僕は誰かの下で、誰かに評価されるべく、自分の能力を社会に提供することこそが生きがいで生き様だと、ある種現実から目を反らしているフシがあった。
少なくともその生き方で詰む前に、僕は浄土へ行けるだろうと踏んでいたのだが・・・。
その目論見は儚く散った。きっかけは、この【LIFE SHIFT】を読んだことだ。
この変化が激しすぎる時代、『人見知りやネガティブを【言い訳】にしていると、多分早めに"人生詰む"。』
僕は他者と接するのが苦手なので、コツコツと縁の下で頑張ります・・という人生哲学だけでは、もう確実にこの世を渡れないのだ。
今日はそれについて、僕がそう思う理由と、僕なりに頭を使って考えた解決策を添えて、ここにキュレーションしてみる。
「あなたは何年生きる予定ですか?」
実際なかなか考えないテーマであるのだが、一体皆様は【どれくらい生きる】予定だろうか?(僕は正直、未だに還暦くらいで逝きたい思いはある)
参考がてら、このグラフを見てほしい。
http://www.garbagenews.net/archives/1940398.html
ほぼ右肩上がりで、平均寿命は延び続けている。恐らく遠からぬ未来に、90歳の大台も超えるだろう。
そしてそれを超えれば、そのラインを再び割ることは考えづらい。となれば、このグラフを基に、ゾッとする考えが浮かぶ。
① 60歳で引退したければ、いくら貯金すればいい?
② 僕らってそもそも年金貰えるの?
みたいな。詳しくは上記の本に全て載っているので細かい説明はぶん投げるが、ざっくり言えば今までの人生設計はまるで役に立たないことは確実だ。
30歳になるかならないかで結婚し、子を授かり、マイホームを買い、60歳で定年退職し、悠々自適な余生を・・
・・・本でもはっきり述べられているが、このモデルはもはや幻想である。その余生は平均して20年以上続くのだ。その間無職・無収入で生きていくとか、滑稽が過ぎる。
周知の通り、年金支給額は年々減り続け、破綻も時間の問題と言われて久しい。僕らはそれをアテにできないのなら、『老後』をどう考えればいいのだろうか?
―これ以上の説明は話が反れるので一旦ストップ。
しかし、この観点を頭に入れておくと、『縁の下で頑張り屋さん』がその価値を急激に落とすのは、実は簡単に予測できるのだ。
以下、まだまだコワイ話を続けてみる。
旧式の仕事モデルでは、『頑張っても報われません』。
『年金』の話に戻る。長いこと、働いて年金を納める世代が、引退した世代を支える構図なのだが、それは結構限界に近い。(やや偏ってるが、詳しくは以下のサイト参照)
年金として徴収する額を増税するという手もあるが、そんなことをすれば色んな弊害が考えられるので、それは現実的ではないと思う。となれば、どうするか?
まず浮かぶのは、『年金支給開始年齢』を引き上げることだ。つまり、働く人の引退をどんどんと後ろ倒しにすることである。
これは労働力不足の解消であったり、現役世代の年金負担が減ったりと、プラスの面がよく喧伝される。だが、そのマイナスの面こそ、僕らにとっては致命的なのだ。
『頑張り屋さん』が目指すものは、ひたすらに頑張り、頑張り、頑張って、目上の人からの評価を貰い、そして引き上げてもらい出世するという働き方だ。
だが、上の方々が引退しないということは、空きが生まれないということ。つまり、引き上げてもらおうにもそのスペースが滅多にできないのだ。
これは少ないイスを取り合うということに他ならず、多分ただの頑張り屋さんより、上手にコネを作れる器用な人間が勝つ。
下手すれば、ただの頑張り屋さんである限り、僕らはそれに終始する未来がみえるのだ。そしてAIが発達すれば、頑張ることしかできない僕らのお役はご免である。
うーむ。ダークサイドを見つめれば、呑気にこの社会情勢の変化を傍観するわけにはいかないとわかる。頑張り屋さんはそれ以外の付加価値で勝負せねばならないのだ。
ということでここからは、僕なりに人見知りやネガティブであろうと、この激動の時代を生きていくための術を考えてみようと思う。
もちろん全て色々とプロトタイプであり、今も暗中模索の五里霧中なのだが、何か参考になれば幸いだ。では行こう。
人見知りやネガティブでもするべき努力とは?
