久しぶりに記事を書こうかなと、いつものWordファイルを開いてみると、そこにはやたら長い記事が既にまとめられていた。
そういえば昨晩僕は珍しく泥酔して、パソコンに向かいしきりにキーボードを叩きまくった記憶があるぞ。
あれは記事を書いていたのか。
ということで、恐らく酔った僕が思いの丈をぶちまけたであろう記事をざっくりと読み返してみた。
文法のミスが見受けられないのに驚いたが、更に驚くべきは大噴火の如く爆発している闇の強さと多さだった。
流石にこれをこのまま投稿すれば、自分が病であると疑われても仕方がない。
かといって、全てを破棄するのは一層勿体ない。
そこで今日は、泥酔時の僕の記事に、シラフの僕が言い訳代わりの解説を、必要であれば添えるというスタンスにしてみた。
自作自演の極みであるが、誰かに響けば良いなと思い、ここで白状する。
- 以下しばらく、酩酊時の僕。
- 己の気質のルーツはどこにあるのか?
- 自身の展望について。(酩酊時)
- 自身の展望について。(シラフ時)
- 僕は僕の血を遺したくないのか?(酩酊の僕より)
- 僕は僕の血を遺したくないのか?(シラフの僕より解説)
- 終わりに。(酩酊の僕より)
- 終わりに。(シラフの僕より)
以下しばらく、酩酊時の僕。
酒を飲めば人格が変わるという。
僕自身は日頃誰かと酒を飲んでいても、一種の豹変が無いらしく、ジキルとハイド的な話を聞いたことは無い。
しかしそれはあくまでも、外面の話。
内面は、幸か不幸か変わる。しかも、かなり。
シラフの僕は酩酊状態の自分との対話を常日頃から切望していた節がある。
だから今日、結構な酒量を胃袋に収めた今、酔ったこの状態でしか吐けない闇をぶちまけようと思う次第である。
後のことはシラフの自分が何とかしてくれるだろう。
ということでテーマフリー、制限時間なしで、酩酊状態の僕が僕を語ることとする。
己の気質のルーツはどこにあるのか?
かつて、異性恐怖症だと語ったことがある。
中学生~高校生までの女子であれば、子ども扱いがまだ利くので、仕事モードに入れば普通に接することは可能になった。
そこは僕の進歩として認めても良い。
しかし、そこを過ぎて、ハッキリと「オンナ」になると話は別。
未だに自然体で会話するだけでも疲労困憊であり、酔っ払っていても、ガールズバーでは人見知りをしてしまう。
そのルーツはハッキリと自覚している。
―20数年前に遡る。
とある幼稚園児だった僕は、その園の運動場で遊んでいた。
晴天ではなく、薄い曇り空だった記憶がある。
ふと気づくと、僕はブランコにて、友達が独り遊んでいるのに気が付いた。
当時は人見知り気質より社交性が勝っていた時期だ。
僕は彼に、一緒に遊ぼうという声掛けをするため近づいた。
刹那、後ろから足音が聞こえた。
タッタッタッタ。
それに気が付いて振り向くと、バリッという音とともに、僕は頬に痛みを感じた。
痛みより、驚きが先立つ。
僕はその箇所を手で押さえた。その掌は赤かった。僕の血で、だ。
顔を上げると、怒髪天を地で行く程の憤怒の形相を浮かべた女子がそこにいた。
そいつは、僕の頬を爪で引っ掻いたのだ―いや、切り裂いたというべきか。
そして僕に、その理由を怒りと共に吐き捨てた。
惜しむらくは、枝葉末節が時と共に風化したことくらいだろうか。
そこから強烈に僕にインプットされたことがある。
オンナとは、感情の高ぶりに伴い、信じられない行動に出ることがある、と。
以来、女性というのが恐くて仕方がない。
いつ僕の寝首を掻かれるかと気が気でない。
頭では理解している。
僕に危害を加えるか加えないかなら、益が無いので加えないに決まっている。
しかし、危害を加える力の有無となれば話は別だ。
