世の中、色々な『勝ち組』がいる。
とりあえず思いつくまま書いてみよう。
東大・京大卒、年収1000万、高身長、モデル体型、実家が裕福、テレビ出演アリ、ルックスが優れている、コミュ力抜群、帰国子女、リア充・・・
これだけでも、書いていて吐きそうになった。自分はこれにかすりもしていない事実に。そして、どれかに当てはまらなければ『負け組』扱いになる世の中に。
『勝ち組』ならば幸せで、『負け組』ならば不幸。なんかこんな図式があらゆる人のメタから感じられて、本気で疲れてくる。
―ところが最近、僕ら日の目を見ない側の人間にとって、かなりありがたい情報が飛び込んでくるようになった。
僕は正直、それを知るたびに興奮している。アドレナリンが出まくっている。脳裏にこびりついて落ちなかった、『敗北』という意識が消えていく感覚がある。
では、そのワクワクする情報とは何か?早速以下に並びたててみよう。
『リア充でなければ不幸』というマウントの"嘘"。
『彼女がいないとか、ププッ(笑)』という風潮がある。
ぶっちゃけ某宣伝系Vtuber並みに鬱陶しいのだが、この意識のが多勢なので何もできない。
いや、違うな。『できなかった』という方が正確だ。
まずはこの記事をご覧いただきたい。
もし世間の風潮が事実に即しているなら、『10代で恋愛経験のない(僕みたいな)人は、リア充と比べて不幸である!』という結果になるはずだ。
はたして、その結果はどうだったか。衝撃だったので、丸ごと引用する。
もっともソーシャルスキルとリーダーシップの能力が高かったのは、まさかの「交際をしないグループ」だった
ほぼ交際経験がないグループは、抑うつのスコアも低い傾向があり、悲しみや絶望などのネガティブな感情も経験していなかった
なんと。僕らはもしかしたら、いわゆるリア充より科学的に見れば幸せかもしれないのだ。
ちなみにこの原因については、片思い相手の好意の有無を思い悩んだり、交際の中でストレスを感じたりすることが、負に作用しているのでは?と考察されていた。
まぁ、確かに。僕の周りでも、ぶっちゃけ『恋愛』は七面倒という意見が、とみに増えたのを感じる。何なら、多分その通りですよね、と同意さえしている。
最後のはただのボヤキだが、『リア充=幸せ』はさておき、『非リア充=不幸』という命題は完全に偽であるらしい。
ただし、これは海外の実験なので、日本で行われれば話は別かもしれない、とは付記しておく。
ポジティブ至上主義の罠。
バラエティ番組を観てるとたまに思うのだが、ネガティブ全振りの人間は見世物のごとく嘲笑の的になっている気がする。
どうやら世間においては、『豪放磊落』とか『呵々大笑』といった言葉の似合う『ポジティブ全振り人間』でないと、『勝ち組』には入れないらしい。
それを気にしてか、アヤしいセミナーやもはやテンプレな自己啓発書にのめり込む人が後を絶たないという。思い当たるフシは無いだろうか?
―もしあるのなら、そんなあなたにこの記事がオススメだ。
この記事によれば、ネアカでもない人が無理にポジティブ思考を真似することで、以下の弊害が起きるという。
①給料が下がる!就職できる確率が減る!
②勉強、恋愛のモチベーションが低下!
③ついでに心身の健康も悪化!
④目標達成ができなくなる!
―もはや毒性だけなら水銀並みだ。健康に良いと言われているはずなのに、実際はそれを思い切りぶっ壊しているではないか。
この現象の原因は、
『理想』を高くし過ぎることで、そうではない現状との落差に思い悩んでしまうから
ポジティブを言い訳に都合の悪いことから目を反らすため、同じ失敗を繰り返しがちだから
という考察が添えられていた。しかも、日本人の97%ほどは、遺伝的に『生まれつきのネガティブ』なのだという。
したがってポジティブ至上主義とは、日本人1万人中9700人の健康を害するトンデモ理論だとも言える。
いやぁ、20代の早いうちに、ポジティブなんて諦めてて正解だったなぁ、としみじみ思わされる。
※ではネガティブならどうすれば良いか?というのは、昔こんなのを書いてます↓
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
そもそも『勝ち組』『負け組』とかを語りたがるヤツの心理とは?
最後に、実は一番僕の心をラクにしてくれた『事実』を書いてみる。
それは、『やたらと誰それは負け組で、誰それ(あと自分)は勝ち組と言ってくる人の心理』である。
これまた、この記事に短くも深く鋭い名言が紹介されていた。
その名言とは、
凡人はたいてい自分の能力を超えるものを断罪する
というものだ。これを読んで、少し考えて、『確かになぁ』と思った瞬間、僕は色々とバカバカしくなった。
僕自身、昔は立派な人に会うたび、その人に弱点は無いかと無意識に考えてしまっていた。
多分、負けたくなかったのだろう。その時点で負けているのにも気づかずに。-愚かを通り越してもはや滑稽である。
となれば、大抵は逆もまた然りなのだろう。
『いい年こいて彼女もいないとか終わってるよね、ププ』などと言っちゃう人は、大抵自分も似た負い目があるという裏返しだ。
思えば、僕の周りにも、過去何人か、何を聞いてもとりあえず非難から入るめんどくさい奴はいた。
『俺はイマイチだと思うんだけど・・』『おもろなさそうだなぁ・・』『そういわなくもないけどね、』みたいな。ああ、背中が痒くなる。
僕自身そいつらと関わるのは嫌だったし、友達が多い印象も受けなかった。加えて、何か大層なことを成し遂げたという話も聞かない。
なるほど、あれはコンプレックスの裏返しだったのかと、今なら思う。
一方、誰から見ても勝ち組に居る人が『俺は私は勝ち組だぞ!』と喧伝するのは、ぶっちゃけ滅多に見ない。だからこその『勝ち組』なのだろう。
神経を図太く考えるなら、誰かに揚げ足を取られたとき、あなたはその人に勝っていると言える。
人のカテゴライズはぶっちゃけクソ不毛な時間なので、一歩引いて大人の態度で接するようにした方が良さげだ。僕も意識してそうしている。
終わりに。
ということで今日は、『世間が押し付ける不幸』について私見を書き殴ってみた。
すると一層、『勝ち組』という定義とは、発展途上の人が己のコンプレックスを隠すという目的で他者を攻撃するための道具としか思えなくなってきた。
やはり、『勝ち組に入るというそれだけ』を目的として、そのステータスを目指すのはバカバカしいと言える。
さて。
これから新生活が始まり、出世するヤツしないヤツ、進路に明暗が分かれるヤツが色々と出てくる。
すると登場するのが、頼んでもないのに『勝ち負け』を決めたがる外野だ。
皆さんは、そんなワケの分からないやり取りに巻き込まれ、不毛なストレスを感じないよう、重々意識しておいてほしい。
ということで最後に、もう一個お気に入りの『ロシュフコー』の名言を紹介し、それをもって終わりとする。
人が不正を非難するのは、
そのことを憎悪するからではなく、
むしろ、自分がその害をこうむりたくないからである。