『謙虚』は美徳とよく言われる。お褒めの言葉を頂いても、『いやいや・・』と腰を低くふるまうのが、その一例。
確かに、天狗にならないように、または過度に自分を評価しないように、という意味では、大切な姿勢なのは納得だ。
また、『出る杭は打たれる』のは世の性だが、『謙虚さ』があれば幾分その攻撃数を減らせる・・という、やや後ろ向きな狙いもある。
市場には『謙虚さ』を説く本も大量に出ているので、身に着けておいて損はないスキルだと言える。特に僕みたいなネガティブや人見知りにとっては。
―だが、周りを見渡せば、『謙虚』のアピールが過剰となり、ただの『自責』になっている人を散見する。
そこまで行くと、言っちゃ悪いがただのめんどくさい人だし、その人の精神衛生上よろしくない影響があることだろう。
かくいう僕も、油断すると『謙虚』を通り越して『自責』に突っ込んでしまうことがあるので、他人ごとではない。
だから今日は、どこから『謙虚』で、どこから『自責』なのかボーダーを、しっかりと考えてみたいと思う。
まずは辞書の定義から。
辞書によると、『謙虚』の定義は以下の通り。
控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。
謙虚の中に『控えめ』が入っているのはわかっていたが、『相手の意見を受け入れること』があるとは思ってもいなかった。ちょっと意外。
確かに、謙虚さの反対の人間を浮かべると、自分の意見を曲げない頑固者が多く頭に浮かぶ。ある意味、納得の話ではある。
では次に、『自責』の定義を調べてみた。
自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えること。
・・こう並べてみると、そもそも辞書の定義から結構別物だと分かる。インドとインドネシアくらい別物だ。
―となれば、『謙虚』と『自責』のボーダーを見つけ出すのは造作もない。
『何かお褒めを頂いた際、その返答の中に自分で自分への人格否定があるかないか』。
無ければ『謙虚』で、あれば『自責』。結構シンプルにまとまった。
・・だがこれは、あくまで定義のお話だ。実際の使用例を見ると、本当に言葉一つでコロコロと意味合いが変わってしまう。
なので次は、実例を基にして、さらに考察を続けてみる。
実例で考えてみる。
『最近本当にお前の成長を感じるよ』
みたいなことを言われたとしよう。『謙虚』に返すと、どうなるだろうか。少し考えてみてほしい。
これはあくまで例だが、
『ありがとうございます。これからも頑張ります。』ぐらいの塩梅が丁度いいのではないだろうか。
『いやいや、とんでもない。僕はまだまだですよ。』くらいになると、若干自責に突っ込んでる気がしなくもない。
『いやいや、僕はまだまだポンコツですよ・・』くらいになると、確実に『自責』だ。
『まだまだ』という言葉は、『イケる』というプラスの言葉や、『半人前』というマイナスの言葉のどちらも修飾できるので、セリフだけでは判断がつかない。
だが『ポンコツ』は、能力が不足している人間に使うものだ。それを自分に使った瞬間から、それは『自責』に様変わりする。
『辞書』の定義だと結構簡単だが、やはり実際の使いどころではかなりアバウトだと言える。
自分の発言を振り返ってみると、どうだろうか。『自責』フレーズが入ってたりしないだろうか?
