昨日、以下の動画を視聴し、その内容に感動した。(さっそくAmazonで著書をポチるほどに。発注はまだだけど)
この内容は別のタイミングで記事にしようと思うので、今日はそれとは別のお話。
突然だが、皆さんは『嫉妬』することはあるだろうか。かくいう僕は器が小さい男なので、気を緩めると、ちょいちょいしてしまう。
基本これは『ダメなこと』の代名詞であり、何とかして封じ込めるべきものだという認識が強い。(大体のダークな漫画には、嫉妬で身を滅ぼすキャラがいるし)
―だが、見方を変えれば、『嫉妬』は僕らにある"ヒント"を教えてくれているそうなのだ。ならば、避けるのじゃなく、耳を傾けてあげた方が良さげ。
今日はそういう、『嫉妬』を友達にする方法を述べていく。
『嫉妬』を分析すると見えてくるもの。
コチラの記事が非常に勉強になるのだが、『嫉妬』とは、『自分が無意識に欲しているもの』を持つ人に抱くという特性があるそうだ。
つまり嫉妬を抱いた時、その人物ではなく、『その人物が持つ何の要素に対して抱いたか』に目を向けるのが大切と言える。
超恥ずかしいが、自分のことを例にとる。僕はよく、【才能も持っているうえ、努力も欠かさない人】に嫉妬していた。
昔はそれを無理やり意識して追い払おうとしていたが、最近は考えを変えて、分析してみることとした。
すると気付いたのは、『自分は勉強不足である』というコンプレックスである。だから、それを見せつけられるような人に、嫉妬を抱いていたのだ。
あくまでこれは仮説なので、検証のため、これを打破するような行動を取ってみた。具体的には、勉強法をもっと色々調べたり、新しい本を買ったりとか、そういうこと。
そして今、その勉強に打ち込んでいる間は、少なくとも嫉妬心を抱かぬまま健全に過ごせている。おかげでちょっとずつ、知識の面で前進もできているのだ。
―こう考えれば、『嫉妬』は自分が足りないと感じていることを教えてくれる、一種のサインと考えられる。
振り払うのではなく、しっかりと向き合うことで、大きなヒントを得られる素敵なメンターなのだ。こう考えれば、もはや『嫉妬』が待ち遠しくもある。
―が、注意しないとならないのが、『嫉妬』に似ている”ある感情”を、ごっちゃにしてその身に背負い込むと、自分がブレたり心に悪影響が出たりするということだ。
以下、それのご紹介。
『嫉妬』とごっちゃにしてはならないもの。
それは意外なのだが『嫌悪感』である。抱く感情はかなり違うので、間違うわけないと思われるかもしれないが・・・
ある種、マイナスな気持ちで他者に引っ掛かるものを感じるという意味では、『嫉妬』と『嫌悪感』は結構似ているのだ。
例えば、素晴らしい人を恋人に持つ人に抱く『なんだアイツ!』と、電車の中ではしゃぐヤツへの『なんだアイツ!』は、言葉にしたら同じである。
しかし、だからと言って、『じゃあ俺は、電車の中ではしゃぐことに憧れてるのか!』なんて馬鹿な帰結にはならないだろう。これが『嫌悪感』との違いである。
ぶっちゃけていうと、『嫌悪感』は別に消さなくていい。無理に自分が嫌なことを好きになろうと努力しなくていいのだ。色々と徒労だ。
今後は今以上に『アイデンティティ』が重要になってくると言われているので、自分の個性を際立たせるという意味でも、『嫌悪感』はスルーで対処しよう。
終わりに。
ということで、ネガティブな感情を活用する方法について書き殴ってみた。
先の動画でも、『ストレス』で死亡率が上がるのではなく、『ストレスは悪いと信じること』で死亡率が上がるとあった。
要は、観点を変えて活かす方向にシフトできるかが勝負なのだ。その目線を提供できていれば嬉しい。
それでは今日はこの辺で。