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人見知り的 もののあはれなる人生訓

人見知りの人見知りによる人見知りの為のなんちゃら。

脱人見知りの為にも。 読書のススメ

本を結構読むようになった。

話がごちゃつくので、この記事においては、本の中にマンガは含まないとする。

 

小学生や中学生の頃は、教科書に載っている文章以外は読まないほど、活字に親しみが無い子どもだった。数少ない例外は、読書感想文を書くために読んだ「老人と海」くらいのものである。親から坂本龍馬の伝記や、13歳のハローワークを買い与えられたが、開くことなく終わってしまった。

 

高校生の頃はややマシになった。流行りのラノベや、太宰治人間失格も読んだ。といっても、後者は40ページくらい読んだところで気が沈みまくり、読むのを挫折するくらい、活字が得意になったわけでもなかった。

ちなみに、この人間失格も読書感想文の課題図書だったのだが、この本の40ページ弱の概略と、ラスト3ページの要約を適当にまとめただけのものを僕は提出した。

それがたまたまクラス代表の作文になりかけたことがある。他の奴らはどんだけ手を抜いたんだ!と思ったが、読書感想文を全力で書ける高校生の方が少数派か。尚、僕は代表の座を全力で固辞した。

 

その一方で、友人に何人も1年に50冊以上読むヤツとか、村上春樹西尾維新とかよく知らない人が書いた本を語れるヤツとかが居たので、活字苦手な僕はきっと、類は友を呼ぶの例外パターンか、と思った。

 

しかし最近は様子が変わった。

Amazonで中古本を買いまくり、冗談抜きで1年に50冊くらい、そしてそのそれぞれを3~5回読むようになったのだ。時たま本屋に行っては、一目ぼれして本を買ってしまうこともある。思春期真っ只中の僕からは想像できない姿である。

14歳の僕に五木寛之の「大河の一滴」を渡しても、10ページくらいで飽きるのではと思う。今は喜々として2日で読み切ってしまう自分とは大違いだ。

 

そしてこの習慣になって数年経つわけだが、僕自身に色々な変化が起きてきたのを感じる。主に内面の話で。

 

ということで今日は、大層なタイトルだけど、僕が読書好きになった経緯とか、それによって得た恩恵について、徒然なるままに書いていこうと思う。

  

活字離れの若者が本を手に取るまで。

 

本が好きだと自信を持って言えるようになったのは、大学3か4年の時のことで、白状すると結構最近のことである。それまでは、読み切った本は「腐女子彼女。」と「ひぐらしの鳴くころに」の、鬼隠し編のみというほぼ2種類のみである。もっとあったかもしれないけど、記憶にあるのはこの程度である。若者の活字離れをこれほどまでに見事に体現した自分を、褒めちゃだめだが誇ってもいいかなくらいの気持ちはある。

 

しかし、だ。

たまたま友達の同伴で入った本屋で、とある本を見つけた時、著者とタイトルを見て人生で初めて書物の衝動買いというものを経験した。

 

それがこれ。

ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた  そしたら意外に役立った (ノンフィクション単行本) ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った (ノンフィクション単行本)
堀江 貴文

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堀江貴文という人をご存じの方は多いと思うが、著作があることまでは実を言うと僕は知らなかった。そしてこのタイトルである。この日までは、実は「読書は大事だよ」と結構言われ続けていたし、重要性だけは何となくわかっていたけど、「何がどう大事なんだよ」という答えを誰も言ってくれなかったので、結局は持ち前のめんどくさがり気質が勝り、活字を読むということをしてこなかった。正直、ぢっと本を読むくらいなら、ゲームしたり寝たりしてる方が有意義とさえ思っていた。

しかしこの本の中には、本を読む”意味”、もっといえば本を読むことによって得られる”利益”のようなものがあると直感で思った。歯に衣着せぬ発言をテレビでしていた彼を知っていたからこそ、そのイメージからこう思えたのかもしれないけど。

 

さて、長々と書いてしまったが、その効果はてきめんだった。色々とわかった。あまりにも新しい発見が次々飛び出すので、1時間ちょいで読み切ってしまった。

この本には、読書の意味とか意義とか、平たく言えば理由みたいなものがおぼろげながら書いてあった。それに関するあくまで僕なりの解釈だが、

 

本を読むことで数多の人の考え方を知ることができる。

問題解決のアプローチの仕方を増やすことができる。

手の届かない世界の知識を知ることができる。

別人物の人生を疑似体験することができる。

表現の手段としての語彙のストックが増える。

自分の悩みの処方箋みたいなのがわかる。

学校では教えてくれない情報やノウハウを学べる。

 

などなど。これらが本を読む意味とか意義とか理由だと思った。

まだまだ思ったことはあり、書き上げればキリがないが、当時の僕が感じた興奮を少しでもわかっていただければ幸いである。ちなみにこの本には、彼のオススメの本のリストが大量に載っていた。実を言うと、何を読めば良いのか、面白いのかがサッパリ分からなかったってのもあって、僕は本を読んでこなかった節もある。一度凋落はしたものの、巨大な会社を経営し、そしてまた這い上がってきた人が良いという本は、きっと面白いのだろうとひとりごちて、とりあえずリストの中でも興味をそそられるタイトルの物をAmazonで何冊か買ってみた。

 

その本は次々と僕の心にハマった。何を読んだか、というのは結構な数になってしまうので割愛。スカスカだった僕の本棚が、どんどんと本で埋まっていった。ジャンルこそ雑多ではあったが、自分が良い方向に変わっていくのを感じて、その過程には非常に心躍るものがあった。

