僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

コミュ障が悪化するかもよ?コミュニケーションにおける無駄な努力と勘違い3つ。

今日は、『人見知りがやらかしがち』な、『コミュニケーションの間違った努力』を伝えようと思う。

 

今でこそ色んな本を読んで、勇気を振り絞って実践して、『タダシイ』努力を繰り返した結果少しは話せるようになった僕だが・・

 

ちょっと前までは酷かった。自分では良かれと取り組んでいた努力は、今振り返れば『コミュ障を悪化させかねない』なぁと。 

 

だから、僕と同じ轍は踏まないでほしいという願いを込めて、黒歴史に近い努力の軌跡を以下冷や汗を流しながら紹介する。

 

 

  

①ウンチクを蓄えても、割と無駄。

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僕が中学生の頃がまさに、トリビアの泉』の全盛期であった。その後押しを受けてか、『雑学』なるものを覚えることが流行ったものだ。

 

トリビアとは『取るに足らない』という意味であるが、そんな知識を披露すれば男からも女からもウケたのが中学時代だ。

 

塩と砂糖を同じ量だけ混ぜたら超しょっぱくなるとか、サケは実は白身魚だとか、そんなの覚えてどうするの?と問うのは野暮だろうか。

 

それはさておき、自己肯定が苦手とか、他者評価に依存しているとか、ちょっと悲しい気質を僕みたく背負ってると、先の経験は、

 

雑学を覚える→披露する→ウケる→認められる!

 

 

という論理でつながっていく。『へぇー』と言わせた数に比例し、学校という組織においての社会権は強くなる。そんなイメージだろうか。

 

だが、人と会話するという経験値の不足を、雑学を覚えるという自助努力で補うのは、はっきり言って無駄だ。僕が言うのだから間違いない。

 

何故か?どうでもいいウンチクを語られる側に立てばわかる。そこまで面白くはないだろう?

 

アレがウケるのは、周りが優しいときくらいだ。それか、キャバクラか、自分が一番年長の飲み会くらいではなかろうか?

 

実際、高校から大学にかけて、こういったトリビアを活かす場面は減っていった。何というか、悲しい話だが真理である。

 

浅くどうでもいい知識をひけらかすのは、控えた方が良いだろう。求められたときに少しだけ、程度で言い。

 

結果得られるのは、『物知り』という当たり障りのない称号だ。「ただ言葉を知っているヒト」という以上の、例えば尊敬などの意味は、この中には無い。

 

くだらない話は、するのではなく、させる。これが会話の心がけ!

 

―とよく本に書いてあるくらいだ。試しにそういう本を立ち読みしてみよう。言わんことが分かると思う。

 

②黙って聞くだけじゃ、流石に・・・。

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『人の話は黙って聞け!』といわれる。だがこれが正解なのは、一対多数の講義の場くらいであろう。

 

本当の正解は、会話を促す相槌を上手に挟んで、相手が論を展開するアシストをすること、だという。

 

つまり、『へぇー』とかだけに終始し、しっかり聞く"だけ"なのはぶっちゃけ無意味だ。たまには聞き返さなければならない。

 

かつての僕が、どうにも会話が弾ませられなかった原因は実はココにあった。

 

反応が無いなら、話したくないのは当然。そんな奴に喋るなんて、ぬいぐるみに話しかけるより辛いものがありそうだ。

 

―こんなことを言うと、『でも、しっかり聞かないと、感想とか言えないじゃないか!』とか言う真面目な反応を言われることもしばしばだ。

 

逆に聞くが、『今の話を聞いてどう思った?』と言われたことがあるだろうか。特に酒席で。

 

杞憂過ぎる。言われたらどうしよう?と言われたら、全力で『勉強になりますう』とでもいえばよい。

 

或いは、バックトラッキングで、『聞いてマスヨ』というシグナルを送ればOKだ。やはり問題は無い。

 

ちなみに、そういう念押しをしてくる人が求めているのは、ほとんどの場合きちんとした感想ではなく、ヨイショである

 

自己重要感を満たしてあげる練習と思って、相手してあげればいい。

 

―ということで、話を聞くのは良いことだが、黙るのまでいくと最悪である。極端なところに自分を置かないよう気を付けよう。

 

③エピソードトークは娯楽に留めろ!

 『すべらない話シリーズ』が大好きである。この間も一人で笑い転げていたくらい好きだ。

 

こんな話ができたらいいなと思う人は多いのではないだろうか?話術でウケを・・とかそういう淡すぎる夢。

 

僕もそういう努力を重ねたものだ。何度も番組を観て、面白い話の論理構成とかを考えてみたりもしたものだ。

 

・・だが、口下手がそんなことを夢見るのは、ガリガリが力士を目指すより儚いものだ。むしろ滑稽といえるかも。

 

特にコンパの席だと最悪だ。自分が会話を3~4分独占し、全員が耳を傾けるなんてことはあり得ない。そう思おう。

 

ただ万一それができてるなら、実際は相手しないとめんどくさいと思われているか、超絶良い話をしてくれるという評判が立っているかのどちらかだ。

 

前者か後者かは、会の雰囲気から察しよう。

 

じゃあどうすれば良いのか?口下手がトークを磨かなくてどうする!?と涙目で訴えられそうだが、その辺の心配は要らない(らしい)。

 

相手に気持ちよく"喋らせれば"良いのだ。その辺の方法論も研究論文も、星の数ほどある。

 

僕らに必要なのは、喋る技術じゃなくて、喋らせる技術である。

 

自分が喋れないとつまらないかもしれないが、相手がぶわーっと話してくれている間にメシも食えて酒も飲めて、結構良いことが多い。

 

繰り返すが、エピソードトークの技術など要らない。その辺は娯楽で楽しめばよい。そう割り切ろう。

 

その代わりに傾聴の技術を勉強しよう。そちらの方が、コミュニケーションを取るという意味において、遥かにメリットが多い。

 

終わりに。

 

書いていて変なテンションになった。ここに書いたことは全て僕がやらかしたことで、黒歴史として抱え込んでいたものだ。

 

だが、活字化すれば気持ちが晴れるのは本当だった。やっとこの過去を墓に葬ることができそうである。

 

ちょいと恋愛だの酒席だのに偏ったが、方法論としては対話全てに使えること。1:1でも可能である。

 

ここに書いたことがあなたの学びになってくれれば、僕のブラックヒストリーにようやくケジメを付けられる。

 

ただ他にもまだまだ埋葬待ちのそれらがあるが・・・。そっちはおいおい葬るとしよう。

 

―できるかどうかは別問題、だけども。