僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

理想像は時として、毒となる。「ああならなきゃ、だめだ!」という思考を止める。

理想の自分像を持っている方はどのくらいいるのだろうか。

 

「良いポジションに就く」とか、「600万稼ぐ」とか、「強いリーダーシップでガンガン引っ張っていく」とか、各々の理想像はまさに十人十色であることだろう。

 

かくいう僕も、理想の自分像というものはあった。かつての話だが。

 

今では、10代の頃に抱いていた理想のほぼ大半を捨てている。

 

理由は簡単で、その理想を実現する為には桁外れの労力が必要なのと、実現できたからと言って幸せになれる気がしなかった為である。

 

ということで今日は、ネガティブ色強めな話題ではあるものの、「理想像」を捨てることのメリットとかその辺を書こうと思う。

  

 

理想をマイナスっぽく言うと・・・。

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『理想』という言葉は『目標』と同義に聞こえるが、辞書で引くと意味が少し違っていた。

 

目標=あくまで目的地であり、行動の指標となるもの。

理想=もうこれ以上ないほど完璧な、自分の到達点。

 

だという。

 

もうこれ以上ないほど完璧な地点は、ハッキリ言ってしまうが理想郷とか絵に描いた餅とかと同じで、存在することなどあり得ないと僕は考えている。

 

『理想を目指す!』は言い換えれば『絶対行くことのできないところを目指して歩く!』という意味である。

 

正直言ってすごく無駄なゴール設定に思えてしまう。

 

勿論、本音が「高い理想を掲げてそれを目指すことで、本当は過程段階にある真の目標をしれっとクリアする」とかならば、無駄ではないと感じる。

 

ただ、目標レベルにまで落とし込めない理想は、正直言ってただ追い求めるだけで苦しくなる、枷みたいなものだ

 

 

 

僕がひねくれているといえばそれまでだが、そう思うに至る根拠はある。

 

とりあえず、以下からは僕が捨てた理想を2つほど、過程を添えてご紹介しようと思う。

 

ポジティブ人間への変化。

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要するに、生まれ持った気質とかをガン無視して、世間が理想とする性格へ己をチェンジしよう!という考えである。

 

確かに、10代の頃は人見知りを拗らせたが故に、セピア色の青春に終始してしまった記憶がある。

 

だから20代に突っ込んだあたりから、必死で地の性格をブレイクしようと努力してみた。

 

しかし、どんな良書を読もうとも、どんな勇気を出して本音とは真逆なプラス言葉を吐こうとも、結局直ぐに素の性格に逆戻り。

 

行動に移せば移すほど、自己否定感というか、自分で自分を「駄目だねぇ~」と評価し続ける気分になってしまった。

 

考え方は変えられるという考え。これが色々と間違えているというのは、割と最近気付いた

 

20年近くかけて構築した性格は、もう根本から変えることなど不可能。

 

できるとしても、仕事中とか、スイッチが入った時のみだろうし、それだけでもできれば十分だ。

 

それに、思ったよりポジティブ全振りな性格だと、付き合っていてめんどくさい。

 

ということでもう僕は、この性格と上手いこと折り合いをつけて付き合っていくことに決めている。

 

基本ネガティブとか人見知りとかの性格に自分を置いておき、必要に応じて別のキャラを使うなりして押し引きする。

 

これが一番楽だし、なんだかんだで上手くいっている。

 

テンプレな恋愛とか。

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10代では甘酸っぱい青春を甘受して、人並みに恋心とかいうのを学んで。

 

20代半ばからそれとなく今後を意識して、20代後半でゴールイン。

 

子どもは2人。閑静な住宅地に家を建てて、家族水入らず仲良く暮らす。

 

絵に描いたような、人生の流れである。

 

ハッキリ言うと、僕はこのプランで人生を運ぶことに、つゆほどの魅力も感じていない。

 

むしろ嫌である。何というか、そもそも論として僕はこういうのに向いていないから。

 

10代の頃は、あまりにも彼女はおろか女友達すら出来ない状況を苦に思い、如何にすればモテという謎属性を得られるのかと腐心していた時期もある。

 

しかし結局、モテるテンプレみたな男像は僕とは対極の人間であった。もはや鍛錬でどうにかなる範疇ではない。

 

ガリガリの人が力士を目指すような、結局は身の程知らずな努力だったと感じる。

 

あまり語りたくないが、人生では4回程そういうイベントで爆死したことがある。

 

すべて原因は僕自身の魅力のなさに起因するのではなかろうか。

 

すごくやんわり「駄目ですよ」と言ってくれたあの人たちに浮かぶ想いは、正直「すいません」と「ありがとう」である。

 

さて。こういった経験を通じて僕が得たものは何だろうか?

 

・・・とふと考えてみた時に、僕はこの理想(意中の人を見つけてうんぬん)を捨てることを決めた。

それは何故かというと、「何も得られていないから」である。

 

「かけがえのない経験だよ!」という人も居るかもしれない。だが僕はクズなので、俗的なことを言う。

 

"お金とか時間とか計画を練る労力を投下して、結果ただ心に傷を負うことが、かけがえのないことだと言えるのか?”

 

あとは、首尾よく言って付き合えたとして、その後のプランが浮かばなかったことも致命的だ。

 

僕は何くれと面倒を見られることが実は嫌いで、自分の裁量が及ばない領域が増えることを忌み嫌っている。

 

勝手に部屋を掃除されるとか最悪である。

 

あとは、友人がデートの思い出なんかを語るのを見る度に、「貴重な休みのはずなのに優しいヤツだなぁ」とか裏側ばかり僕は考えてしまう。

 

性根がどこまでも腐ってしまったようだ。



纏めれば、数多の資本をつぎ込まないとそういう相手や生活は得られない上、

 

その暮らしが僕にとって全く魅力的ではないことに気付いてしまったのが決め手であった。

 

ただの僻みと言えばそれまでだが、この理想を捨てた途端から人生が開けた気は無茶苦茶している。

 

ちなみに、僕の一族はきっと弟がなんとか繋いでくれると思うので、一家断絶については気にしないようにしている。

 

終わりに。

 

今回は賛同を得られそうにない、ただの闇を書いた記事になってしまったが・・・。

 

理想像を追いかけ続けることに疲れている人がいたら、是非ハードルを下げてみるか、そもそもとして見切りをつけるかしてみてほしいと思って認めてみた。

 

諦めるなよ!というメッセージがよく使われるのを見るが、諦める方がハッピーになったり後悔がなかったりするパターンもまた、意外と多いものである。

 

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