『人前に出て恥をかくなら死んだ方がマシ』
ーいつ頃から始まったかはハッキリ覚えていないが、少なくとも中学生の時までは己の矜持として考えていた言葉である。
だが、人生とは不思議なものだ。
今の僕の仕事はそもそも人前で話すことであり、こんなブログも書き、インスタも始め、なし崩し的ではあるがYouTuberにもなり、それを結構楽しめている。
だがそもそも、これらは全て、『恥』がトレードオフで付いてくるものだ。注目を浴びるとき、人前に出るとき、そこには必ず『恥』が伴う。
『死』よりも怖いものとして捉えていた『恥』を、僕はどこで乗り越えたのだろう?僕は強すぎる『自意識』と、どこで折り合いをつけたのか?
今回は自分の原体験をほじくり返しながら、そこから普遍的な教えやヒントを探り出すことを目的として、記事をしたためようと思う。
30年分積み上げた自意識過剰クロニクル。その闇に、いざ突っ込んでみよう。
『自意識過剰エピソード』まとめ。
先に断っておくが、この項に書いてあるエピソードは当然ながら全て僕の実話である。中には拗れすぎて病気めいたものもあるが、それも一興でオナシャス。
ー僕は幼少期、他人が怖く、周りの人間は悪意を持って僕を観察していると考えていた。少しでもズレた言動をしたら、速攻やり玉に挙げてバカにするために。
この思考になった原因はよくわからない。しかし、こういう考え方をしていたのは事実だ。それも、結構長く。
僕は小学生の頃、少年野球チームに属していた。そして試合に出ることに対しては何年経っても慣れることは無く、むしろ悪化の一途だった。
理由はシンプル。三振したら笑われるし、ゴロを取り損ねても笑われるし、少しでもヘンなフォームで動作したらそれもまた、笑われるからだ。
同じ理由で運動会も体育祭も大嫌いであった。
運動ができない人間とできる人間を並べ対比させながら白日の下に晒し、公開処刑にする舞台としか考えていなかったくらいだ。未だにそういう類のイベントは嫌いである。
高校、大学と進学すると、それにつれて知人は減る。そして、出会う人間が『凄まじい能力の持ち主』である確率はどんどんと上がっていく。
勉強ができる。身体能力に優れている。抜群のコミュ力を持っている。そのどれも持たない僕。どの分野でも一番になれない自分。他者比較で毎日敗者。
秀でた能力のない自分が社会に参画してていいのだろうか?当時はそれくらい思い詰めていた程である。過去に戻って泣きながら抱きしめてやりたい。
ラーメン屋で『すいません』とオーダーするのも苦手だ。だって、声が裏返ったりしたら笑われるじゃないですか。
人前で電話するのも苦手だ。だって、言葉遣いがヘンだったら、それを錦の御旗にガンガン責めるじゃないですか。
周りだけでなく自分さえも信じなかった20代前半。その価値観がようやくぶっ壊れたのは、結構なショック療法だったなぁ・・・。
ま、それに触れると超脱線するので、過去記事を紹介しときます。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
さて。こっからは、こういう病的な自意識過剰が薄まり、人前で話をするようにさえなったきっかけ?理由?方法論?みたいなのを、仮説段階だが取り出してみよう。
『自意識過剰』打破に聞いた心がけ・考え方・本。
①『他者比較』のステージからとっとと降りる。
未だにゼロにはなってないが、僕は他者比較と自責がセットになる思考のクセがある。例えば、あいつはお前よりできるが、お前ダメじゃんと自分に問う感じ。
一番になれる器じゃないことは自覚しながらも、一番じゃないことに価値を認められないというか。というか、無価値という自覚があるからこそ努力すると考えていた。
結果、心を一回破壊するんですけどね。他者比較の愚かさに気付いたのは、まずこれが1つ。
もう1つは、曲がりなりにもある程度まで突き抜けたのに、それによって自分が何も変わらなかったことである。英検1級を取っても、僕は自分を最初は褒められなかった。
ーある日、そういうのがマジで嫌になった。だから僕は、かなり強く意識して、周りの人間と自分の比較はやめている。参考にはするが、比較はしない。
SNSの向こうでは、子どもが生まれた、海外旅行に来た、仕事で成果を上げた等々、きらびやかな日々の一コマがずらずらと立ち並んでいる。
一方僕は、プロジェクターで壁にYouTubeを投影しながら酒を飲んでいる。これはこれで幸せだ。貴賤など無い。これに優劣をつけたい人は、何に追われているのだろう。