そして主に本を買うのに利用していたのは、通販サイトのAmazonである。これには便利な機能がある。

「これを買った人は他にもこういうのを買ってます」っていうアレだ。一冊ツボった本があれば、関連する本を勝手に提案してくれるのだ。気付けばカートにぶち込んで、カードでしれっと清算する。月に1万円分もの本を買ってしまうこともあった。21歳当時の僕には考えられない状態だ。

今では、本棚1つがほぼパンパンになった。読んでないのを一回処分したが、それでもまた溜まってきた。なんかもう、イタチごっこである。

 

長くなったので纏めれば、僕が読書好きになった経緯は、本を読む理由を初めて知ったこと、何を読めば良いのか分かって、かつそれが自分にとっても面白かったこと、そして大事なのが、これらの答えをそもそも教えてくれたのが本だった、ということになるのかなと。

僕にとっては一番最後の理由が、一番大切な気がしている。

さて、次の段落では、それによって僕の何が変わったかを述べていく。

 

本を読むようになって変わったこと。

 

まず、圧倒的に知識の量が増えた。

それはトリビアの類のものから、実生活に応用利きまくりのものまで、様々だ。しかし前者も結局は、円滑な人間関係を築くのに結構大きく役立ってくれることがあるので、つまるところ読んだ知識はほぼそのまま実生活に活きてくる。

例を挙げれば、ダイオウイカ撮影映像の裏側や、ケプラー予想の証明に纏わる人間ドラマは正直前者だが、ビジネスシーンでの口火の切り方や、1万円を一番有意義に使う方法なんかは、後者に当たるのではといった具合だ。

僕は勉強が実のところ好きではないのだが、興味がある分野の話はびっくりするほどスムーズに頭に入ってくる。僕にとって本を読むという行為は楽しい。楽しいが故に、机に齧りついて鉛筆持って唸るよりも、遥かに素早く大量に知識が入る。それに、楽しいから数時間でも平気でやってしまう。結果、知識がものすごく増える。

結構合理的なシステムである。

 

次に、情報を能動的に得るクセが付いた。これも結構大きい。

今までは黙ってれば誰か教えてくれるとか、分からなければ無視といったもので何とかなってきた。これはこれでかなり恵まれた環境に居たわけだが、これらのツールのみで社会とかを乗り切るのはとても無理だ。ゴムボートで太平洋を渡るようなものである。

しかし、本という情報源は、ネットのそれより遥かに深い情報が書いてあることがほとんどである。無料の情報と違い、金がかかった言わば商品であるため、賛否両論渦巻くテーマじゃない限りデータの信憑性は高い、と思っている。

ということで答えが載っているものを見つけた手前、ぼーっとしたり、分からないのを無視したりしなくても良くなった。自分のペースでとっとと進めるので、実はせっかちな僕の気質にも合致した。

本に書いてある答えを探すばっかだと、自分の頭で考えるクセがつかなくなる!と危惧する声もあるが、自分の頭で考えない人間はそもそも本を読まないと思う。そういう点では僕は別に心配していない。

 

最後に、言葉に詰まらなくなった。

冊数で言えば50冊を超えた辺りから、自分の使える語彙が滅茶苦茶増えたことを実感している。

あの出来事を伝えたいけど、言葉が出てこない!とか。

誤解を招かないように文章を書きたい!とか。

こういう時にはもう四苦八苦の悪戦苦闘だったのだが、最近では本に書いてあった言葉で、かつ頭の中に残っているものを自分なりに引用して、文章を組み立てることが増えた。

結果、昔よりずっとスムーズに文章を作れるようになった。苦痛に思うことも減り、こうしてブログなんてやってることから分かるように、むしろ好きになっている。

あとはさらっと名言みたいなのを、出典を付けて人に話せるようになった。誰かを励ましたい時とかに超有用である。

本に書いてある知識も大事だが、その知識を書き表す為に使われる表現も大事なんだなと、今は強く思う。

 

終わりに 兼 読み方。

 

最後になるが、本の読み方には大きく分けて2つあるらしい。

1つは、大量の本を次々読む、乱読型。

もう1つは、1冊を何度も何度も読む、再読型。

正直この辺は自分の好みによるのだが、僕は実のところ200P近くある本を1回読んだだけじゃ頭にあまり残らないし、同じ本を何回も読むのも好きではない。天邪鬼だ。

ということで最近は、この両者をミックスした感じで本を読んでいる。

 

大体5~6冊を一括で買って、1ヶ月くらいかけてそれら全部を2~3回読む。

んで、飽きたらまた別の本を5~6冊買って、それらを全部2~3回読む。

この繰り返しである。尚、小説はよっぽど伏線だらけのじゃないかぎり、1回しか読まないんだけど。

 

こうすると、再読型より幾分飽きる確率は減るし、乱読型より記憶に残る確率は上がる。両方の良いとこどりって感じだろうか。超気に入った本は5回でも6回でも読むので、「何回も読まなきゃだめだ」とも「いっぱい読まなきゃだめだ」とも考えていない。

 

とはいっても、何かに強制されてすることなど、つまらないに決まっている。本を読むことが苦痛でしかない人は、別に無理して読む必要はない。マジで。

その場合は映像化した作品とか、講演会のCDを聴いたら良いのかなと思うが、適当なことは言わないでおく。

 

さて、今日も寝る前に楽しみにしていた小説を読もうっと。

過去にも言ったけど、親鸞という小説、超オススメです。

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