今度激昂させることがあれば、身に覚えがなかろうと、次こそ僕は死ぬ。
そういった恐怖観念は、年を幾ら重ねても消えることがない。
20代半ばを折り返した今、僕は猛烈な障壁を感じる。
ここを凌いででも巡り合いたいという異性など、想像もつかない。
僕がテンプレな幸せを投げ捨てている理由は、ここに帰結しているといっても過言ではない。
トラウマは消えないものなのだ。
自身の展望について。(酩酊時)
己の人見知り気質を厭っていた時期がある。
主に大学生だった時期の全てであり、コミュニケーションを円滑に取れない自分自身を心底軽蔑していたこともある程だ。
正直、そんなのは過去の話に過ぎない。
僕は僕の気質を変えるのではなく、受け入れて、コントロールする方向に考えを変えた。
行動より思考を変える方が遥かに楽だ。
やってみたら分かるが、オススメである。
人見知りだからこそ、他者の地雷に闇雲に突っ込むことは皆無。
ネガティブだからこそ、リスクには誰よりも先んじて気が付ける。
最底辺の思考を理解しているからこそ、現実が大抵それよりマシに落ち着く。
世間体的にはウンコな気質であろうが、思考の転換でいくらでも長所に変えられる。
それに気付いたのは社会に出てからだったのだが・・・。
そんな自分だが、物心ついた時からハッキリと自覚している思いがある。
下っ端のまま死ぬとか最悪だ、というそれだ。
リーダーシップのリの字すら遺伝しなかった僕である。普通の考え方なら、誰かスゴイ人の下に付き、子分として安泰な人生を送れば御の字であろう。
だが、いくらそういうモデルケースを考えても、どうにも迎合出来ないのだ。
誰かに頭を下げながら生き続けるなど、そういう未来が確約された時点で自決モノだ。
ここばかりは全くルーツが分からない。
しかし、嫌なものは嫌である。
僕は今の仕事が天職だと感じており、異業種への異動とか、そういうのは微塵も考えていない。
しかし、一職員、一子分として働き続けるのは、それ以上に嫌である。
今の僕には独立たる武器が皆無なことも重々承知している。
人望も無い。覇気も無いとも言い切れる。
誰にも負けないのは、下っ端として生きることの抵抗の強さ。それくらいかもしれない。
あと数年で、僕も30代に突入する。
着々と実績を作り続ければ、僕は中堅と呼ばれる世代に入ってくる。
僕のいる業界の新陳代謝は、驚くほど速いのだ。
だが、それを弊履の如く打ち捨てて、リスクを取りたいという変な起業家精神も持ち合わせている。
そういうのがあるからこそ、僕は守るべきものを最小限にしていたいという想いがある。
先のテーマに繋がる帰結が得られて少し嬉しい。
話がそれたが、僕は結局、本心から想う進みたい道へ行くために、それ以外の要素を切り捨てて生きていたいと、そういうことなのかもしれない。
人見知りで不器用なまま生き続けると、こうなるものなのだろうか。
自身の展望について。(シラフ時)
ふと本棚を見てみると、リーダーシップに関する本が多いことに驚く。
人を引っ張る力に欠けている自分にも、その能力の必要性にも辟易するほど気付いていたので、最初はその悩みを解決するツールとして読んでいただけだ。
それがいつの間にか、自分を主とする組織の形成だとかへの興味に代わり、同時に下っ端のまま生きて死んでゆくことへの抵抗にも繋がっていった、らしい。
普段は思いっきり猫を被ってこの気質は隠しているが、性格診断等では簡単にバレてしまうくらい、嘘偽りない気質なのだと感じる。
ある程度の自己研鑽は当然必須だが、どこまで高めたらリスクを取って行動に出るべきかというのは、ボーダーを定めても無駄な気がしている。
そんなのを決めても、ずるずると延びていくに違いない。
期限をいつにするのか?