サッカー部の人間に野球の上手さで勝とうとするマウントは無駄。これは非常にシンプルかつ自明な話なのに、ことステータスとなるとそれが混在するのはなぜなのだろう。
東大卒とイケメンってどっちが凄い?みたいな不毛な議論と同じである。『住む世界と周りの人の受け止め方次第、以上』としか言えない。
勝った、負けたは考え方次第。どの世界に身を置くか、どの価値観を採用するかで、そんなもんはコロコロコロコロ変わるのだ。
それに納得した瞬間、僕はだいぶ『自意識過剰』に折り合いをつけられるようになった気がしている。
②極端な恥をかいてみる。
あれだけ逃げ続けた『人前に出ること』であったが、しかし何度も回り込まれてしまうことになる。
珍奇な恰好をしてのお遊戯発表会。運動会でのこっ恥ずかしいダンス。嫌そうな顔をした相手とのフォークダンス。100人を前にした発表。
忘年会ではスカートを履いて踊ったこともある。全うした後は首を括ろうかなとさえ考えるような『恥』の究極形。
ところがどっこい。僕は生きている。しかも不思議なもので、『恥をかいても死なない』ってことが実体験として得られたことで、自意識も相当弱まったのだ。
これは心理的にも効果のある、あえて恥をかくトレーニングでもあるらしい。
狙ったわけじゃないが、効果があったので意識してやってみても良いかと。ちなみに個人的に考える初心者向けのそれは、例えば以下の行動はどうだろう。
① 自宅の庭などでバットやゴルフの素振りを30分行う
② 一人で水族館に行ってみる
③ ブログに何かを書いてみる
④ 焼肉屋の店員に好きな肉の部位を聞いてみる
こういう些細なところで経験値を積めば、ゆくゆくは丁度いいところに自意識のメーターを設定できるようになっていくはずである。
③徹底した自己分析を行ってみる。
もう1個効果的だったと感じるのは、『結局自分はどういう人間なのか』を把握することである。ただ、これは結構大変だった。
というのも、僕は世間が求めてくる理想像ばかり追いかけ続けたので、『ぼく』という人間が抱く価値観を、10年以上完全に置き去りにしていたためだ。
学歴は高い方が良い。彼女は居た方が良い。結婚もした方が良い。給料は高い方が良い。運動は出来た方がいいし、友達も多い方が良い。
もはや刷り込まれた文化であり、今更なぜ自分が日本語を話せるのかを気にしないのと同様に、これを追うことそのものに疑念は一切抱いていなかった。
・・・そういうのに対し、『本当か?』と疑問を持てるようになったのは、マインドブレイクして復帰し、さらに1~2年経ったあとである。
自分は完全に理想像から逸脱したはずなのに、幸せであるとハッキリ感じていた。それにふと気付いたのがきっかけだ。
そして、自分が理想としていたものは本当に理想なのか、それを追えば幸せになれるのか、シビアな目で仮説立てと検証をそこからしばらく行った。
するとわかった。
僕は『自分が成長していると感じること』『見たことが無い、やったことが無いことに挑むこと』『そしてそれらを伝えること』がどうやら大好きなのだ。
一方、僕は広義で『自分の裁量が及ばないこと』『他者のワガママでコントロールされること』が超絶嫌いというのもよくわかった。
結果僕は、自分は『アセクシャル』で『性嫌悪症』であることに気付き、別に克服しようというモチベも無かったので、まず恋愛と結婚を早々に人生から捨てた。
そこで浮いた資本は全部、趣味と勉強にぶん回し、仕事でもプラベでも、得た知識を実験・検証。そしてそこで分かったことをあちこちでシェアして遊ぶ。
・・・『自意識過剰』とは、世間一般のモデル像から逸脱することの恐れから発生するものである。
だが、そもそもそのモデル像で自分が幸せにならないよねと悟れれば、逸脱することは恥でもなんでもないので、死ぬほどどうでもよくなる。
『お前の髪型、野球部だとNGだぞww』と言われても、野球部じゃなければ死ぬほどどうでもいいのと同じ。
こういうのを自分の『芯』とか『信念』という言い方をする人もいるが、結局は同じで、『己の価値観を把握しているか』という話である。
僕は1年以上掛かったが、他の人がどうかはちょっとわからない。腰を据えて、取り組んでみてほしい。
終わりに。
もちろん僕の自意識過剰は、弱まっただけであり多分平均値よりは依然として高い。だがそれでも、僕はそれなりに自由を感じているから満足だ。
それに、自意識過剰とはある意味究極の客観視だ。匙加減をコントロールできれば、『思いやり』的行動への転化も多分可能である。
ま、要するに、『自意識過剰』は意外と何も考えてないことが原因で発生するんですよ、てのが伝わっていたら嬉しいかな。
では今日はこの辺で。