僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

思いはするけど言いはしない、ネガティブと向き合い続ける胸の内を吐き出すブログ。

僕は『努力至高主義者』を心底危惧する。

『努力し続ければ夢は叶う!』みたいな文言がある。響きとしては尊く、そして同時に熱い言葉である。

 

だが僕は、この言葉に違和感しか覚えない。何というか、無責任に人に言うことは絶対できないなと思う。

 

僕はずっと、『努力って本当に全てを叶えるツールなの?』という疑問を抱えている。だがそれは、どこかタブー視されたものという印象さえある。

 

ぶっちゃけ僕は、『努力至高主義者』について、正直心底危惧している。何というか、人生を無駄にするリスクがデカすぎるためだ。

 

ということで今日は、僕が『努力』について考えている黒いことを、チラ裏みたいなもんだが書き散らしておこうと思う。

 

 

 

『諦めなければ夢は叶う!』のは本当か?

f:id:pochihiko_inunosuke:20191117121644p:plain

僕は子どもの頃、漠然と日頃テレビ番組で観るような職業に憧れを抱いていた。アナウンサーとか弁護士とか、そういうもの。

 

そこから少し分別が付くようになると、やれ野球選手だの、やれ研究者だの、僕の夢は二転三転した。

 

そして今。僕は、上記の夢のどれも叶えていない。全て『現実』の壁に当たって、砕けて消えた。だがとりあえず、今は幸せだ。

 

『負け犬の前向き思考』と言いたければ好きにすればいいが、現実はこんなものが大半だと思う。

 

―では、仮に上記の夢について、長いスパンで諦めずに取り組んでいたら、僕はそれを叶えていたのだろうか?

 

実際、これもかなりの眉唾物だ。

 

『10000時間の法則』というものがある。簡単に言えば、10000時間何かしらに打ち込めば、どんなに能力が無くてもプロになれる!みたいな意味。

 

1年を365日として単純に計算すれば、1日3時間弱の努力を10年繰り返すと、誰でもプロや天才になれる!という具合だ。

 

まさに努力の正当性や素晴らしさを謳った話である。

 

―さて。この法則だが、科学的にはどうやら否定的なデータが出揃いつつあるらしい。

daigoblog.jp

yuchrszk.blogspot.com

 

これによれば、能力の差は大半が才能や教わり方、環境に起因し、練習量は能力のほんの一部にしか影響しない!という内容だった。

 

顔面にパンチを食らったかのような衝撃。恐らく僕が抱いた淡い夢全てに10000時間を投資しても、その全てはほぼ無駄になったに違いない

 

ということで僕自身の実体験や、こういうマスデータが出てきたのもあり、僕は『考え0に努力を信奉すること』に危機感しか抱かないのだ。

 

―ではそういう冷厳な事実を知ったうえで、一体どういうアクションを取るべきなのか?

 

僕は正直、『戦略の無い努力』はハッキリ言って無駄だと考えている。では、その『戦略』とは何か?

 

以下それを、下につらつらと書いていく。

 

自分が持つ『リソース』を、適切に振り分けよう。

f:id:pochihiko_inunosuke:20191117122150p:plain

 

冷静に自分を見つめ直したとき、皆さんは一体、『どんな適性が自分にある』とお思いだろうか。

 

恐らく答えに窮することだと思う。(そうでなければ、就活のエントリーシートの書き方の指南本があんなに出るわけはない)

 

では逆に聞く。『自分はこれについては才能ねぇなぁ~』と思うものはなんだろうか。

 

僕は山ほどある。

 

サッカー、恋愛、UFOキャッチャー、バスケ、数学、物理、一発芸、アイドルおっかけ、裁縫・・・・・・

 

思いつくまま挙げても、大なり小なり大量に出てきてしまった。

 

そして最後に、『才能はねぇと思うけど、ぶっちゃけ好きっちゃ好き』なものを、それらから除いてみよう。

 

僕なら結果、『サッカー、恋愛、UFOキャッチャー、物理、アイドルおっかけ』が消えずに残った。

 

その上で確認。

 

あなたは、自分が持つ『リソース(≒時間、金、労力)』を、そういった好きでもなければ得意でもないモノに振り分けちゃったりしていないだろうか?

