時折、朝から晩まで無茶苦茶働く人がいる。
そしてその殺人的なスケジュールにより、会社やチームを爆発的に発展させる人もいれば、心が潰れて悲惨なことになる人もいる。
365日全部15,6時間を仕事に捧げることを厭わない人もいれば、神経をすり減らしつつ休日をイヤイヤ使う人もいる。
―この差は何だろうか?一体なぜ、同じ『多忙』でも、経験値になるか心を壊す毒になるかが綺麗に分かれてしまうのだろうか?
この辺は結構考えたが、その謎はこの夏に読んだ本たちと、それを契機に振り返った自分の経験を照らし合わせることで、多分解けた。
今日はそんなお話。
その差を分かつモノ。
先に言うが、それは『主体性の有無』だ。
簡単に言えば、『自分が心の底からしたい・しなければならない』と思っていることなら、どれだけ多忙でも踏みとどまれるという話だ。
逆に、 『実はしたくない・他者から強制されただけのタスク』による多忙は、例え短期間でも、メンタルに激重な負荷をかけてしまうということである。
この辺をくどくど説明しても仕方ないので、以下色々な実例を紹介してみよう。
心を壊す『多忙』まとめ。
ここは、ちょっと辛いが『鬱病患者の体験談』を読むとよくわかる。
以下、いくつか引用してみよう。
まず4年前の昇進でストレスが急増。
リストラも重なり、仕事の負荷も急増した。その仕事をこなそうと睡眠時間を削り、深夜まで働き通した。
性格的に、どんなにしんどくてもいい加減にできなかった。
そんな生活を3年ほど過ごしているうちに、徐々に気力の減退、集中力の欠如、判断力の低下、自己否定観念に襲われるようになった。
そして、仕事上で自分のミスで大きなトラブルに見舞われたときに限界を感じ、精神科を受診するに至った。
就職して7年経ち、責任ある立場になりました。その時から急にいろんなことが狂いだしてしまったのです。
自分でもなぜなのかわかりませんが、朝起きられず、仕事をしていても頭が上手く働かなくなりました。
頭痛や腹痛もあって、責任者にも関わらず、ミスや遅刻、欠勤が多くなりました。
もちろんこのままじゃいけないと思って、自分なりに遅れを取り戻そうと残業して仕事を仕上げていました。
でも、とにかくいろんなことが上手くいかなくて、自分はなんて無能な人間なのだろうと落ち込む毎日でした。
今まで自分を頼ってくれていた妻は、仕事を休みがちなことや、帰りが遅くなることをチクチク言ってくるようになり、家でもあまり気が休まりませんでした。
そんな毎日の積み重ねで、何のために生きているのか分からなかったし、いっそのことすべておしまいにしてしまいたくて、死に方を毎日のように考えるようになりました。
ある日家に帰ってから妻と激しい口論になりました。「やっぱり自分は必要のない人間なんだ」と思い、外に飛び出しました。そして、コンビニでロープを買って、公園で首吊りを決行しました。
気付いたら警察に保護されていました。ロープが途中で切れてしまい、首吊りは失敗に終わったようです。
迎えには両親が来ました。その時、父親の顔を見ることはできませんでした。
自分はなんて親不孝なんだと思いました。自殺未遂のあとしばらくは、私に対して妻は腫れ物に触るような感じでした。
今までのようにきつい言葉は減りましたが、会話はほとんどなくなってしまいました。自分からも声をかけづらかったです。
―という感じ。その中身には少々の『盛り』があるのだろうが、共通点としてやはり『コントロールを奪われている』のが読み取れる。
『昇進』等をきっかけに責任が増える。責任が増えたことにより仕事が大量になる。結果、自分のキャパを超える・・・。
このいずれにも、『僕がそうしたいんですぅ!』という意思表明は無い。 どれもこれも、自分の与り知らぬ立場からの、強制的なお達しである。
ハッキリ言って、無条件に出世や賞金をちらつかせても、喜ぶ人は少数派である。それよりも余暇とか、責任の分散とか、そっちを望むのが自然だ。
忙しい最中、自分の裁量が及んでいるのはどこまであるか、一度見つめ直してはいかがだろうか?
もしゼロに近い場合、悪いことは言わない。別の選択肢を探した方が良いと思う。
充足感が得られる『多忙』まとめ。
一方、滅茶苦茶に働いているのに、不思議とそれが楽しそうな人もいる。一体何が違うのだろうか?
例えば、SHOWROOMの前田裕二社長や、幻冬舎編集者の箕輪厚介氏は、日々とんでもない量の仕事を捌いている。
それは引用するとあまりにも膨大になるので、インタビュー記事の紹介に留めよう。
はい。
これらを読んでいただければわかるが、多分こんな生き方を強制されれば、僕らはもれなく鬱病間違いなしだろう。
だが、彼らはそれを心の底から楽しみ、卓抜した結果を出し続けている。何がそれを分かつのか?
もうお分かりだろう。『主体性』だ。
心の底からあることに熱狂し、それに対し全てのリソースを投下する。でも楽しいし、それを自分はしたいし、せねばならないのだから、嬉々として挑む。
もちろんこういう生き方を体現するには、ある程度の才能や実績が求められるのは間違いない。だが、小規模で実践することは絶対に出来る。
ただ単にきついだけの仕事に従事しているのなら、目線を変えてみてはどうだろうか?
推薦図書。
ってことで、終わりの挨拶に代えて、この夏に読んで非常に学びが多かった本をご紹介。
感想を書くと大変な長さになる上、再読がまだのため、ただの列挙に留めておく。
興味がおありでしたら是非どうぞ、では今日はこの辺でー。