ずっとずっと昔から、人間は『不安』に取り憑かれているようである。(過去の文献とかを読むとよくわかる)
それへの向き合い方は人それぞれだ。ある人は徹底的にそれへの洞察を深めていくし、また別の人は、考えても無駄だからと思考から消すこともある。
しかし、ネガティブで人見知りと言った負を備えて産まれた身としては、上記のどちらもあんまり響かない。
『不安』を徹底的に考察しても、多分僕は胃潰瘍か鬱に突っ込んで終わりだ。
また、考えても無駄だと理屈で納得はしているが、ふとした間にそいつは何度も何度も忍び寄る。
どう考えても活かす方法が出てきそうにない。第一印象でそう思われるのが、この言い知れぬ『不安』というヤツである。
しかし、だ。
ここ最近、いい加減僕もコイツの使い方がわかってきた。そういう自負がある。
20年以上向き合ってきたんだ。そろそろ僕が振り回される一辺倒なのもここまでにしたい。
ということで今日はそのハウトゥーについて、順を追って説明していく。
まずは『不安』を分類しよう。
すごくざっくり言えば、不安は2つに分けられる。
『起きていない将来への不安』か、『行動すれば打ち消せる不安』か、である。
例を挙げる。前者であれば、『親が倒れたら・・』とか、『空き巣に入られたら・・』とかそんなである。
こういうのは、いくら過去や現在を分析しても、正確に予測するのは不可能だ。
100回コインを投げるとき、99回目までのパターンを分析しても、絶対に100回目を確実に言い表せないのに似ている。
だからこそ、考えても無駄と割り切ることが必須だ。しかし、そうは言っても簡単には切り替えられない。良く分かる。
オススメの方法は、『何かしらに書き殴る』ことだ。霧のように実態のない不安を、出来るだけ言語化するのは、精神の安定に効果的である。
色々な書籍等によると、目安は『10~15分程度書き続ける』ことだという。
僕もたまに、このブログで自己の不安について書き散らすことがある。終わってみると確かに、気分が結構落ち着いているのを実感する。
他者の不安を『しょーもな』と一蹴できても、自分のそれをそうできないのは、客観的に不安と言うものを見られていないためだ。
活字にすることで、不安を自分の頭から取り出して冷静に考えることができる。客観的に見つめれば、杞憂な不安を滑稽に感じられる。
そういう意味で、前者の対応として、僕は『書き殴る』ことをオススメする。
では、後者はどういったものが挙げられるか。
例えば、『テストで苦手な単元が出たらどうするか』とか、『まだ○○さんに電話をしていない、ボヤが出たらどうしよう』とかである。
身も蓋もないが、これについてはとっとと行動してしまえば良い。自分が動けない理由が『個人的な感情』であれば尚更だ。
『めんどくさいから勉強したくない』とか『人見知りで恥ずかしいから電話したくない』とか、人から言われたら腹が立つことと思う。
しかしながら、こうしたタイプの不安は、行動して原因を潰すことが特効薬だ。或いは、対処法をネットなどで調べるだけでも効果はある。
冷静に不安を捉え、大体で構わないので2つに分ける。まずこうするだけで、『不安』とやらをポジティブに活かせる一助になる。
是非試してみてほしい。
『やらかした後の不安』を軽くするために。
フィクションの世界の登場人物でない限り、色々なことをやらかすものである。
物を壊す。資料を忘れる。借りたものを返し忘れる。程度の大小はあるが、人間ミスは必ずするものらしい。
心が強い人は『ま、何とかなるっしょ!』でミスを全く引きずらない。羨ましい。
達観した人は、『これもまた勉強。』と受け止め、ミスを更なる高みへ昇華する。羨ましすぎる。
では、僕らはどうなるか。きっと種々雑多な不安が、脳内にムクムクと立ち込めてくることだろう。
『今度もミスしたらどうしよう』『これで査定に響いたらどうしよう』『Twitterでけちょんけちょんにされたらどうしよう』
等々。一度思考がネガティブのレールに乗ってしまうと、簡単には降りられないのが僕らの性だ。
豪放磊落な思考も、高邁なそれも、僕らにはあまりハマらない。ではどうするか。
僕はよく、『最悪な事態を想像し、それよりマシ』と考えるようにしている。
絶対的な基準であれば『やらかした』ことも、もっとヤバいことと相対的にすれば、『案外マシ』に落ち着くものだ。
では、具体的にどうするか。
例えば、仕事で資料を作りそびれ、叱責されたとする。
僕はこう考える。
『良かった、叱責で済んで・・。減給やパンチを食らわなくて本当に良かった・・』みたいな。
事実より遥かに悪い状況を想像することは、僕らの得意技だ。それに比べれば、大体何でもマシなのである。
二日酔いでぐったりしていても、『まぁ脳卒中とかよりマシか』と考える。
お金が無くても、『まぁ闇金に突っ込んで893に追いかけ回されるよりマシか』と考える。
こういうのをネガティブマネジメントと称する本や記事を見たことがあるが、結局はより悪いことを考えるだけである。
『不安』をポジティブに活用する例として、ちょっと応用にはなるが、上記の方法もオススメである。
終わりに。
『不安』は良くないものだとよく言われる。僕は『そうかな』と感じてしまう。
バカとハサミは使いようという言葉があるように、要は何事も使い方なのだろう。
『不安』だって捉え方と活かし方をちょこっと変えるだけで、ポジティブに使いこなすことは可能なのだ。
―実は今回ここに書いたことは、ある意味『誰でもできそうな』範囲に留めた。
僕が実践したり、他所に書いてあったりしたことで、もっと難しく、でももっと建設的にそれを飼い馴らす方法はまだ少しある。
それはいつか機会があれば認めたい。
ということで、今日はここまでとする。