僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

他人の不幸で自分が辛い。【共感疲労】という厄介な”認知の歪み”について調べてみた。

クラウドファンディングでキャンプグッズを支援しまくっている中元です。募る思いは散財に形を変えゆくものなりけり。

 

はい。最近、自分の性格の面倒なところについて、新たに思い当たるフシが出た。それは、僕はどうやら、他人の不幸を人一倍吸収しやすいというものだ。

 

好きなインフルエンサーが叩かれる動画を見ると、自分の心がズシンと辛くなる。職場のスタッフに客から苦言を呈されると、自分が言われる何倍もキツい。

 

僕は僕自身に降りかかる不幸には割と鈍感なのだが、他者に降りかかるそれらは、何かしらの歪んだフィルターを通した結果強く感受してしまうらしい。

 

「ここまで他人の不幸で自分が辛いなんて、もしかしたらこれは、正常な考え方の枠を超えた、ある種歪んだ認知になっているのではないか?」と怖くなった。

 

実をいうとこの思考のクセには、10年以上前に気付いている。ただし、”人見知り”"ネガティブ"といった言葉で片づけていたため、深く考えたことが一度もなかったのだ

 

だから改めて色々と調べてみたところ、ある言葉に出会った。それがタイトル通りの【共感疲労というものである。

 

もしかしたら、その言葉に、自分が知りたいことのヒントが隠されているかもしれない。今日はそんなことを考えながら、これについて学びを深めていきたいと思う。

 

 

 

【共感疲労】とは何か?


まずは自分の記憶の整理も兼ねて、【共感疲労】そのものの定義について書いてみる。色々なサイトを参照したが、ざっくり言うと以下の通り。

 

他者のストレスに触れた際、当事者でもないのに、それによって精神が疲労していくこと

 

という感じだ。例えば悲惨なニュースや、凄惨な題材のネット広告等を目にした際、何故か心が沈鬱とする感じは、この【共感疲労】が働いているせいなのかもしれない。

 

この【共感疲労】が強い人は、感情をコントロールする必要がある仕事に多いらしく、例えば介護職の人には、この疲労が多々発生しがちだと書かれていた。

 

理不尽に対しても感情を殺して受容し、傾聴し、その場で望まれる感情を無理矢理表現する。本心の抑圧だ。これこそが、【共感疲労】の根本原因の1つらしい。

 

人間失格」の主人公、葉ちゃんのような、他者に対して本心を見せられず、理想とされる像のふりをし続けるタイプの人には、かなりの注意が必要と言える。

 

自分はどの程度【共感疲労】を抱えているのか?

 

とはいえ、「もしかしたら自分は【共感疲労】を溜め込んでいるかもしれない」なんて、意識すれば気付けるかと言われれば、また違うだろう。

 

主観的にその有無を考えるのではなく、客観的に分析するツールを用いて、冷静に見定めなければならない。そう思っていると、ある論文に出合った。

https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/4523/RPT2018001.pdf

 

これは【共感疲労】そのもの及び、そこからの回復に欠かせない【レジリエンス】についてまとめられており、読むだけでかなりの知見が得られる

 

そしてこれの最後の方には、それぞれに関する質問に、自己採点だが五段階評価で答えていくものがある。

 

「転載ダメ」と書いてあったので直接紹介することはできないが、このワークを通じて、僕の中には【要注意レベル】の認知の歪みがあるとわかった。

 

結果、僕は「対人関係におけるストレスの感受性」と、「自己肯定感の低さ」が、両方とも要注意ラインだったのだ。

 

どん底の頃に比べたら、僕は僕のことを好きになれていると思っていたのだが、自分のことを大事に思えるようにはなっていなかったようだ。これはショック。

 

ちなみにこの2つの要素は密接にリンクしており、自己肯定感が低いからこそ、他者のリアクションを悪い方に解釈し、結果どんどん疲労するというサイクルなのだ。

 

ニワトリタマゴな話なので頭が痛くなるが、僕はもうちょっと客観的に物事を見て、もうちょっとくらい自分はマシなヤツと思えてこないと、この状況が続くようだ。

 

ただ、敵の輪郭が見えれば、打つ手を探すことができる。続いては、これを踏まえた話を書いていく。

 

【共感疲労】を軽減させるにはどうすればいい?

 

自分の思考の癖を読み取ったら、そこを改善するような具体的なトレーニングを入れるべき。僕はそう信じているので、今回もそうすることに決めた。

 

さらに自分の認知の歪みを言葉にするため色々調べた結果、僕の思考の弱点は、具体的に以下の点にまとまるようだ。

 

①他者に起きているネガティブな出来事と、自分を即座に重ねてしまう

 

②思考なのか現実なのかを区別できていない

 

こんなもんどうにもできそうにないオーラがすごいのだが、実は手は一つ浮かんでいる。それは、広義ということになるが、認知行動療法というものだ。

www.ncnp.go.jp

 

無意識下に沈んだ意識を意図的に認知して、目に見える形で評価・検証し正していく。そんな意味合いだと僕は解釈している。

 

スポーツの動作を他者に見てもらい、腕の高さや足の位置などを修正してもらうレクチャーを、自分でビデオ等を参考にセルフで行う感じに似ている。

 

そして僕の歪みは、主として「自己肯定感の脆弱さ」と「他者関係で忖度し過ぎる」といった要素があると、そこに発生しやすいとも、先のアンケートで掴んだ。

 

だから何をするか。色々考えたが、取り急ぎ以下の策を始めることにした。

 

それは、自動思考キャッチトレーニンだ。

yuchrszk.blogspot.com

 

余談だが、僕は現代文が得意だ。これはつまり、文章ならば、他人事として読んだり判断したりというのはできる、という話である。

 

だから、一旦自分の中で湧き上がったネガティブな感情・思考・身体的反射を言葉にすることで、その歪みをしっかり認識できると思ったわけで。

 

継続していく中で、科学的なやり方に反していない範囲で自分なりのアレンジを加えやすいと思ったのも魅力的

 

取り急ぎ、2週間くらいは、業務が終わった後に内省として5分程度頑張ってみようと思う。

 

あと、買ったけど使いどころにちょっと困っていたこの本の出番にもなるしな。小説家になるわけじゃないけど、感情を表す言葉の語彙力を鍛える良い機会だ。

 

前向きに、己の歪みと対峙してやろうと思う。

 

終わりに:自分の無意識を意識して言語化するということ。

 

早速さっき、また自分の心にさざ波が立つような発言があったので、こっそりシートを使って文字にしてみた。

 

尚、Excelを使って、こんな感じのテンプレに、それぞれ思うことを書いている。

 

やってみると、これが結構面白い。そして文字にして早速、「いや、この発言にこのリアクションはちょっと、アダルトチルドレンやな俺」と少し呆れることもできた。

 

今後は例えば、「理想としてはどう反応したかったか」といった枠を考えても面白そうだ。こうすれば、トラウマにもケリが付けられるかも

 

やはり、僕の場合の救いは「言語化」にあるとみてよさそうだ。もちろんまだ仮説なので、「絶対にそうだ!!」という思い込みまではいかないよう気を付けるけど。

 

2週間くらい続けてみて、また気づきを書いてみる所存である。ということで、皆様もやたらめったらに共感しないように気をつけましょう。

 

言葉にすると簡単だけど、【課題の分離】は思った以上に難しいのだ。では、今日はこの辺で。

 

参考サイトまとめ。

 

fukushi-job.jp

 

hidamarikokoro.jp

 

news.yahoo.co.jp

 

allabout.co.jp

 

 

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