僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

嫌いな人間は、「仏が遣わした”化身”」だと思え!!そして「最悪の状況での処し方」を考えておけ!!

突然物騒なことを書くが、皆様に憎い人はいるだろうか。僕にはハッキリと一人いる。詳しくは言えないが、その人に関する記憶の全てが、思い出すとイライラするほどだ。

 

しかもその腹立ちや憤りは、なかなか鎮まらない。妄想の中で何度言葉や暴力でぶちのめしたか、本当に数えきれないほどだ。

 

そんな嫌いな人間と、ついこないだばったり出会ってしまった。厳密には、僕が先に気付き、身を隠すことで、遭遇自体は避けたのだが。

 

そんなことがあったもんだから、その日は猛烈にカリカリした。その出来事だけで一気に最悪の1日に変貌するほど、本当に腹が立って仕方なかった

 

・・・こういうときは、主観的かつ感情的な解釈や反芻を繰り返しても、何も前進しないし、解決にも向かわない。一旦切り離して距離を取る必要がある

 

では、切り離して距離を取るとはどうすることか。簡単に言えば、他の人の考え方を起点として、観点を変えた自問自答をすることだと、最近は考えている

 

ということで今日はほぼ自分のための記事ではあるのだが、手法そのものは使える話だと思うので、そのやり方と僕の思索を文字にして、ここに残しておこうと思う。

 

では以下、詳細である。

 

 

目の前のムカつくヤツを通じて、仏は何を伝えたいのか考える。


最初に「なるほど」と思ったのは、「あなたが嫌いだと感じている人からも、学べることがある」という考え方だ。

 

これ自体は偽善の香りがするのだが、解釈をひとつちょこっと変えると、僕はすとんと腑に落ちた。

 

その解釈とは、「あなたが嫌いと感じている人は、その人から何かを学べと仏が使わせた化身である」というものだ。

 

「嫌い」という強い感情が伴うとはつまり、負であることは間違いないが、その人には何か引っかかるものがある、すなわち僕に転用可能なヒントがあるということだ。

 

それを前提に置いて、ぢっと考えた。あのときのニアミスの遭遇で、こうもイラつき、心に小波が立つことを通じて、仏は僕に何を教えたいのか。

 

そして「はっ!」と悟った。それは、「復讐はやり方ひとつで、こんなにもコスパがよくも悪くもなる、ということ」だ。

 

・・例えば、僕はそいつが嫌いなのだが、同時にそいつは僕のことを嫌っている。何なら憎さあまって、僕を「弁護士に訴える!!」みたいなことさえ言ったそうだ。

 

お互いに嫌い合っている関係。しかし現在、相手の中に僕の存在は跡形も無いのかもしれない。とはいえ確実に、僕の中にはあるわけだ。

 

これはいわば、家賃ゼロで僕の心に腹が立つ存在を住まわせているも同じだ。つまり24時間、僕だけが一方的に仕返しをされているようなものである

 

そしてニアミス事件の際も、そいつはただ、幸せそうに歩いていただけだ。幸せにしている、ただそれだけで、僕に対しダメージを入れられる。

 

ただ楽しく過ごすことが、それだけで復讐になる。・・なんとアホなことに心を揺さぶられていたのかと、本当に僕は僕に対し、がっくりした。

 

最もコスパが良い復讐とは、ただ幸せにして、豊かな暮らしを送り、その様子を見せるだけでいいのだ。相手を取るに足らない存在にすればいいのだ。それだけだった。

 

僕一人がカリカリ、イライラしても無意味。そいつという化身を通じて、仏はそれを伝えたいのだと考えるようにしたら・・。

 

そう思った瞬間、本当にふっと、心が凪いだ。軽くなった

 

なんかもう、そいつは旅先で見た犬のクソのようなものだと割り切って、また美しい景色を楽しむように、ただ幸せに人生を歩めばいいんだなと、改めて納得ができた。

 

最悪の状況でどう処すか?

 

そうやって割り切っても、まだチロチロと燃える何かが心にあるのを感じている。ここをも消火しきるには、あと何が必要なのか。

 

その際大きなヒントになったのは、このインタビュー記事である。

r25.jp

 

つまり、「いざとなった」場合の徹底的なシミュレーションこそが、最後の最後で怒りを鎮火していくのではという仮説である。

 

今回の件が拗れ倒したらどうなるか。例えば勢い余ってその人が僕を殴ったとしたら、僕は被害者として、どうポイントが稼げるのだろう(別に上司相手ではないが)

himeji.vbest.jp

 

まずはとにかく証拠を押さえる。できれば動画とかが残せればいいが、最悪第三者の証言でも大丈夫らしいので、1:1で面談することは絶対に避ければOK、となる。

 

尚、殴られてケガが無ければ暴行、ケガをしていれば傷害という風に、問える罪のランクはそこを境に上下するとあった。

 

ではそこまでされずとも、乗り込んできて怒鳴り散らかすとか、僕に対し土下座の強要とか、その辺を求めてきたらどうするか。

 

これも、色々と手続きや前提はあるが、刑事罰に問える可能性が出てくるそうだ。(面白いのだが、強要に応じて土下座すると、恐喝未遂になってしまうらしい)

bengoshihoken-mikata.jp

 

それを確定させるのに必要な証拠としては、大体以下の一覧が使えるらしい。

 

・相手から届いた脅迫文書
・相手から届いた脅迫メール
・相手が脅迫していることがわかるSNSやブログ、掲示板などの各種の投稿画面
・LINEなどのチャット
・相手が脅迫しているところを録音・録画したデータ
・相手から脅迫されているところを見た目撃者や脅迫の状況を知っている知人の証言

 

bengoshihoken-mikata.jp

 

―となれば、今後のためにもどっかのタイミングで、なるべくワンタッチ操作で起動できる録音機器を調達しておくのが良さそうだな。

 

防犯カメラまではやり過ぎだろう。しかし相手が明らかに敵意剥き出しで攻めてくるのが分かっていたら、買っておくのはアリだな。

 

ここを含んでおけば、後は【となりのクレーマー】にあったように、ひたすら相手の条件を一定以上は受け付けず、誠意的な言葉を武器に持久戦に臨む、というところか。

 

そこでしびれを切らして恐喝や暴行に打って出てくれれば、被害者と加害者という図式に持っていけるため、圧倒的にこちらが有利になる。

 

そう思うと、段々・・・アホくさくなってきた。僕は何と一生懸命戦おうってのか?

 

最悪の状況を想定し、更にネガティブに任せて自問自答を繰り返した結果たどり着く結論は、「アホくさい」という感覚。再発見ではあるが、大きな発見であった。

 

ブラックジョークやユーモアに脳内変換し、そのやり取りまで楽しめる論破力の域に辿り着くのに必要なのは、こういう「アホやな」という達観なのかもしれない。

 

―ということで改めてまとめよう。

 

嫌いで気に食わない相手は、自分に何か有益なことを伝えるために仏からパシられている化身という存在と思うと良いよ、というのが1つ。

 

もう1つは、殴られたり脅されたりしたら、どういう反撃ができるか、そのために必要な手段は何かを調べると良いよ、ということだ。

 

そうやって掘り下げまくると、不思議なものでガンガンどうでもよくなっていく。鎮火を通り越して、焼け跡から新たな芽が生えてくるかのような穏やかさだ。

 

考えに、考えて、考え抜いた先。意外とすぐそこにあるので、一度辿り着いてみることをオススメする。

 

では、今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村