最近、世間において何故かタブーになっていることを、積極的にカミングアウトする風潮がある。これは正直、良いことだと思う。
例えば、自分はゲイだ、レズだ、バイだ・・・。なんかセクシャルなそれに偏っているが、まぁ一例として。
それに後押しされたワケじゃないが、カミングアウトした方々は一様に、『良いことばっかり!(悪いことは少々)』という感想を口にしているのが気になった。
一体どんな感じなのだろう。試してみたい。
ってことで、僕が自分の人生で、軽く墓場まで持って行きたかったことを、ここで白状してみようっと。
実は僕、鬱で休職してた時期が4ヶ月ありまして。(正確には適応障害だけど)
でも今は、すっかり健康を取り戻し、あの日々のことがフラッシュバックすることも無いのですよ。楽しく仕事も出来ています。
―その当時のこと、せっかくなので書いてみようかなっと。ただし、多分読んでて辛くなるので、そこはご留意いただきたし。
原因は己の責任感とコンプレックス。
そうなっちゃったのは、20代の頭の頃。特定されない程度に状況をつらつらと。
その当時、僕は病的に自分に自信がなく、何とかしてそれを付けようと四苦八苦していた頃だった。その手段は、以前記事にしたが、誰よりも猛烈に働くこと。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
―それならまだ健全だったかもしれないのだが、今振り返れば、その当時の職場は結構な体育会系価値観が蔓延する環境だった。
一例だが、休憩したら怒られ、上司より遅く来れば怒られ、早く帰れば怒られ、休日にくつろいでいたら呼び出され・・・・
折れる自尊心。だから取り戻そうともっと働く。頑張る。頑張らない俺に価値はない。
・・・というループにハマり、いやー、今思えば正気じゃなかったですねぇ・・・論理が完全に破綻してますやん。
完全にオカしくなったのは、そんな日々を3ヶ月ほど過ごした後だった。
酒を飲まねば眠れなくなり、車に乗ればわざと事故って仕事休もうという考えがよぎったり、人と話せば涙が出てきたり・・・
最後の方は、仕事に行かねばならないから起きることが怖かったし、早く身体がぶっ壊れねえかなと変な願いをするようにもなった。
心臓が痛いと嬉しかったっけ。ヤベぇ。
―で、その頃友達に送った闇たっぷりなメッセージ(もう思い出せないけど)に対するLINEの返信が、僕に休むことを決意させた。
『お前、夏に会ったときにも感じたけど、もう完全におかしい。頼むから、医師に相談してくれ』
という心配を何度も何度もされたのだ。
仮にそういう心配を職場の人にされれば、『情けないな俺、よし、もっと頑張ってそんな心配は払拭しよう!』と考えただろうが・・友人という間柄は強い。
僕は次の日、心理内科に行って、カウンセリングの後、まぁそういう症状の傾向が強いと言われたのですよ。
どういう勇気を振り絞り、どういう状況で提出したかは覚えてないけど・・僕は診断書を職場に提出し、完全なる休養に入ったのである。
4ヶ月はどう過ごしたの?
―ハッキリ言うと、最初の1ヶ月くらい、記憶が全くない。誰に聞いてもわからないことから、僕はさながらゾンビのように家に引きこもっていたのではなかろうか。
今思えば、自殺しちゃっててもおかしくないくらい精神はやられていたのだが、それを決行する体力も無かったのだろう。これは少し幸運だった。
体重も今より10㎏は軽かったもんなぁ・・・。友達にこういう奴が居たら、僕は手を尽くしてでも休ませる気がする。
さて。
その後は実家に帰ったりなんたりということを繰り返した気がするが、誰かと会話できたり、友達と会えたりするようになるまで、2か月くらいは費やしたと思う。
毎日浴びるように酒を飲んでは寝て、起きてはまた目をつむり、たまに起き上がっては味のしない食事をして、自分はクソと脳内独り言をしながら、酒の力で気絶。
時効なのでバラすが、眠れぬ夜に何故か酒と睡眠薬を同時に飲んだ後ゲームをしてたら、胡坐をかいたまま寝ていたこともある。これは下手すりゃ窒息で死ぬ。
―でも、もしかしたらそれを期待していたのではと思うと、ゾッとしかしない。僕であって、僕でないような感覚。この世から消えたいと、無意識下で思う。
後から聞いたのだが、この頃の僕は、誰しもが『いずれ死のうとするのでは・・』と心配し倒す有様だったらしい。
いやー、今だから言うけど、ごめんなさいありがとう、である。
―ただ、少しずつではあるが、『元気になりてぇなあ』という思いが芽生え、育っていたのも事実である。だからか、抗うつ薬は、欠かさず飲んだ。