さっきも言ったが、僕にとっても他人ごとではないのだ。ということで、次は『自責』を『謙虚』に変える練習をしてみようと思う。
練習:『自責』を『謙虚』にしてみよう。
今から、ある誉め言葉と、それに対する返しを載せておく。
ネガティブたっぷりな『自責』の返答を、上手い事『謙虚』くらいに出来るよう、表現を変えてみてほしい。
それによって、『謙虚』な返しの練習になる―と思うからだ。では、以下問題である。
①『さすが仕事が早い!』
→『いや、もっと早くできたんだけどね・・』
②『どんだけ物知りなん?』
→『もっとできるヤツはいっぱいいるよー』
③『料理上手なんやね』
→『レシピ見てるだけだから、誰でもできるよ。』
④『前期、君の頑張りの評価が高かったよ』
→『そうなんすか?〇〇さんのが絶対頑張ってるのに・・』
―さて、どうだろうか。読んでて胃袋が酸っぱくなったことだと思う。或いは、『なんだこのクソめんどくさいヤツ』と思われたかもしれない。
ちなみにこれ、まだネガティブ拗らせまくりの状態の僕が実際に返しちゃったセリフである。あーあ、ただのめんどくさいヤツじゃねぇか。
さて。皆様は上手い事、『謙虚』のラインにまで言葉を変えられただろうか?
・・・ここまで書いて気付いたが、『自責』を『謙虚』に変えるには、あるシンプルなルールに則るだけで良いっぽい。
それは、
1.感謝から返しを始める。
2.誰かと比較しない。
3.もっと頑張るという未来を語る。
の3点だ。実際にこれを踏まえ、先ほどのクソみたいな返しを直してみる。
①『さすが仕事が早い!』
→『いや、もっと早くできたんだけどね・・』
→『ありがとう。なんなら次はもっと早くやったるわ!』
②『どんだけ物知りなん?』
→『もっとできるヤツはいっぱいいるよー』
→『あざす。なんか分からん事あったらいつでも聞いてー』
③『料理上手なんやね』
→『レシピ見てるだけだから、誰でもできるよ。』
→『ありがとう。もっとレシピ覚えてご馳走するわ!』
④『前期、君の頑張りの評価が高かったよ』
→『そうなんすか?〇〇さんのが絶対頑張ってるのに・・』
→『ありがとうございます。これからも頑張ります!』
という風に、シンプルながらかなり健康的な返しになったのでは?
『感謝』で受け止めて、『これからも、もっと精進する』というメッセージを添えれば、『謙虚さ』においては満点であろう。
逆に、『自責』とは大体『比較』から生まれるものだ。その要素を除けるだけで、『自責』という仄めかしは消える。
―と、足掛け2500字、『自責』と『謙虚』についてを書いてみた。
だが、実際お読みいただいている方の中には、どうにも『自責が悪』という感覚になっていない人もおられるのでは?とも感じている。
理由は、ネガティブ全盛期の僕が読んだとすれば、この内容には納得しきらない自信があるからだ。
『謙虚であればあるほど良いと本に書いてあったぞ!結果自責に突っ込んでも、謙虚の延長ならいいじゃないか!』
という風に駄々をこねる自分が見える。ということで最後に、ちょっとした冷や水をぶっかけて終わりにしようと思う。
終わりに。:『自責』のなれの果ては不幸すぎる価値観だと伝えておく。
この記事を読むと、ハッと目が覚める感覚を抱くかも。それくらい結構ショックなことが書いてある。
『自責』の果てに待っているのは、『小さな成功体験の中に粗を探す癖』であり、『自分を絶対に認めない』というマインドセットだ。
無意識下に『自分を低く考えるゾ!』という心構えになると、本当にそれしか考えなくなるから、脳みそとは結構難儀なものだ。
テストの答案が良い例である。90点を取ったとして、取れなかった10点を悔やみ、満点じゃない自分は無能と思うなんて・・一体何が幸せなんだ?
どれだけ心が健康でも、こんな思考をしている限り、潰れるのは時間の問題だ。『自責』グセは、それをひたすら加速させてしまう。
そして『自責』のスタートは、『謙虚』を履き違えたところからスタートすることが多い。
だからこそ、この2つの違いを意識して、『自責』に突っ込まないよう意識を向けてほしいのだ。
―自分を認められない状態は、本当に悲しい。そういう人を見ていても思うし、過去の自分を振り返っても、そう思う。
最後はかなりメッセージ色の強い終わりとなったが・・
今一度、自分の『謙虚』と『自責』について、思いめぐらせてみてはいかがだろうか。