僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

「失敗」や「お叱り」を素直に受け止める器を作る方法。

ここ最近上司に叱られることが増えている。理由は超どうでもいい話なので書かないが、その時間が過ぎた後、僕自身の受け取り方の変化に気が付くところがあった。

 

それは、他責か自責でしか、それを受け止められなくなっている、という点だ。自分にせいにして猛烈に責めるか、あるいは他の人の怠惰に、強い憤りを感じるか。

 

つまりアドラーが言うところの、「かわいそうな私」「悪いあの人」の2つに1つでしか、失敗やお叱りを咀嚼できない自分に気が付いたのだ。

 

叱られて腐るようでは、あらゆる人から見放される。失敗して足を完全に止めるようでは、成長は絶対にあり得ない。

 

このことは斎藤一人氏や西野亮廣氏も指摘するところであり、僕も20代の頃は納得していた話なのだが・・。

 

人は年を取るとメンタルが硬直化し、プライドが無駄に増すようだ。僕も例外ではなかったということか。むしろ例外だと思っていたのがおめでたい勘違いかも。

 

しかし、自覚できればこっちのもんだ。不足していると思うなら、その分を鍛えることで、底上げすればいい。

 

僕に必要なのは、「失敗」や「お叱り」を建設的に受け止めるのに必要な知識と、そのトレーニング方法である。

 

だから今日は、色々な知見を参照のうえ、一気にまとめてやるもんね。今日はそういうお話である。

 

 

「失敗」や「お叱り」の受け取り方で、やってはいけない落とし穴。

 

全部で10以上の記事と、書物の一部などを参照にしつつ、「こういった(感情的に)ネガティブ寄りなフィードバック」に対する向き合い方を調べてみた。

 

すると、良くないとされる方法にも、逆に好ましいとされる方法にも、それぞれ共通する部分があると読み取れた。

 

まずは、「失敗」や「お叱り」について。とにかく「最悪」レベルの手段なのが、自分だろうが他人だろうが、誰かに責任を負わせて逃げることであった。

 

他責に終始するのはもはや論外だが、自責もまた、問題そのもの、失敗の原因、お叱りの内容から目を反らしているだけだという指摘があり、それ自体はごもっともである。

 

そして目を反らす状況であり続ける限り、何をどうすれば今後の糧になるかという観点が得られないため、失敗そのものについて無知のままとなってしまう。

 

だからまた、同じミスを繰り返しやすくなるのだ。そしてそれを取り返そうと、贖罪を焦ってしまう。そうなればもう、泥沼だとあった。

 

自責・他責によって失敗に対する無知が生まれ、そこに焦燥が伴えばまた失敗が重なる。外部に救いを求めて酒や自慢に溺れれば、目も当てられないほど落ちぶれる。

 

それゆえ、絶対にまず欠かせない心構えこそが、「失敗」や「お叱り」と適切に距離を取り、その解釈や問いかけを変えることだとあった。

 

そのための具体的方法は、良くも悪くも非常にドライであったが、同時にとても建設的であった。続いてはそんなお話だ。

 

「失敗」や「お叱り」の受け取り方の、理想的なカタチ。

 

ここから先は、適切とされる「失敗」や「お叱り」との向き合い方の共通点を書いていく。まぁさっき少しネタバレしたが、要はまず「距離を取るべき」なのだ。

 

そのためには、文字に起こせる環境なら、とっとと文にしてしまう。それが無理なら、もう一人の自分を召喚し、悩める自分に優しく声をかけるイメージをする

 

冷静になったら、記録に残す。そしてその記録を客観的に読み取って、「これからどうするか?」という問いに繋げて行動を決めて、また歩き始めるという具合だ。

 

そしてその行動もまた、コツは一気にすべてを変えないことだとあった。大体10%くらいやり方を変えてみて、その上でまた経過を観察する。そんな風に。

 

その上で、「失敗」や「お叱り」を俯瞰的に解釈して、「まだこれからよくなるし」という適度な前向きさを維持し続ける

 

時にはユーモアを交えながらこういった教訓を受け止めて、階段をコツコツと上るように、「成長の途上を進み続けている」という適度なポジティブさを捨てない、と。

 

まとめるならば、距離を取って「失敗」や「お叱り」を蓄積・分析し、それを基に少しずつ行動を変化させ、また軌道に乗せていく、という感じだろうか。

 

まさに最悪な例と裏表になっており、感動すると同時に、実際はここまで世の中はシンプルなのかと拍子抜けする気持ちもある。

 

だから僕に必要なのは、こういった思考を習慣づけるためのトレーニンだ。ぶっちゃけ我流も良いところなのだが、続いてはそれについて考えていこう。

 

その上で開発。【自愛客観視】トレーニング。

今回は、この本に書かれていたもので、ずっと実践したいと考えていた方法をベースに考えることとする。それは、【サイコーの評価法】である。

business.ntt-east.co.jp

 

具体的にはまず、その日に起きた出来事について、「いいところを3つ」書き出し、「悪いところを1つだけ」添えて、最後に「今後の改善法」を加えるというものだ。

 

過度にミスや失敗、懲罰をネガティブなものに受け止めがちな日本人の自意識を、適切なバランスに戻すことを狙った”トレーニング”である。

 

こういった客観的な基準・観点を通じて自他の言動を眺めて、文字に起こし、それから検証するのは、実は自分にとって非常に合っているやり方だと自覚している。

 

余計なメタや感情が入る余地が無いだけに、しっくりくるのだ。ここまで考えていくと、他にも使えそうな考え方や施策が、いくつか頭に浮かんできた。

 

それらをできる限り踏まえて、さっき学んだこともミックスし、Excelで自分用のシートを暫定的なものながら、作ってみた。

 

試しに今日の出来事をこれに沿って打ち込んでみたが、所要時間はおおよそ3分チョイであった。だが、その効果はてき面であった。すごく効く

 

心は落ち着くし、行動も言語化できたので、あとは実行するだけというところまで自然と落とし込める。まだまだ改善の余地はあるが、だからこそ面白いわけで。

 

ちなみに一番好きなのは最後の枠、「一連の出来事に関する悩みを第三者に相談されたらどう答えるか」の部分だ。

 

僕はこの際、ちょっとシニカルだけど基本的には味方してくれる高校・大学の同級生たちならどう答えるだろうか、という設定で、書くようにしている。

 

ここをみっちり書いていると、すごくしょうもないことを自分が過大解釈しているのに気付き、その被害妄想の強さに辟易する気持ちも出てくるほどだ。

 

だがこれこそが、僕が欲する「距離を取る」という感覚なのだろうと独り言ちている。しばらくはこのシートを活用し、トレーニングを積むとしよう。

 

改良を重ねて、もしそこそこ良いものができたら、他の人にも薦めてみようかな。ま、それはおいおいの話だけど。

 

では今日はこの辺で。

 

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