2018年いっぱいを使い、ここはしっかりと考える。
僕は僕の血を遺したくないのか?(酩酊の僕より)
ハッキリ言うと、全く遺したくない。
用を足すときに不便なので、あっちの方は残しておきたいのだが、睾丸の方は不要なものだと考えているくらいだ。
これからさらに資本主義が浸透し、弱肉強食が進むと分かっている世の中だ。
僕ごときの能力を半分持って産まれた時点で、肉となるのは確約される。
僕は僕を、卑下するとかしないとかじゃなく冷静に、器も経済力も何もかも、夫だとか父親だとかに相応しい能力の全てを持ち合わせていない人間だと思っている。
そんな僕を良いと言う人もいるのかもしれない。世界は広い。
しかし、そういう先のことを考えられない人は、僕が拒絶してしまう。
僕の口から「付き合ってください」「結婚してください」とか吐くときは、同意語として「これから数年かけて、僕と心中してください」という意味である。
これが分からない人は、それはそれで大問題だ。
無理をすると、必ずどこかでシワ寄せが来る。
正直、恋愛も結婚も、趣味の一環だとか、贅沢品だとしか感じていない。
僕の関係ないところで、好きにしてくれれば良いとしか思わない。
少子高齢化を推し進める側に立つ以上、税金を介してその辺の埋め合わせは喜んでする。
その方が、下手に家庭を持つよりローリスクで安上がりだから。
・・・いつの間に僕はここまで味気ない、冷たい、哀しい思考になったのかな。
少々悲しいが、受け入れるしかないと、今なら思う。
僕は僕の血を遺したくないのか?(シラフの僕より解説)
普段は理性だとかなんとかいう耳触りの良い言葉で隠しているが、泥酔すると、出てはいけない闇が出てきてしまうものである。
つまり、こういうことを考えていないといえば、嘘になってしまう。
恋愛や結婚のリアルは、想像以上に生々しい。
数多のトラブル、消えてゆく自分の資本、それこそ枚挙に暇がない。
同年代で恋愛はまだしも、結婚に踏み切れた友達を見ると、心底尊敬する。
後のことを全て飲み込んだうえでの決断。僕はそこまでしたいと思えるほどの人に出会える気がしない。
万が一そういう人が居ても、僕は利用されて終わるだろうと思っている。
こうやってネガティブを極めたマネジメントをしておいた方が、纏わりついてくる数多のリスクに無縁でいられる。
超情報化社会の浸透とか、急増する生涯独身率・離婚率とか。
独身でいた方がツマラナイけどアンゼンな人生を歩める材料は日々増えている。
ぶっちゃけ、僕はあまり長生きしたくはない。
適度な暇つぶしを見つけて、そういうのに目を逸らしながら、プライベートは恙なく暮らせれば御の字である。
終わりに。(酩酊の僕より)
そろそろ眠気が増してきた。
ここから先は、シラフの僕に丸投げだ。
酒を飲むと人格が変わるというより、普段封じてきた声の全てが出てくるという印象がある。
つまり、ここに書いてある内容は、常日頃僕が抱えている事柄なのだ。
表現の仕方にフィルタがあるかないかの違いであり、表現された内容は同じだ。
もうすぐ100記事である。
そこに向けて、長編の何かを書こうとも考えている。
生命線的には、僕はあと10年生きれば良い方だ。
正直今この時点で、十分長生きしているとさえ感じているのだが・・・
頑張れば手に入るものは頑張って。
受け入れるものは受け入れて。
そして、どうにもならないものはさっさと切り捨てて。
限られた資本を集中し、効率的に。
なんかもう、僕はそうやって生きていこうと、決めている。
悲しくは決してない。寧ろ愉しい。
楽しいか、と言われれば別なのだけれでも・・・。
理想を追うのは否定しない。でも、分相応の生き様を自覚するのもまた大事なんだな、と感じる今日この頃だ。
終わりに。(シラフの僕より)
過去最長の記事になったのではなかろうか。
3500文字程度の記事は書いた覚えがあるが、この文量は初めてな気がする。
読みにくい構造で申し訳ない。
酔っ払ったときの自分とシラフの自分は、同時に出現することができないサムシングである。
こうして文字に起こし、時間差での対話が出来たのは、棚ぼたではあるが個人的に面白い取り組みであった。
無責任にオススメするのも何かアレだが、Wordか何かを開いた状態で飲酒をして、酔っ払ってから、心に浮かぶよしなしごとをぶちまけてみては如何だろうか?
読み返すと、中学生の時に作った詩を読み返すのと同等に恥ずかしいが、素直すぎるまでに深層心理が書かれていて、勉強にはなる。
もっとも、二日酔いにならないように、体調管理には留意して頂きたいが・・・
ということで、拙文ではありましたが、読了していただき、ありがとうございました。
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