僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

陰日向からの独り言。 第1部 ―ネガティブと友達になりたい僕―

記事にするほどではないものの、埋没させるには惜しい小ネタとか、ただ書き残したいだけのことが、時たま浮かんでくる。

 

今まではそれを無視したり、別のタイミングで他のネタをくっつけて形にしていたが、今回いっそ小ネタは小ネタでまとめてみることに決めた。

 

要するに、『コラム』である。そして僕がこの記事に抱くイメージは【徒然草】、そんなところだ。(もちろん、そんな大層な話では無いが)

 

それでは、文字数的にそこそこ溜まり次第放出する不定期コラム、早速始めてみよう。

 

 

 ネガティブに仕事を丸投げすると、めんどくさい解釈をされるという話。

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新年度が始まり、仕事における役割がちょこちょこと変わってきている。まず一番に気付いたのが、僕の作業量がかなり増えたことだ。

 

新部署の立ち上げに始まり、各種広報、アイデアづくり、校舎設備管理等々、何故かキャリアを重ねるごとに、仕事がどんどんと上積みされていく

 

贅沢なことを言えば、別に上積みされても、レベルも責任も増すなら、僕はやりがい的に問題は感じない。

 

ただ今回引っかかるのは、新人の頃に受け持っていた雑事が、そのまま積み重なっている点だ。これ、僕じゃなきゃいけない理由はなんだ?

 

―そう考えると、ネガティブ式解釈が鎌首をもたげてくる。一瞬だが、『こいつにやらせておけば文句言わねえと思ってるのかな?』みたいに考えてしまった。

 

うーん、よろしくない。やはりネガティブ程、基本増えるタスクを好意的に解釈はしない

 

その一方で、野心家みたく、『言われた以上のクオリティで、期限前倒しでやったらあ!』という熱量もない

 

さて。こんなことを思うネガティブな僕だから言うが、ネガティブを部下や同僚に持った人は、自分の論理が通じづらくて難儀してるのではと考えてしまう。

 

ということで、その心理を伝えよう。

 

個人的には、タスクが増えた際は、その【意義】を教えてくれると一番嬉しい。何故僕なのか、その理由が知りたいのだ。

 

例えば、手先が器用だから掲示物を依頼するとか、Excelに詳しいから各種計算を依頼するとかなら、仮にただの建前だろうと、まだ素直に受け入れられる。

 

それも無しに『いいからやれ』というスタンスだと、僕らはそれを『便利屋扱い』と考える。そして、ぶっちゃけると、ちゃんと少しは不満を感じる

 

ネガティブではあっても、心のないマシーンではないのだ。そういう反骨心くらいは持たせていただきたい。

 

―僕が上司になる日がいつになるかは分からないが、部下である自分が抱えた疑問は、こうしてここに残しておくとしよう。

 

そして未来の自分が、未来の部下に同じことをしないよう、今の内から願うとする。

 

 『考えない!』は『考えてる』という話。

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最近、意識して『マインドフルネス』に取り組んでいる。簡単に言えば、『今、ここに集中する』というものだ。

 

得てしてネガティブの渦中にいるとき、目線は『今』を見ていない。過去の後悔や、未来の不安ばかり見つめて、勝手に自分の首を絞めている。

 

―さて。なぜこの『マインドフルネス』を心掛けているかというと、僕の職場の時期的に、受動ストレスが爆増したためだ。


いい結果もあれば、辛い結果もある。いい結果は別に良いのだが、辛い結果を出されたとき、それを一心に背負うと心が壊れる。僕はそう危惧している。

 

失敗や挫折とは、人ひとりの心に激しいダメージを与える劇薬だ。僕一人で何人ものそれを背負えるわけがない。

 

"思いやった結果、僕が壊れてどうする?背負い込んで壊れることが優しさなのか?そんなワケは無いよな。"

 

そう言い聞かせて、他者のネガティブと距離を置くように取り組んでいる。

 

さて。そのコツは、なんとか最近ぼんやり掴みつつある。それは、『考えない』のではなく、『意識を向けない』という感覚だ。少し分かりづらい。

 

まず前提として知っといてほしいのだが、『考えない!』と意識するとき、脳はハッキリとそれについて考えている

 

『忘れろ!』と言われてもトラウマ体験が消えないのと似ている。だから大切なのは、『ネガティブを認めつつも、意識しない』という感覚である。

 

例えば僕の場合だと、寝る前などの暇なとき、よく脳内にネガティブな考えがふつふつと湧いてくる。

 

そういう時は、『ネガティブをシャボン玉のようなものだとイメージし、それをただ眺める自分』を頭の中で描く。

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『やらかした過去』とか、『せねばならないタスク』と書かれたシャボン玉が、屋根まで飛んで壊れて消えるのを眺める場面が、僕にとってはしっくりくる。

 

繰り返すが、『考えない』と意識しているとき、それは『考えてる』と同義だ。『考えないことと意識しないこと』は似て非なるものである。

 

