僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

『自称人見知り』の実態を、『ガチ人見知り』の僕が暴いてみよう。

世間において、ときたま『性格』が流行ることがある。

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数年前だと、サバサバした性格の女性が流行った。また、2000年初頭を考えると、ツンデレというのが流行ったのを覚えている。諸行無常である。

  

―となると、それに必ず付随して現れるのが、『自称』シリーズだ。

 

別に、その人なりのモテる努力の一環として、世間が求めるキャラに近づくという試みを、僕は一概に否定しないが・・。

 

それでワリを食う人間がいれば話は別だ。

 

自称サバサバ系というのは、単にガサツなだけだったりする。自称ツンデレも、ワガママで地雷だらけ、扱いづらいことこの上ない。

 

そして、ここ最近。なんとブログの検索ワードに、『自称 人見知り』というのを発見して、おったまげた!

  

こんな世間的には欠陥としか捉えられない性格を自称して、何か良いことがあるのだろうか。純粋に首をかしげてしまう。

 

―ということで今日は、人見知りでも何でもない人間が、人見知りを自称する理由を、人見知りの僕が考察してみることとする。

 

結果、そういう人たちを見破る術にも繋がると思うので、一石二鳥ではないかなと思う。

 

では、以下その内容である。

 

 

  

様々なコミュニケーションから逃亡できる。

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『僕、人見知りなんで・・・』という言葉の使いどころで、結構自称か否かは分かってくる。

 

それは簡単で、『言い訳』として上記の言葉を吐く輩は、自称の可能性が高い

 

『お得意先に電話しといて』『○○さんと打ち合わせしといて』『飲み会どう?』

 

という命令を避けつつ、かつそういうコミュ力を求められる人選から外れるためには、『人見知りを自称すること』が確かに楽だ。

 

『いや、僕人見知りなんで・・・』

 

と返して逃亡を図るヤツは、僕からみればかなりのグレーだ。自称とみて差し支えないのではなかろうか。

 

では一方、ガチ人見知りはどうするのか。

 

とりあえず僕なら、反論もせず、代替案も出さず、とりあえず承知して、あとから多大な労力を注ぎ、それに取り組む。

 

つまり、断るためのコミュニケーションすら、人見知り故に放棄してしまうのだ。

 

案外、最終的に取り組むという意味では、ガチ人見知りの方が生産性において勝っている気がしなくもない。

 

だがとりあえず、何かしらの『言い訳』として『人見知り』を連呼する輩は、まず間違いなく『自称』である。

 

僕らにとって、人見知りであることはただの恥部である。むやみやたらに喧伝するわけがないのだ。

 

誰かの同情を買うために使う。

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極たまに、こんなコメントが僕のSNSに流れてくる。

 

『人見知りでコミュ障だから、マジで辛い。。。。』的な。

 

そして、『そんなことないよ!』の嵐。それに対して『ありがと!』と返す投稿者。

 

この時点で僕は胃袋が酸っぱくなる。何の茶番なのだろう。

 

『人見知り』という特性を大っぴらに公表し、慰めとか同情を集めようとしている方は、きっと『人見知り』ではない。

 

ただ注目を集める手段として、それを騙っているだけである。中身など入っていない。

 

だから僕は、イイネ!は勿論、一切のリアクションを返すことは無い

 

さっきも言ったが、僕らにとって『人見知り』とは、全力で隠したい恥部である。SNSという舞台で晒すワケが無いのだ。

 

人見知りでコミュ障が辛いのはまだ分かるが、そんな、【死ぬかも】という程に思い詰めるとか・・大げさが過ぎる。

 

ということで、多くの耳目を集めるための手段として『人見知り』を自称する方も、もれなく怪しいと述べておく。

 

自分のセールスポイントとして使う。

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合コン等の出会いの場で、人見知りを自称する女性が多いという。トムとジェリーのシーンみたく目玉が飛び出しそうだ。時代、変わり過ぎだろう。

 

人見知りを自称すると何か良いことがあるのだろうか?そう思って色々考えてみると、確かに利点は閃いた。

 

まず、この世はもはや草食系と呼ばれる男だらけだ。日本男児が腑抜けたというより、他に黒すぎる要因があると思うが、それはまあいい。

 

彼らは恋愛において、主導権を取ろうとはしない。気が強い、鼻っ柱が強い女の人は、色々怖いので敬遠する。

 

そういう男に取りなすのに、『人見知りですよ、おしとやかですよ』と触れ込むのは確かに有効である。

 

また、『一歩引いて男を立てます!』的な、昨今口にすれば一部勢力からタコ殴りにされそうなワードを、柔らかく伝える術でもある。

 

『私、ガサツです!』よりも、「わたし、人見知りなので・・・」の方が、何となく好印象なのは、分からなくもない。

 

では、何故こういうことを言う人が、『自称』だと分かるのか

 

まず、ガチ人見知りは、こういう場に顔を出さない。いや、出せないというべきか。

 

無理やり引っ張られるとか、知人が過半数とかならまだしも、知らない人だらけの輪にアウェーで突っ込む猛者は、そういない

 

仮に突っ込んだとしても、『僕人見知りです』なんて言わない。それは、絶対的なマイナスポイントだからだ。

 

ただでさえハンディキャップを背負って臨むのに、自分の恥部であり弱点であり黒歴史である部分を、一発目で晒すワケが無いではないか。

 

格闘技において、『僕は蹴り技に弱いです!』等と宣言してからリングに上がるバカがいないのと同じことだ。

 

―ということで、ガチであればあるほど、こういう場には来ないものだし、来ても絶対に人見知りと言うワードは言わないものだ。

 

僕もなんだかんだで集まりに参加したことが5回くらいあるが、おのずから口走ったことはただの一度もない。

 

まとめ。

 

結局、名前などが分かる場において『自分、人見知りっす』と言うこと自体がそもそも怪しいと分かる。

 

それを言うことによって、手に入れたい何か(逃避・評価など)が察せるのなら、『確定』と見ても差し支えないだろう。

 

ガチ人見知りにとって、バレるかバレないかは死活問題だ。出来ることなら、隠したまま死んでいきたいものである。

 

この世に自分が本気でコンプレックスに感じているものをバンバン晒せる人、何人いるんだろう。

 

―ということで、結構雑ではあったが、僕なりの考察を終わりとする。