当初休職期間は2か月だったのだが、その間で完治することはなく、結果として延長。―ただ、その頃には、だいぶ精神的にマシになることも増えた。
人に言わせれば、『感情が復活し、また話すようになり、家の外に出るようになった』のだ。ほっといたら辛いことを考えて、泣くようなことは無くなった。
そしてその後も自分なりに、友達と外出したり、散歩したり、筋トレしたりと、リハビリを繰り返した。日増しに元気になっていくのを感じる。
―で、4ヶ月の期間が明けたと同時に、僕は仕事に復帰した。
・・・ま、2ヶ月後に辞めたんですけどね!理由としては・・まぁ、職場の体質って4ヶ月じゃ変わらないよな、って。そんだけです。
当時の職場の人からは、身勝手すぎるとか軟弱者とかすっげー陰口を叩かれたらしいけど、本気でどうでも良かったっけ。だって、命の方が大事だし。生きたいし。
その後は半年くらいニート生活をして、結果天職に巡り合い、今は超楽しく人生をエンジョイできてますよ、僕なりに・・・というのもまた、記事にしたので割愛。
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病んでるときは『死ななければ立ち直れる』という言葉が嫌いだったなぁ。『生きることは辛いことでしか無いんだ能天気野郎』って思ってたから。
でも今は、乗り越えちまえばその通りと思う。ただし、乗り越えちまえば、だけど。僕はラッキーだったのだろうな。
―意外と言葉にすればスッキリするなぁ。そして同時に、墓場まで持ってくほどでもなかったなと、強く思う。
結局言いたいこと。
まず、精神って壊れます。ただ、いわゆる『まぢ鬱~』という人はまだ大丈夫。発信できているからだ。
本当にヤバい時は、『何で自分は動いているのか』すら意味不明になる。何というか、夢を見ている時のように、主体的な感覚が消え去る。
どうして良いかがわからないというより、何故かどうして良いかということを考えることさえできなくなるのだ。
そしてある日、ふと『死ねば解放されるじゃん』ということが天啓のように閃く。
死ぬくらいなら休めばいいのに・・逃げればいいのに・・という疑問はよく聞くが、その選択肢は、実のところ浮かんだことが無い。
休んだり逃げたりするくらいなら死んだ方がいいという帰着。異常なのは今ならわかるが、当時は『俺、天才!』みたいな衝撃であった。
―けれど、適切なケアがあれば、壊れた精神は治ります。ただし、長期戦です。僕はむしろ、たった4ヶ月で済んだ部類なのだ。
しかし、結構辛かったのは、復帰後の周りの反応だ。腫れ物に触るというか、接し方を間違えたらコイツ死ぬぞ、責任取りたくねぇなというよそよそしさ。
誰かが言っていたが、鬱とは心が骨折した状態のようなものである。治りさえすれば、強く柔軟になって復活するのだ。
一度足を折って復活したサッカー選手に気を遣って、パスの一つも出さないなんてことがないように、治ったんだから接して構わないのだ。イジりさえしなければ。
その変な気遣いが逆にまた病む結果になり得るんですよ・・というのは、逆説的だが少し書いておこうっと。
終わりに。
「足を骨折したことがあるんよ」と言われたら、「ふーん」というリアクションが自然である。
だが「鬱病なったことがあるんよ」と言われれば、「えぇっ!?」となるのはなんでだろう。多分、メンタルという目に見えない特性が故だと思うのだが。
繰り返すが、一度へし折れても完治はするし、むしろその経験があるからこそ、自分に本当に優しく人生を歩めるとも言えるのだ。
・・今サクッと調べたら、生涯でうつ病になる確率は15人に1人だという。となれば、僕は珍しくもなんともないじゃねーか。
また、令和2年の自殺者数も、現時点(6月29日)で全国累計7799人であった。一方、同日付での交通事故の死亡者数は、累計1155人であった。
―全部がそうとはもちろん言えないが、精神を病むことは交通事故の6倍以上人を殺すということである。
となれば、この辺のケアって本当に超急務だよなと凄く感じさせられる。
―繰り返すが、取り返しがつく段階なら、完治はできる。少なくとも、僕くらい追いつめられても、数ヶ月で元の状態には戻るのだ。
オカしくなっていることに、本人はなかなか気付けない。手遅れになる前に、あなたから見て、出来る声掛けはしてあげてほしい。僕も意識している。
僕を救ってくれたのは、僕の周りの方々である。今更だが、超感謝している。(―そんな友達にこないだ絡み酒をしてしまい猛省している情けなさもあるけど)
・・・超長くなったけど、今日はこの辺で。
いやー、スッキリ!