僕は我ながら、結構な頑張り屋さんだと思う。
暇は悪。弱音はダメ。ひたすら我慢をした先にしか、成功も満足も無い。もはやこれが僕のポリシーだ。
・・・そんな僕だが、今日、人から「お前、最近根詰め過ぎじゃね?」という指摘を受けた。どうやら他人から見たら、そう見えるらしい。
―少し怖くなったので、ここ最近の自分の行動や、今現在の自分の思考を丁寧に考え直してみた。
結果、『危険なラインで頑張り過ぎてる』と自覚するに至っている。こんな風に意識さえできれば打つ手はあるのだが、そもそも気付くことが難しい。
だから今日は、何らかのヒントになればということで、人が『頑張り過ぎてる』際に出る兆候を、思いつくまままとめてみる。
【休みを削ったり、残業したり】といった行動に出る。
多量な仕事がよく降ってくる。期限にゆとりがあればまだ良いのだが、ひどい時は当日中という条件を課されることもまた、ある。
そして、ある仕事を片付けると、別の仕事が生まれる。資料を作成したら、印刷して分配する仕事が増える、という具合に。
そして自分のスケジュールを振り返ると、業務時間内にそんなことをするバッファは無いと気付く。
となればどうするか。
もし頑張り過ぎているモードになっていると、ほぼ例外なく、『早出しよう』『残業しよう』『休日出社しよう』のどれかに落ち着く。
つまり、【自分をいじめれば、物事は解決できる】という考えに落ち着くのだ。
実際僕もそうだった。一昨日は残業した。昨日は早出した。今日に至っては、休日出社をしてきたところだ。
こんなんで精神的疲労も、身体的疲労も、取れるわけがない。タスクに対する解決策が自己犠牲だらけであるならば、『頑張り過ぎ』を疑った方が良い。
鬱状態にまで突っ込めば、二度と元のところに帰ってこられない可能性もある。自分に優しくすることは、甘えでも何でもないのだ。
解決策としては、人に相談するのが一番だ。正直、頑張っている姿を見て、誰かが気付いてくれることに期待するべきではない。
苦しいという思いを発信しよう。そうすることで、別の解決策が浮かんだり、仕事を肩代わりしてもらえたりするものである。
オフの時間を取るのがめんどくさくなる。
息抜きは大切だとよく言われるし、僕自身もそう思う。しかし、頑張りが過ぎると、そう思えなくなってくる。
朝食。昼食。夕食。睡眠時間に趣味の時間。休日。
抱え込んでいるモノが多くなるほど、『その時間を使えば仕事ができる・・』という考えに染まってくるからだ。
正直、それらの時間を削ったくらいで、片付くタスクの総量に大差があるワケない。
むしろ、栄養不足や睡眠不足によるパフォーマンスの低下により、作業効率が大幅に下がると予想できる。
そうなれば、きちんとオフを取っていた方が、結果物事が片付いていたなんてオチになることもしばしばだ。
機械でさえ、連続して使い続ければモノによっては壊れるのだ。人間ならば尚更だ。
オフの時間は削ってはならない。その時間は組み込まれたスケジュールとして考えるのが良い。
正直、「飯食ってる暇があったら働け!」なんて価値観の職場なら、身体を壊す前に転職すべきだと思う。
休息の時間を軽んじてはならない。オフを取るのが面倒になってきたら、疲れている証拠だ。
そんな行動をしていないか、一度振り返ってみてほしい。
集中するのが難しくなる。
一日のタスクを書き出すことを日課にしている。電話対応、資料作成、それに関する依頼の伝達・・・
やることがたくさんあると、何からすれば良いか分からなくなる。すると不思議なことに、何も関係ない行動に出てしまいがちになるのだ。
気付けばネットサーフィンをしていたり、漫画を読んでいたり、雑談に走ったり。
『頑張り過ぎ』であると、関係ないことにエネルギーが分散するようになる傾向がある。
それを防ぐため、僕はよく、タスクの横に『見積もり』の時間を分単位で書いている。
その中から、『一番早く楽に終わるもの』を選び、終わらせ、さらにそれを足掛かりに残りのものへ取り掛かるのだ。