難しいが、これは修行を継続していこうっと。

 

堂々と『無知』だと言える人って強いよねという話。

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時折、専門用語をふんだんに織り交ぜて何かを書く人を見る。

 

『アクティブ・ラーニングをドラスティックに導入するスキームで、生徒・教師双方にウィン・ウィンのメリットをもたらす』

 

みたいな?もちろん、これは今適当に考えた言葉である。

 

さて。こういう言葉に出会ったとき、僕は色々と考えさせられてしまう。まず一番に思うのは、『あれ?俺ってバカなのかな?』というものだ。

 

日本語で話しているはずなのに、相手の話が理解できない。自分の無知さが恥ずかしくなる。

 

ただ、最近は割とすぐ冷静になり、あることに気づく。それは、『もしかしたら、難しい言葉を使う自分に酔ってるパターンか?』というものだ。

 

文脈や場面によるが、唐突にカタカナ言葉を乱用する奴は、大体『俺賢いアピール』の可能性が高いのだという。つまり、相手に理解してもらう必要が無いのだ。

 

しかも色々拗らせていると、『相手が理解できないのを見て、自分が上に立つ』という感覚が得たいがための行動として上記のが出てくるそうな。

 

そう考えるとなんか哀れになる。

 

さて。そういう心理を知っておくだけでも精神衛生には良いのだが、世の中には無知を武器にそういう輩の鼻をへし折るツワモノがいるらしい。

 

例えば先ほどの場合だと、『何?アクティブラーニングってそもそも何?』みたいに質問を即座に返す感じ。

 

そして相手が説明をしたら、『やっと分かったわ。なんで最初からそういってくれないんだ?』とねじ込み、相手を狼狽させるのだという。

 

うーん、堂々と言えば無知すら武器になるなんて、深い話である。しかも知ったかぶりをしないことで、自分の学びにもなる。まさに一挙両得。

これは訓練して会得しよう。そうしよう。


『成長』とは、嫌なものにあえて飛び込むことである・・・かもという話。

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知っての通り、僕は自意識過剰であり、写真に写るのさえ嫌いである。(猛烈な恥ずかしさと抵抗を覚える)

 

だが最近、ある仕事上の都合で、自分で自分の動画を撮って、自分で編集するという鬼のような作業をする必要が出てしまった

 

どうにかこうにか逃げようとしたが、どうにもならないと悟り、覚悟を決めて、僕は自分が誰かに語り掛ける動画を撮った。

 

あの時の変な汗、変な震え、詰まる喉の感覚、全て覚えている。全裸でスクランブル交差点の真ん中に歩いていくくらいの恥に身を投じるかのような不安。

 

撮り終わった僕は、まるで女子に告白するかのような勇気を振り絞り、動画の再生ボタンを押した。動画の中で、自分が喋っている。

 

今まさに、僕は自分が恐れに恐れていたことに突っ込んだのだ。

 

―だが、意外な結果が待っていた。最初こそ猛烈にイヤだったのだが、その『イヤ』が持続したのは高々数十秒だけであった。

 

『あぁ、あの声の張りじゃあ、全然音拾えてないじゃん』『へー、思ったより俺、声高いんだなぁ』

 

といった健全な発見が次々とあり、強すぎる自意識は次第に薄まっていった。さらに驚きは続く。

 

『もっと動作は大げさにしてみよう』『次は声で遊んでみるか』『意外と言葉に詰まってる部分は無いんだなぁ』

 

といった風に、どうすればより良い作品になるかを考えていた自分に気づいたのだ。もはやそこに、自分を衆目にさらすことへビビる僕は居なかった。

 

―多分、今日は変なテンションになっているのもあるのだろう。だが、継続すれば自意識を思い切り壊せそうな期待もある。

 

ただ、コンプライアンス上、その動画を公共の場へアップすることは出来ないのだが、多分そうなっても平気そうな気はする。

 

ということで、無責任に聞こえたら申し訳ないが、自分が『イヤ』と思うことにあえて飛び込むことを僕はオススメする。

 

そうすることで、苦手意識の克服はおろか、新たな自分に出会えるチャンスを得られる可能性もある。これは美味しい話ではないか。

 

勿論、一層『イヤ』が深まる場合もあるが、それはそれで、『これはどうにもイヤなんだな』と再確認できるため、つまり収穫しかないのである。

 

ということで僕は明日、また動画を撮影し、自分で自分を批評する。

 

 終わりに。

 

ということで、あっという間に3000字超えである。塵も積もれば山となる、って結構ガチな話なんですね。

 

ネガティブだから色んなもやもやを抱え、人見知りだからそれを発散せず蓄積する。もうすぐ30代なのに、直らないものは直らない。

 

ハー、ヤレヤレ。

 

―こういうやるせなさと、その中にある生きやすさへのヒントが、少しでも伝わっていれば嬉しい。

 

それではまた、ネタが溜まったらこのシリーズを更新する。その日まで、さらばである。

 

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