僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

実は『結婚』したいけど、別に『恋愛』はしたくないので、その辺をウダウダ書き散らしてみる。

最近、結婚とか恋愛が絡む吉報が相次いでおり、心が猛烈に揺れている。

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まず、僕の親戚の男が、ついに結婚した。ちなみに僕よりそこそこ年下である。また、『恋愛とかしねぇ』と言っていた人間に、しれっと彼女ができていたとも知った。

 

己の信念が試されているかのような偶然に、少し考えさせられる。羨ましさを覚える自分も、祝う自分も、しかしシニカルに見つめる自分も、心に居る。

  

かつてはあれこれと書いたものだが、今の僕のスタンスは、以下の通りだ。

 

『結婚』したいけど、別に『恋愛』はしたくない。

 

今日は同じ考えを抱きながらも、それを落とし込めていない同志に向けて、僕の私見をまとめてみる。同じ価値観をお持ちならば、面白い・・・かも。

 

ではいこう。

 

 

欲しいのは愛の対象ではなく・・・

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言い切るが、僕が欲しいのは『構ってくれる人』である。

 

僕は何もしないままに余暇を過ごすのが嫌いなくせに、独りであちこち行くのも気恥ずかしい人見知りだ。だから、割と誘えば構ってくれる、同類の暇人が欲しいのだ。

 

だったら、野郎の友達をたくさん作れば良いのでは?と言われる。それはもっともだ。しかし、野郎と行くと変な感じになる場所もまた、僕が訪れたい場所には多い

 

例えば、僕は今猛烈に水族館と動物園に行きたいのだが、ここに男二人で行く勇気はさすがにない。前者は大丈夫だが、後者は独りで行く度胸もない。

 

ついでに言えば、僕は変に飽き性だ。同性とばかりだと、行動のセンスや思考がどうしても似通ってくるため、そこの視野を広げたいという高尚な狙いもある。

 

そして僕は、性嫌悪気質も、アセクシャル気質も相変わらず強いので、依然としてつゆほどもエロスな意味での関係性に興味がないという特殊な事情の存在も大きい。

 

動物的な意味で女性としての魅力に溢れすぎる人は、未だにどうにも敬遠してしまう。そんなワケで、未だにエロ本を読むことができない。(具合が悪くなっちゃう)

 

・・・つまり僕は何が言いたいのかというと、要はお互いがお互いの暇つぶしに付き合うという、そんな程度の間柄が一番丁度いいという話である。

  

となれば、その関係性を定義づけするならば、『恋人』という肩書は大層で、『親友』も何か強すぎる

 

色々と考えたが、僕にとっては『旦那』と『かみさん』くらいの近しさで呼び合うあの温度、それが一番しっくりくると感じている。

 

『この人が良い!』という激しさは要らない。『この人でも良い』とお互いが思う。

 

そんな風に、『異性』『恋愛』という実は中身のない言葉にほとんど価値を置いていない、ある種達観した方がいないかと、僕は難儀しながら思いを馳せている状態である。

 

なぜ『結婚』はしたいのか?

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理由は2つある。

 

まず1つは、『彼女』という存在や、『恋愛』というよくわからない何かに存在する、不安定さとか面倒な駆け引きという要素が超煩わしいからだ。

 

男がリードとか、おしゃれに気を配れとか、割り勘NGとか、そんなもんお互い意味不明な投資と気疲れである。心を許した友人に、そんなことはあまり意識しないだろう。

 

繰り返しになるが、それらの駆け引きや、相手の心の内を推察することを楽しいという人は、それを満喫すればいい。だが僕は、それを七面倒としか思わない。

 

これは人によって違う価値観であり、双方の合意を目指し語り合うだけ不毛な議論である

 

そしてもう1つの理由は、その一方で正直『家族』や『子ども』という存在は憧れがあるためだ。これは自分の中で言語化しきれていないものの、本能が何かを訴えている。

 

気付けば誰かの子どもの成長エピソードを、微笑しながら観たり聞いたりしている自分が居る。そもそも今の仕事が、それを身近で強く感じられるものであるとも言える。

 

―現在、『結婚』する理由は、『子どもが欲しい』以外には無いと言われている。ぶっちゃけ、それは結構同意する。

 

とはいえ僕はその目的に合致しちゃっているので、そのものも同時に肯定せざるを得ない。僕の主張を支えるのは、そんな迂遠ながら中身のないロジックなのだ。

 

『恋愛』という無駄はなるだけ省きたい。

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僕は【この人が最高だ!】という踏ん切りで始まる関係は本気で嫌である。なぜかというと、その後の人生が【減点方式】でスタートするためだ。

 

全員ではないだろうが、多少の演技力と集中力さえあればいくらでも『対外的な自分』ばかり相手に見せられる。すなわち、『理想』を維持し続けられるのだ。

 

しかし、それを決め手に関係を深めたら、待っているのは『理想』と『現実』のギャップだ。さながら就活生が入社してすぐすぐに、その差異に失望するのに似ている。

 

共に過ごす時間が増えれば、『あれ、意外とガサツなんだ・・』『うわ、趣味悪う・・』という風に、欠点ばかりが目に付くようになる可能性が高まる。

 

そうして減点に減点を重ね、あるラインを超えると・・その関係は終了となる。(そもそも、他者を自分の理想というモノサシで評価するという姿勢がマジで気にくわない)
 

