僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

成長と満足のためには、競争相手って自分一人で良い。 ―俺に勝てるのは俺だけだ、だって俺しか競争相手いないんだもん―

僕は今29歳なのだが、なんか色々と自己ベストを更新し続けている。

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例えばこないだジムに行ったとき、マシンプレスの重量は10代の時より成長していたし、久しぶりにセンター試験の日本史を解いたら、現役の頃より点が上がってた。

 

見た目や視力、体調の悪くなりやすさといった要素は、確かに歳を取ったなぁと思う場面はあるが・・。鍛えたら何とかなる部分は、まだ伸びしろがあるらしい。

 

何が言いたいのかというと、こういう過去の自分との比較ならば、成長と満足が同時に達成できるよねと、最近やっと腑に落ちたということである。

 

自分で勝手に壁を作り、自分でぶっ壊していく。この繰り返しこそが一番楽しい人生のカタチの一個じゃねぇかなと。

 

今日はそんなことを書いてみます。

 

 

昨日より今日の繰り返しで良い。

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どうしてこれを強く思うようになったのかというと、どちらもたまたまなのだが、そういう体験をしたってことと、そういう思想を知ったってことが大きい。

 

まずは前者から。

 

これまた私事なのだが、最近日課の筋トレの重量や回数を記録に取るようにしている。そうすることでモチベアップや管理に繋がると、色んな人が言っていたからだ。

 

実際これは結構面白い。『今日は前回より1回多く懸垂をしよう!』と言った風に、小さいゴールが毎度毎度目の前に設定される感じがして、不思議と頑張れるのだ。

 

そしてこないだジムに行って、マシンプレスの重量において、自分が挙げたことのない数値に設定し、念入りなアップの上に挑んでみた。

 

結果は見事達成。1回しか上がらなかったが、自己記録更新という喜びと達成感が、全身にじわじわと広がっていったのを強く感じられた時間であった。

 

そして後者について。

 

レーニングが好きなので、最近は筋肉系YouTuberばっかり観ているのだが、皆もちろん記録にストイックである。

 

だがふと気付いたことがある。彼らは、自分の重量や回数といった記録には熱意を燃やすが、他人の数値に対して一喜一憂をマジでしないのだ。

 

正確には、自分より重い数値を叩き出す人に心の底から『すげぇ~!』とは言うものの、感情がそれ以上派生しないのだ。

 

例えば、『だから俺は未熟だ・・』と落ち込むことは無いし、『でも、あなたより○○さんのがすごいっすよ!』と謎のマウント取りもしない。

 

コメントのタイプとして一番多いのは、『○○くんはすごいねぇ、それを見習って、俺も自分の記録更新に挑みます!!』という感じ

 

つまり、他者の記録を自分と比較せず、あくまでも自分のモチベーションやパフォーマンスの向上の一助に使う程度に留めるということだ。

 

まさに大人の対応ということであり、そこに無駄に張り合ったり落ち込んだりというのはまだまだ子供、ということなのかもしれない。

 

ただ、『競う』という言葉をこれくらい割り切って捉えられれば、成長と満足を同時に達成できて最高だと思える。

 

となれば究極、自分がガチで勝ちに行きたい相手って、『自分一人』で十分だよな、と。僕みたいなネガティブには思えてならんのです。

 

次はそれについてウダウダと。

 

自分に優しくする人が高みに上る説。

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10年くらい前に気付いていたかったが、他者と自分の比較はマジで意味がない。でも、それを勝手に『じぶん』とのバトルに引きずり込めていれば、話は変わる。

 

例えば、あなたにあるライバルがいるとする。ちなみに能力はほぼ拮抗、ただし相手のがちょい上程度としよう。

 

単純に考えれば、『そのライバルに勝つこと』を目標に努力すれば良さそうな話だが、少年漫画見たく打倒して終わり!みたいな綺麗な感じにはなり得ない

 

相手のメンタル次第だが、勝った負けたのやり取りが拗れれば、復讐のステージに移ることがある。

 

相手が根に持った結果、個人攻撃とか、弱点にマウントを取ってきたりとか、面倒なバカに変化しちゃうのだ。

 

そしてこれは、自分もそうなるリスクを秘めている。相手に挑んで負けたとき、自分がその相手の足を引っ張らないという確信、皆さんはあるだろうか?(僕は無い)

 

ではどうするか?先ほどの例で言えば、自分との競争に勝手に変えれば良いのだ。

 

しかもこれは思った以上に簡単。まず、相手の力量を冷静に分析・数値化する。(ちなみに数値化できない場合は、比べても無駄なことがあります。顔の良し悪しとかね)

 

そして、その数値と自分の力量の乖離を冷静に見つめる。ただし比較のためではなく、戦略を考えるためだ。

 

テストの点を例にとれば、相手が現状400点取っているとして、自分はどうやってそれを超えにかかるかを考えていく。

 

相手は数学で100点でも、国語が60点だとすれば、数学と国語で80点ずつ取ることでまずは並べる。そんな風に考えるのだ。

 

そうして自分で目標数値を設定すれば、もうこの時点で『あいつとのバトル』というより、『自分が達成すべきゴール』に変わっているのだ。

 

更に言えば、『そのために毎日漢字ドリルを2ページやろう!』みたいな風に決めて、『今日達成!やるじゃん俺!』と日々自分を認める。ここまでやれば健全だ。

 

そしてコツは、周りがマウントを取りに来ても取り合わないことだ。弱点指摘とか他者自慢とか、真面目に受け止めれば心が折れる

 

何も考えず、『参考にしゃす!』とでも言っておけばいい。相手は気分が良くなり、こっちは悪影響ゼロ。仮に受け止めても、あまり良いことは無い。(実体験)

 

もう一度コツを言うと、超えるべき相手や目指すべきステージを設定するのは良いのだが、それを自分との競争にシフトし、ゴールを達成し続けることに集中する

 

これが一番健全で、かつ最速で成長を実感できる方法の1つなのだ。比べる相手は自分のみ。他者を介在させない競争は本当に楽しい。マジで。

 

アドラー心理学では、これを『横の関係』とか『共に走る仲間』という風に形容したが、多分同じことである。

 

『いいな』と思うのは勝手だが、蹴落とす・蹴落とされる関係にしてはならない。マジで10年前に気付いていたかったぜ。

 

終わりに。

 

マリオカートで言えば、憧れのプレイヤーのタイムを目指し、延々と自分のゴーストに勝ち続けるようなもの。

 

筋トレで言えば、憧れの重さを目標にして、自己ベストの更新に全力を注ぎ続けるようなもの。

 

他者や理想をゴールにする限り、途上は全て失敗とか不完全とかになってしまう。

 

例えば大学受験とかそれ系で、達成に10年掛かるゴールがあったとして、それまでの期間全てを自己否定とか辛すぎるってばよ。

 

ってことで、『競争』というテーマについて考え続けた僕が、また一個だした答えの話でした。

 

では今日はこの辺で。

 

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