昨日書いた記事の続きを今日は書いちゃうぞ。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
人見知りやネガティブはいわゆる『リーダー』とは程遠いと考えられがちだが、その定義だけを純粋に取り出せば、それはダウトだと以前書いた。
”リーダーたるもの、豪放磊落な性格で、ポジティブ全振りな性格を持ち、背中で理念を示しながら走っていくものだ。”
・・・そんな価値観が闊歩しすぎたせいで、『そうじゃないならリーダー失格』という文化レベルの暴論が生まれた気がするほどだ。
その性格の真逆を行くリーダーなどごまんといるのに・・・。
ってことで今日は、『ネガティブで人見知りでヘタレなのに』組織を任された際に知っておきたいノウハウを、試してみて実際に効いたものに絞ってご紹介する。
- ブチ切れずに反省のない部下を追い詰める方法。
- 人を動かす感情は『尊敬』と『畏敬』とあと一個。
- ネガティブでヘタレで人見知りだろうが関係なく必要なのはアレだ!
- 終わりに。:『リーダー像』は既に変わりつつある。
ブチ切れずに反省のない部下を追い詰める方法。
ミスした部下に対して怒れないと嘆く人は多い。正確に言えば、強い言葉で指導を入れられない、というところだろうか。実際僕もそうだ。
僕も感情的にブチ切れたことなどありはしない。でもだからといって、全てのミスを受け流したり、笑って許したりすれば、段々ナメられるようになっていく。
それにそもそも、怒られてもケロッとするタイプは、そこに捻じ込んでくる可能性もあるから厄介だ。例えば怒れば『パワハラ』と居直る強心臓もたまにいる。
そうなればどっちが劣勢なのかわかりはしない。ってことで覚えておきたいのが、ミスの報告を受けた際、こう尋ねることだ。
『それで?』
―心理術の類はかなり読んで実践もしたが、一番簡単で効くのは間違いなくこの一言だと思う。
『あの資料忘れてました』『それで?』
『渋滞が途切れないんですよ!』『それで?もう先方は来てるけど?』
みたいなのが使用例。仮に『どうしたらいいですか?』と返されても、
『それを聞いてんのはこっちなんだけど。』
と取り合わない。泣きを入れたら、やっとこさ指示を出す、ってところ。言い訳を全部言わせて、それでも詰め寄る。
これに必要なのはサイコパス性でも強心臓性でもなく、ただのオウム返しなので、知っておきたいフレーズである。
―ちなみにそれでも開き直られたらどうするか?とある本には、【騒ぎを大きくして責任を問え】という助言があったなぁ。
例えばとある一般社員に反旗を思い切り翻され、売り文句に買い文句で一歩も引かない泥沼になったとき、その上司に処分を下したというケースが紹介されていた。
騒ぎを大きくするのは最終的に実を取る基本と指南する本もあるので、手段として知っておくのはアリかもしれない。
人を動かす感情は『尊敬』と『畏敬』とあと一個。
人を動かすために必要なファクターは色々だが、一番すぐに浮かぶのは『恐怖政治』ではなかろうか。
特に体育会系は、『恐怖』と『同調圧力』でメンバーが繋ぎ止められている側面がある。悲しい話だが、体罰まがいの指導は、まだまだ消える気配がない。
しかし、"仕事"という関係にそれを持ち込むのはマズい。少々高圧的な態度に出ただけで【パワハラ】と居直るヤツだって、たま~に報告される世の中だ。足元を掬われる。
―『ダークサイドスキル』という本に書いてあったが、リーダーシップの基本は『畏敬』を持ってチームを纏めることだとあった。
『嫌われること』と『恐れられつつ尊敬されること』は別物という意味で、なるほど威厳のあるリーダー像を浮かべれば、その要素はバリバリに感じ取れる。
そのためには、信念を表明し、それを何があっても行動で示し続けるしかないのだという。もちろん簡単な小技もあるが、それだけ伝えても誤解を生むので割愛。
・・・ とはいえこれもやはりキャラだし、非常に時間がかかる。だからもう一つ、『人を動かし得る感情』について伝えたい。
ちょっぴり響きがダークだが、それは『罪悪感』だ。返報性なんて言い方もするが、根っこは同じ。
『悪いことしたな・・』『よくされたからお返ししないとな・・』というアレである。これを意識して与えられれば、お願い事という設定で結構指示が通るという。
実際それを狙ったわけではないが、生徒の不注意で代わりに僕が怒られたり、メンバーを集めて盛大に飯を奢ったりした後は、彼ら彼女らの反応がマジで変わって驚いた。
どうしても『嫌われきれない』ときは、意識して採用してみてはどうだろうか。
ネガティブでヘタレで人見知りだろうが関係なく必要なのはアレだ!
最後に、基本的だけどここを抜きにアーダコーダ悩む人が多い『盲点』について触れておく。(盛大な棚上げなのは前提ですが)
ぶっちゃけ、組織レベルでも個人レベルでも、どうしても求められるのは『結果』なのだ。結果が出てなければ、まずはそれを全力で出せという話。
もちろん『結果を出すため』という意味での努力や命令なら納得は得られるだろうが、それが出なかった時は目も当てられない。
まだプレイヤーである時点で結果は出しておかないと、どんなリーダー論の机上の空論に終わる。もう一度言うが、組織レベルでも個人レベルでも、だ。
・・・ちなみにこんなことを書いている僕はどうか?
現時点ではあるが、去年から売上や顧客数、定量評価できる点は10%ずつくらい伸ばせている。本で得た知識を実践しまくったおかげだと思うが、何よりも・・。
献身的に頑張ってくれるメンバーのおかげだと本気で思う。
結果が出れば信頼が生まれ、それがまた結果を生むのではないだろうか?猜疑心が蔓延ったチームは悲惨だ。強く覚えておきたいテーマである。
揚げた足は掬われるし、伸びた鼻は叩き折られる。謙虚を拗らせてネガティブになるのは僕の得意技だ。気を引き締めて、2020年度を締めくくりたい。
終わりに。:『リーダー像』は既に変わりつつある。
かつては完全なるトップダウン型が理想の組織図でありリーダー像だと考えられていた。
その辺はフィクション世界の悪の組織の内部構造や、日本に約700年くらい続いた幕府というシステムをみてもよくわかる話だ。
しかし、大体10年くらい前から、いわば野球チームの監督みたいな型が注目されるようになった。
個性に合わせて選手を配置し、場面や相手に応じて調整する。そして主役は、監督ではなく選手。
いわば、『活躍する側』が完全にチェンジしているのだ。そしてこれは、トップダウン組織で生きてきた人間には、全く相容れない価値観でもある。
かくいう僕は昔、体育会系グループに結構長いこと属していたのだが、『俺はこういう価値観の組織じゃ上に立てないなぁ』ってのはその時点から感じ取っていた。
その時代だったらリーダーは諦めるしかなかったろうが、今は別のリーダーモデルを目指せば良いわけで。
なんかそういうのが伝わっていたらウレシス。
では今日はこの辺で。