世の中には、根っからのポジティブと、僕のような根っからのネガティブがいる。そして世間は、性格がポジティブであることを良しとし、またポジティブである人が生き易いように世の中が出来ているようにも思える。
実際、一部の人格者の条件に、ポジティブであることが入っているくらいだ。
正直僕も、一時期、アメリカ人の典型例みたいな、底抜けにポジティブな人がうらやましかった。
人見知りな自分を否定して、ポジティブな人を模倣して、己の性格をぶっ壊して生まれ変わってやろうと悪戦苦闘していた時期もある。
そうすれば、きっと今より人生は良くなると、根拠もなく思っていた為だと思うが、当時の僕の心持はもうわからない。
では今はどうかというと、もうポジティブな人を目指そうとは心底思っていない。
良いなとは思うけど、自分の身の丈にあった良い点だけ学んだら、他のところは別にいいやとも思っている。
何故かというと、ネガティブの長所と、ポジティブの短所が分かったからというのが大きい。
ということで、根っからのポジティブじゃなくて良かったと思うことを、つらつらと書いていこうと思う。
人の気持ちがわかる。
僕は人の顔色をどこまでも伺うタイプだ。少しでも嬉しそうな顔をしてくれたら、「企画して良かった」と思うし、逆にしゅんとしていたら、「配慮が至らなかったのか」と思う。さすがに病的に気にしまくって、家に帰っても、人の一挙手一投足にクヨクヨするとかは無いけども。ただ、飲み会とか集まりとかでも何でも、何かしらのサービスを提供する側として、その人が楽しんでくれてるかどうかはとても気になる。人の顔色を伺いまくって生きるのはバカだぜ!みたいなラップもあるけど、僕は顔色を全く伺わないのも良くないと思う。
例えば、飲み会で、浮かない顔をしている人がいるとする。僕の周りの、根っからのポジティブな人は、きっとシャイだから入れないに決まってるんだなとかなんとか思うのかは知らないけど、自分の元気さで何とかしようする。そいつを人の輪に呼んで笑い話に興じてみたり、じゃんじゃか酒を注いでみたり、あの手この手で盛り上げにかかる。これだけ見れば美談だが、割と最終的には、しゅんとした彼はしゅんとしたままで、ポジティブな人は酒も進んで良い感じになり、別の島へ渡っていたりする。
一方僕はというと、「酒飲めないのかな」とか、「具合悪いのかな」とか、「プライベートでなんかあったのかな」という考えがまず浮かぶ。自分が彼の立場なら、そっとしておいてあげるのが良いよねと思い、なるだけ彼が自発的に飲みに加わるまでは、絡みにいかないようにしている。これが是が非か色々あるとは思うけど、本当に相手のことを思うという点で、どちらかに軍配をあげるとするなら、ネガティブシンキングになるのではと思う。
文だけ見ればどっちもどっちかもしれないけど。
常に人の気持ちを第一に考えるので、自然と利他主義・・・は言い過ぎにしても、誰かの為にという考え方にはなる。これはこれで、とても良い思考ではないだろうか。尚、誤解無きように言うと、僕はどこまで利他でどこまで利己かっていうのは、一応線引きしているので、とことん滅私奉公な人間では別にないと一応言っておく。
最悪のケースが想定できる。
例えば、ちょっと気になる異性にメールをする場面があるとする。
大体の人は、「うわー、緊張するわ」くらいではないだろうか。
ポジティブな人は、実際聞いてみたこともあるのだが、「送ってから考える」らしい。
では僕はどうか。好きな異性なんてもう6年以上いないので、高校生の頃の僕の話になるけど、どこまでもネガティブなことを想定してから、そのリスクを承知した上で送る。
文体。呼び方。切り出し方。絵文字や句読点の数。リズム。時間帯。そんなもんは何回も考えて、何回も読み直す。送るまででも重労働だ。
送ったらおしまいか、と言われたらそんなことはない。返信についても頭の中で想定問答みたいなのを作っておく。
「無視」なんてもんは、しょっちゅうあるだろうから、ヌルい。とりあえず1週間は様子見だ。
「送ってくるんじゃねえ」的な返信も、機嫌悪かったらあり得るよな。とりあえずもしこう来たら謝っておこう。
で、最悪のケースとして、「その人の交友関係内で、『アイツからメール来たんだけど、あり得無くねー』といった感じで、茶飲み話のネタにされる」ってとこまで考えておく。
もしこうなったら、一切合切手を引いて、噂が鎮火するのを待つ、とまでシミュレーションしておく。
ちなみに、それ以外の、例えば会話に繋がるといった、上手くいったメールが返ってくる可能性は、せいぜい10%くらいだと考えていた。
我ながら卑屈すぎる。
だが、どこまでもリスクを洗い出し、シミュレーションしておかないと、どうにも不安なのだ。これもネガティブがネガティブたる所以である。
これだけみたら、恋愛に関してはポジティブな人の方が超有利である。ガンガン手を打てるので、絶対数が多くなり、成就し易くもなるだろう。
が、この方法が恋愛以外になったらそうもいかない。例えば、ビジネスの世界では、リスクを考慮することなしに何かをすることはあり得ないと言われている。「なんとかなるぜ」では「どうにもならない」のだ。少なくとも、想定されうる状況に対し、代案を用意しておく必要はある。実社会では、ひょっとしたらネガティブなくらいでちょうどいいのかも知れない。もっとも、卑屈すぎたらそれはそれで社会に適応できないので、意識的に折り合いを付けねばならないけど。
とりあえずおしまい。
実のところ、4か5つのテーマくらい書こうと思っていたのだが、書いているうちに熱が湧いてきて、文字数がえらいことになった。ということでここで一区切りとする。
正直書き終わった今も、ポジティブ批判になっていないか、ネガティブへの手放しの賞賛となっていないか、不安だらけである。個人的には、ポジティブも良いけど、ネガティブも悪くないよくらいのノリで書いたつもりだが。
何事も考え方次第なんだな、と思うようになれたってことは、僕も少しは大人になれたのだろうか。
そう信じておくことにする。
つづく?
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