人見知りでネガティブをやらかしていると、どうしても『権力』に弱くなる。身近にして最たる例は、『上司』ではなかろうか。
『理不尽』という言葉を多用され水面下で叩かれるのは同情するが、流石にもうちょっとこちらを人間扱いしてよ、と思うことはある。
少し推測だが、もうすぐ30代の僕からみた20代と、40~50代の上司から見た30代近い僕らは、年代の隔たりこそ同じだが、生まれ育った環境が全く違うと感じる。
僕らは物心つくと同時に『インターネット』が登場していたが、歳が10も上に違えば、それは大体高卒の歳まで存在しなかったことになる。
多分これを背景として、僕らと上司では『理想や美徳』とするものが違う。
だからこそ、そこの共通認識が無いため、軋轢を生んだり、最悪組織を去られたりしてしまうのだ。
ということで今日は、僕が人の上に立つ日に向けて、今から『気を付けろ!未来の僕よ!』というメッセージを書いておこうと思う。(来るかどうかはさておき)
だがここに書いたことは、的外れでもないはずだ。立場がどうあれ、30代前後を相手に呻吟している方には、きっと参考になると思う。
では以下、続き。
①『ラク』を『美徳』に据えるべし!
ラクをすると怒る方がいる。僕はそれについて、よほどのことが無い限りナンセンスだと思う。
Excelのsum関数を使えば一撃の計算、電卓を叩いてどうするんだ?メールで良いところを、手書きするとかなんなんだ?
『ぬくもり』や『まごころ』、『誠意』や『熱意』というのは、僕ら世代にはあまり響かない。
実際僕も、結婚式等の招待状でない限り、基本的にはLINEで連絡が欲しいと考えている。(業務連絡とかなおさらだ)
そう考えると、各作業の合格点を、如何に早くラクに叩き出すか?これを日々追及し、評価するチームは、多分働いていて楽しいし、意欲も湧くと思う。
究極、例えば電話も、何かしらの依頼や謝罪でない限り、LINEで十分だし喜ばれると思う。時間伝達を口頭で行い、相手にメモを取らせるとか愚策である。
僕はある程度の裁量を持てるようになったら、『誰かに失礼じゃないラインを守り、そこまではとことんラクする方法を考えよう、提案しあおう』という風土にしたい。
不毛に拡大した情報発信源は統廃合。ただの名残で残っているタスクは捨てる。何かしらのツールで代替できないか探す。
僕はこれをしたら評価されたいし、これをする人を評価したい。
※一応念のために補足。『"自分"がラクをするために他者を"利用”する』というのは言語道断で、時代を問わず嫌われる人間像の一つである。
②『責任』よりも『次善策』を求めるべし!
『どう責任を取るんだ!』とか、『俺が責任を取る!』という言葉たち。意味も響きも全く違うが、僕らネガティブが思うことは同じである。
『怖さと申し訳なさ』である。前者は言わずもがなだが、後者は自分のヘマで頭を下げさせてごめんなさい、という具合。そしてそれに恐れを抱く。
となれば次の行動は目に見えている。失敗の秘匿だ。ボヤが火事になったあたりでバレて、再び怒られた挙句ケツを拭かされる。最悪である。
だから、『失敗したけど、どう責任を取るか』よりも、『じゃあ、これからどうする?』と考える方が健全だと思う。
例えば僕の場合、何かしらのトラブルを受けたとして、頭を丸められたり、菓子折りを持ってこられたり、玄関先で土下座されたりしても困る。
顧客は立場の弱いものをいじめて留飲を下げたいわけじゃないのだ(その場合もあるけれど)。欲しいのは、これからどうフォローするかという次善策。
だから僕は、実は今の時点から、何かヘマをした人への声掛けとして『それで?』と問うのを徹底している。言い訳よりもこれからの話。そう思ってほしいからだ。
何事も無責任に軽く考えられるのは論外だが、建設的な思考を共有できるよう、意識して働きかけたい。
③『分業』を推奨するべし!
時たま、全ての業務で高水準を求められることがある。言い換えれば、全科目で80~90点を取るような感じだろうか。
ハッキリ言うが、この時間は超不毛だ。例えば僕なら、60点そこそこの及第点が取れるようになったら、それが苦手分野寄りである限り、それ以上は人に求めない。
個性とは不思議なもので、苦手なところは頑張っても60点くらいで止まる。だが得意分野は、100点という上限すら超えてどんどんと伸びる。
そしてさながらシミュレーションゲームのように、その能力を活かせる配置をなるだけ心掛ける。そうすればある意味、100点以上の能力だけで組織が回ることになる。
ただ、それはレアケースなのは100も承知。そういう際は、能力に制度を寄せられないか考えたい。
例えば、対人コミュニケーションは苦手だが、文章作成能力が高いヤツがいるのなら、問い合わせ窓口をメールやLINEに一本化し、そこの運営に据えるとか。
それでも無理なら、代わりのアプリか何かを探してきて、それで穴埋めすればいい。
僕は長所を活かし、短所を補い合うという、当たり前とされる原則を徹底したい。
終わりに。
これを鼻で笑う方がいるのなら、恐らく年代が上か、体育会系の出身なのだろうと思う。それもまた価値観なので、それについてはどうこう言うつもりはない。
しかし、僕みたいに考える人間も、決して少なくないとは思っていた方がいい。同類の人間は、異なる価値観の押し付けに、表現しないにせよ無茶苦茶なストレスを覚える。
そしていずれ、そういった人間がどんどん去っていき、頭を抱えることになるのだ。世知辛い話である。
―さて。実はまだまだ書きたいことはあったのだが、これは僕が言葉にし切れなかったため、別の機会にぶん投げようと思う。
ここまで書いてきてあれだが、僕はその内上司と部下という関係性すら消えるのではと思っており、良くも悪くも『仕事上の利害関係者』で括られる気がしている。
もっとも、こうなればドライな関係が過ぎるので、ウェットなやり取りを欲する欲しないで、住み分けと衝突が起こることだろう。
その時までは、多分ここに書いたモデルは参考になると思う。
では今日はこの辺で。