だから僕は、お互いがお互いにあまり期待しない状態でスタートしたいのだ。つまり、ゼロから始まり、『意外といいとこあるじゃん』を重ねていく方が健全かなと。

 

ということで今から、頭のおかしいことを言う。僕は誰かの一番になりたくはないし、誰からも一番だと思われたくはない。

 

『お前で良いか』と思いたいし、『あなたで良いか』と思われたいのだ。過度な期待など互いに不要。どうせ、理想の存在などいない。僕はそこまで優れた人間ではない。

 

正直、僕は『恋愛』という無駄な期間を全力で省きたい。だからこそ、例えばファーストコンタクトは飲みでもなんでもいいだろうが、僕は格好をつける気は皆無である

 

いきなり全力で等身大を出す。それで引くならお好きにどうぞ。そもそも僕みたいな変わり者を探すための時間なので、変に構える方が目的に合わない。

 

でだ。そこで知り合えたら、4回くらいどっかに出掛けるのはアリだと思う。内訳は、お互いが行きたい飯屋とスポットを1つずつ、という感じ。

 

その上で『別にいいか』とお互いが思うなら、僕は3ヶ月だけ付き合ってみる』のが一番しっくりくる次のステップだと感じている。

 

そしてその期間が経過し、『お互いがお互いより良い人を見つけていなくて』、かつ『なんかその作業がめんどくさい』と思うなら、僕は籍を入れたい

 

ちなみに、ここでそりが合わなければ、クーリングオフよろしくサヨナラバイバイである。

 

これでいいのである。こんなので良いのである。繰り返すが、僕は『恋愛』に価値などほぼ置いていない

 

同じような価値観の人は、こんだけ日本人がいれば確実に存在する。あとはどう出会い、どう妥協してもらうかだ。

 

熱っぽく向上心のないことを書いているが、これが結構偽りなき思いである。

 

 この主張を馬鹿にしたくなった人へ。

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この主張に違和感を持った方は、それはそれで正解です。あなたはきっと、『結婚』とは『恋愛ありき』の、ある種尊いプロセスだとお思いなのでしょう。

 

それについてはとやかく言いませんし、言えません。これは価値観の違いなのですから。

 

あなたが上でも僕が下でもないのです。(ただ、思想の自由は憲法で保障されているので、好きに考えてくれて結構ですが)

 

以上です。

 

終わりに。:価値を置き過ぎたら身動きが取れなくなりまっせ。

 

 2ちゃんか何かだと思うのだが、以下のようなやり取りがやたら記憶に残っている。

 

『この世で金より大事なものなんて存在しねぇよww』

 

『だったら金を使えないだろう、以上』

 

みたいな。正直色んなヒレが付いており、どれがオリジナルなのかはよくわからないのだが、すごくなるほどと思ってしまった。

 

このやり取りの内容に、ではない。『価値』を置き過ぎたら何にもできなくなるという指摘についてである。

 

僕はいわゆる『ゆとり世代』だの『失われた20年』だのに合致する世代であり、物心ついたころから、『恋愛』だの『結婚』だののハードルが急激に高まるのを感じていた

 

この原因は多分インターネットの登場及びSNSの台頭にあると思う。美男美女の画像はどこからでも見れるし、超金持ちの存在も、広く知られるようになった。

 

いつからか、僕は『恋愛』も『結婚』も、他者への自慢合戦の材料になっちまってるなぁと、冷ややかな目で見ている。それは今も同じである。

 

『俺の彼女、超かわいくない?』

『私の彼、〇〇大学なのよ~』

『あの人の旦那さん、年収1000万ですって!』

 

うーん、胃袋が酸っぱくなる。

 

だからこそ最近は、『スペック』というステータスが重要視されているのだろう。果たして『恋愛』や『結婚』は『条件』で行うものなのだろうか。

 

―とはいえ、経済学を少しかじっているとよくわかるのだが、何かの『価値』が急上昇すれば、それはいずれ時計の針が戻るように、揺り戻しが起きるものだ。

 

現に今、『恋愛』や『結婚』の『価値』は、以前ほど高くはない印象である。(もっともこれは、そこに見栄とか建前とかヘンなのを置いていた人だけに当てはまる話、だが)

 

ハードルが高くなればなるほど、くぐる人が増えるのは当たり前。僕は謎のリクエストに応えようと努力するのではなく、そうせずとも向こう側に行く工夫をすると決めた。

 

もう一度言っておくと、今この世で『価値』を持つとされているもので、その根拠がよく考えれば極めて乏しいものは、そのうちそれの大暴落が待っている

 

試しに、ここ10数年の『理想のカレシ・カノジョ』像の変遷を思い返してみるといい。言わんとすることが伝わると思う。

 

ある種気軽に、等身大で良いとこだけ楽しみたい。だから僕は、『恋愛』も『結婚』も、今の基準から見れば引かれるほどドライに捉えたいのである。

 

―ということで、このテーマについて頭の中に溜まっていたヘドロともマグマとも言えるものは、この記事に全て吐き出してみた。

 

同じようなことを感じつつも、それを言葉に出来ていない同志に、この記事が何かしらのヒントとなっていれば嬉しい。

 

そんなことを思いながら、今日はここまでとする。

 

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