①『変化慣れ』しておく。
『既得権』と言われると、何かドロドロした意味を感じてしまう。現状に甘んじると、それを守るためにあらゆることを排除する方に考えが向くものだ。
これは誰にでもあり得る話で、例えば僕も基本ルールやシステムの変化は『めんどくせっ』という思いから始まってしまう。
だが、ここ最近は意識して『訓練』しているため、その価値観は段々薄れている。むしろ、色々新しいことを試すのが楽しくなってきてさえいる。
『訓練』と言っても、やることは簡単だ。例えば、以下のことなら、すぐにでも試せるのでは?
① 時々、作ったことのない料理を作る
② 二日続けて同じコーヒーの銘柄は買わない
③ 新味のコンビニおにぎりを見かけたら、とりあえず食べてみる
④ 70%の完成度でアイデアを出し、意見を貰って修正する
こんな風に小さな変化を積み重ねて、ポジティブな気持ちを日記か何かに残し蓄積すれば、案外1ヶ月程度で簡単なマインドセットは完了する。
まずは変化に慣れて、それを楽しめる努力は絶対にしよう。
②遊びを率先して企画する。
また別の本の話になるのだが、僕は【サブスクリプション】にもドハマりしており、現在二周目に入っている。
まずは何よりも市場に投入し、フィードバックを得る。そしてそれを即座に反映させ、アップデートを繰り返す。永遠のベータ版であれ。
―だが、これを金勘定が絡む仕事でいきなり試すのは、ハードルが高い。『責任・責任・セキニン』と追及され、多分めんどくさいことになる。
そこでオススメなのが、友人を相手に、自らが企画の立案役を買って出るというものだ。この後のプロセスは、実は先の文言と驚くほど似ている。
まず、友人を巻き込み、何かしらのアイデアを伝える。賛同者を集めるところからスタートするのだ。(アイデア勝負なので、完璧な計画は要らない)
その内容は、今はキツいが軽いお出かけでもいいし、BBQの立案でもいい。オンライン飲み会の幹事を引き受けるのも、立派なそれだ。
その後、あーだこーだとLINE上で良いので議論を交わし、リクエストを吸収し、可能な限りその計画に織り込んでいく。
予算はどうする?交通手段は?合理的に満喫するには、どの順番で楽しめばいい?時間が足りない、何を削ろう?
―そして出来上がったプランを実行し、そこでさらに濃い経験を得る。次回計画時はそれらは立派な財産になっており、さらに良いアイデアを産むのに活かせる。
これは何も友人だけでなく、交際相手や家族を対象としても構わない。是非とも積極的に挑んでほしい。
終わりに。
ということで、このGWはまさに晴耕雨読、そんな日々になりそうだ。たまたま読み応えのある良著に出会えたので、退屈する心配はなさそうなのが救いである。
さて。この人生設計すら激変する世の中、果たして今価値があるとされているものは、一体どれくらいの寿命を持っているのだろうか。
高学歴に意味はあるのか?ひたすらに一つのことへ打ち込むことに価値はあるのか?これからの時代の覇者は一体どんな人たちなのか?
考えれば考えるほどその辺の悩みや興味が尽きない。だが不思議と、現行のシステムで敗者寄りの僕たちが、どっかでそれをひっくり返せるかもという期待もある。
そんなポジティブな考えを、皆様がお持ちになるきっかけになれば嬉しい。
では今日はこの辺で。