引き受けるという選択肢しか浮かばないものだ。良く分かる。
ゆくゆくはこれが『勤勉』とかいう評価に繋がれば良いのだが、大抵は『都合の良いヤツ』で終わるのが悲しいところだ。
こういう辛い結果になりがちな原因は、恐らく『返し』を知らないことだと思われる。
引き受けるのは別に良い。だが、そこに『こちらからの案』も付けるのが基本だ。
その手段として、『Yes,but』の返しは有用である。要は、一度受けた後に、提案を付け加えるだけである。
例えば、「この書類、明日までにまとめておいて」と言われたとしよう。
「分かりました。」と言って終われば、恐らく超タイトなスケジュールでそれを仕上げる羽目になる。
僕は必ず、「明日のいつまでですか?」「ちょっと暇が無いので、多少荒くなっても大丈夫ですか?」という一言を添える。
あまりにもパツパツならば、「代わりに○○をお願いできませんか?」とか、「手いっぱいなので、△△さんにお願いできませんか?」と返すこともある。
要するに、一度と依頼は受け、その上で、こちらのリクエストを投げるということだ。人見知りであろうと、このくらいは出来た方が良い。
自分がこんなことを言ったら・・という不安が浮かんでくるかもしれない。しかし、世の中は流石にそこまで狭量じゃない。
仮にこの程度の駆け引きで烈火の如くキレる人や組織なら、素直に見下せば良いし、とっとと抜けてやれば良い。
必殺ワード・『それで?』
勇気を振り絞って出した依頼をないがしろにされたり、業務や約束事について適当な報告を受けたり。
こういった場面は、『優しい人』につきものだ。大体話し手は、『軽く許してくれる』ことを前提に、ナメてかかってくる。
『いいよ』という返しがせめてもの強がり。こういうのでは、こちらの精神が凹むだけだ。
しかし人間社会とはメンドクサイもの。こちらがキレれば、相手も怒りのモードとなり、こちらが結局不利となる。
しかも、ブチ切れた時点で、『人見知りのクセに器が狭い』というレッテルを貼られることも考えられる。
どうしたらええねん、という声があちこちから聞こえてきそうだ。
しかし、『感情的な怒り』に頼らずに、そういう輩を追いつめる方法は存在する。それが、『それで?』というワードである。
使い方は簡単。ふざけたことを言ってきたヤツに、軽く言葉を変えたり、相槌を打ったりしながら、延々と『それで?』と返すだけだ。
以下、僕が過去に使ってみた例を挙げる。
「頼まれてた仕事、忘れてましたー」
僕「そうか。それで?」
「んーまぁ、どうしたらいいです?」
僕「それを聞いてるのはこっちなんだけど。どうするの?」
「えーと・・・」
僕「えーと?」
「すいません。すぐにやります。」
僕「分かった。2時間なら待つからよろしく。」
みたいな。ちなみに声のトーンは穏やかに、表情も大得意なチベットスナギツネ顔でOK。
不思議なもので、言い訳はガンガンさせた方が、相手を追い込める。そして最終的に、『相手に』善後策を言わせればクロージングとなる。
尚、軋轢を避けたければ、トラブル解決後に笑って許せば良い。解決前に手放しで許さなければ良いだけの話である。
感情を込める必要が無い分、人見知りでも使いやすいフレーズだ。是非とも試してみてほしい。
終わりに。
『優しい』一辺倒だとナメられる。ナメられると、色々な不利益を被る羽目になり、メリットは何もない。
そして、『優しい』人間は基本的に便利な生き物だ。だから、他者はそれを自覚されないよう、『優しい』という評価を与えて機嫌を取る。
勤勉で、感情が穏やかで、人見知り。そんな人間が何故『優しい』と言われるのかを考えると、上のような論理があるのではと僕は考えている。
優しいとされる人でも、怒るときは怒るし、どこかナメてかかれない雰囲気を持っているのこそが本物なのだろう。
僕も30歳が見えてきた今、そこに近づけているのだろうか。そう信じたい。
『優しい人』というレッテルがどうにも苦手であるのなら、ここに書いた方法を是非とも試してみてほしい。
以上である。