こうすると、結構スムーズに集中状態に潜れるのでオススメである。いわばウォーミングアップみたいなもの。
『頑張りたい』のに、注意力が散漫な時は、まずは【どれなら楽に早く終わるか】を考えてみよう。
取っ掛かりさえ作れれば、物事は進んでいくものである。
他者への疑いが強くなる。
ここまで行くと末期に近づいていると言えるのだが・・。
鬱に近付いてくると、他者に対する不信感が強くなる。
「仕事を振っても、どうせお前がやれと突っぱねられるしなぁ」
「依頼した方が、かえって失敗が増えるしなぁ」
「この仕事は自分で処理すれば良いのに・・。俺がやることで逆に手間じゃないか」
等々。人に頼むという発想が消えるので、結果、仕事を抱え込むような考え方しかしなくなる。
こんな風に、周りの人間が全て敵であるという考え方に凝り固まっているのなら、極めて危ない。
特に頭の中で、『人に仕事を依頼するも、クソ怒られてそれを突っぱねられる自分』を想像するタイプの人は要注意だ。
想像上の他者が異様に自分に厳しい。そんな思考法が、正常で健康的なわけがない。
どうしてもピンチな時は、やはり誰かを頼るしかない。お願い事など、助力を得るための行動を起こすしかないと思う。
そもそも、地位を築いていたり、仕事上手と言われたりする人は、誰かに依頼を出すのがとても上手い。(その後のフォローや感謝の仕方も同様だとは付記しておく)
健やかに日々を過ごすためには、誰かに依頼をするスキルはもはや必修モノだということだろう。
―ちなみに、もし突っぱねられたらどうするか。僕は、その後の行動として2つのパターンを提案したい。
まずは、頼み方にマズい点が無かったかを反省しよう。説明の不備は?相手の状況を考えずに依頼していなかったか?等々。
無論、そこに自分の感情や、自己批判を挟んではならない。あくまで、知らない他者のやり方を評価するように、ドライに考えよう。
トライアンドエラーが、結局一番伸びる。日頃見ていても、自分を振り返っても、そう思う。
要は慣れだ。依頼の仕方に型が出来ればこっちのもの。そう考えて、出来るまで諦めないでほしい。
もう一つは、論理的に破たんした理由で突っぱねられたときの話だ。
どうみても退屈している状況で、「俺は忙しいんだから」と言われるとか。「お前の方が下なんだから」と返されるとか。「僕にはムリっす」と取り付く島すらないとか。
性根が聖人であれば難しいかもしれないが、僕はそういうのを割と本気で軽蔑する。
人格まで軽蔑することは無いよう気を付けているが、その時の返しについては本気で軽蔑する。
口に出したら喧嘩になって倍めんどくさいので、勿論心の内で、だが。
とにかく自分に責任の一切を感じないよう捉える。そうすると、案外気分は凪いで落ち着く。
そして後、ウザくならない程度に、例えば友人との飲み会など、仕事と関係ない場で発散するようにしている。
ウザくならないように話すコツは、なるべく笑い話に持っていくことだろうか。私怨の話は聞いていてつまらない。
まとめると、想像上の他者はあなたに厳しくても、実際がそうとは分からないので、まずは依頼を出してみよう。
万一、受けてくれなくても、トライアンドエラーを繰り返せば良いだけだ。
仮にクソみたいな理由で拒否されたら、本気で軽蔑してしまおう。
こうしないと、心身共に疲弊して終わる。理不尽な我慢の果てには、せいぜい胃潰瘍があるだけである。
終わりに。
読んでいて感じたかもしれないが、これらは全て僕自身の体験である。だが、酒飲み話に放り込むと、同意を得ることが多い事柄たちでもある。
恐らく僕だけだろうという症状や、あまりにも周知されているそれは、今回弾いている。
『頑張り屋さん』『ネガティブ』『人見知り』
これらの要素が自分に当てはまる自覚があるのなら、今日ここに書いた特徴や症状が出ていないか、少し考えてみていただければ幸いである。