 

それはハッキリいって金ドブに等しい。好きでも得意でもないことにリソースを振り分けても、それは人生の浪費。

 

才能があれば、努力に比例して色んな能力が高まり楽しいだろうし、好きなものに取り組む時間を増やせば、それは純粋に面白いはずだ。

 

そういうのをガン無視して『努力すればなんでも上手くいく!』といったことを妄信するのは危険。それが僕の意見である。

 

『別に好きじゃないけど、みんなやってるから』『正直全然できないけど、やった方が良いような気がするから』

 

そんな理由で取り組んでいるものがあるならば、今すぐかなぐり捨てて別の道を探った方がいい。(その方法については後述)

 

数学的センスが皆無で、かつ別にそういうのをイジる仕事に就いていないのに、情報処理技術者試験を受けても意味がないだろう。

 

英単語も英文法もチンプンカンプンで、かつ外国人と接するような仕事に就いていない人が、通訳を目指しても徒労だろう。

 

今一度、自分が取り組んでいる『努力』が、自分の持つリソースの無駄遣いになっていないかは、見つめ直してみてほしい。

 

千原せいじ氏も『がさつ力』の中で言っていたが、『できんことはできん!』で良いのだ。

 

社会は分業で成り立っている。できんことは人に任せ、別の所で自分が持つ能力を活かせばいい。

 

―では次に、僕がちょこちょこ言っている『戦略』の中身についてご紹介していこうと思う。

 

あまり手間も時間も掛からないので、気軽な気持ちで試してみてほしい。

 

『適切な努力をするための戦略』とは?

 

①自分の『才能』『特技』を把握する。

f:id:pochihiko_inunosuke:20191107130509p:plain

 

僕自身一時期罠にハマっていたのだが、自分で自分の『強み』とか『才能』や『特技』を見つけ出すのは、ネガティブには無理ゲーだ。

 

『いやぁ、俺程度のヤツが強みを言ったって、絶対もっともっと上のヤツが居るし・・』という考え方。これが邪魔をする。

 

最近ふと悟ったのだが、ナンバーワンのヤツだけが市場やニーズを独占するなら、世の中には『同業他社』という言葉は無いハズである。

 

つまり、『強みを発表すること』は、一位のヤツにのみ許された資格でも何でもない。(当たり前だが)

 

好きなら好き、出来るなら出来る、得意なら得意で良い。心底そう思う。

 

―とまぁ、これ以上言葉を尽くしても、自分より上の人間の存在を恐れるマインドが強いと、暖簾に腕押しだと思う。なので具体的な策をば。

 

それは意外と簡単だ。LINEでもいいので、友達に、『俺の強みって何?』と聞く。これだけだ。

 

中田敦彦氏の『天才の証明』の一説にもある。簡単に言えば、『人は自分の才能に無頓着』なのである。

 

自分で気づけなくても、周りは気づいてくれている。だからぶっちゃけ、自分でうんうんと唸るより、人に聞いた方が早いし正確だ。

 

僕も友達に聞いてみたのだが、どうやら僕には、『記憶力が高い』『料理が上手』『エピソードトークが得意』『発想が独特』という強みがあるらしい。

 

書いていて恥ずかしいが、自分ってこうなんだと別視点から見つめ直すことができ、より正確に『己』を掴めたような実感がある。

 

②『好き』の定義を広める。

f:id:pochihiko_inunosuke:20191117132740p:plain

 

例えば、スポーツが大好きな人がいるとする。だが残念ながら、その人には、特別高い運動能力は備わっていないとしよう。

 

では、この人は夢を諦めるべきだろうか?

 

少し考えれば当然なのだが、諦めるのではなく『好き』の定義を広げればいい話だ。

 

スポーツと一口に言っても、例えばスポーツトレーナーや整体師、またはグッズの生産など、将来的に携われる方法は山ほどある

 

それにそもそも仕事にしなくても、草野球や同好会でフットサルレベルのものに加わり、余暇の過ごし方の1つにしてもいい。

 

『続ける』か『諦めるか』の2つにするからしんどいのだ。この辺のちょろまかしは極めて大切である。

 

尚、これは必ずさせられるものである『勉強』も同じだ。

 

『数学』は全部嫌い!できない!と投げやりになる前に、『空間図形は?』『平面図形は?』『文章題は?』みたく、より細かくするのも大いにアリ。

 

諦めるのなんていつでもできるので、その前段階の工夫は意識して行うようにした方がベターである。

 

終わりに。

 

一応断っておくと、僕自身、努力そのもののプロセスを否定する気はさらさらない。

 

それが実った時の言い知れぬ感覚は病みつきになるほどだし、仮にそうでなくても、得られる経験値は大きく、また尊い

 

―だが、それは努力が適切な方向に振り分けられていれば、の話だ。好きでも向いてもいないものに、人生を捧げるのはナンセンスである。

 

英語が苦手ならアプリを使って訳せばいいし、計算が苦手なら電卓を叩けばいい。何もかもがむしゃらに取り組む必要は、ぶっちゃけ無いのである。

 

ということでネガティブ全振りであーだこーだと書いてみた。ここに書いたことが、何かしらの考えを変えるヒントになれば嬉しい。

 

それでは今日はこの辺で。