前回、『金で解決する前に頭を使って物事を楽しんでいた大学生の頃』に回帰するっていう日々を日記にした。
hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com
詳しい内容は記事を読んでほしいが、効果は上々で、今や無計画にコンビニ弁当1000円以上とか馬鹿な買い物をマジでしなくなった。
そしてあらゆることをゲームとして考える思考法も少しずつ習慣化できているため、これを1週間で終えるのはどうにも惜しい。
ってことで2週目も、新たな目的や行動を設定した上で、コツコツと大学生の頃を思い出す暮らしをエンジョイしてみようと思いヤス。
- 2週目の目標。
- 8日目。 ―疑似体験―
- 9日目。 ―自分の第一声を無視する―
- 10日目。 ―金は環境で使わされる―
- 11日目。 ―揚物満足度逓減の法則―
- 12日目。 ―レトルトパウチという救い―
- 13日目。 ―贅沢はたまにするから良いものなのだ―
- 14日目。 ―僕は何に金を使うのか―
2週目の目標。
はい。この週の目標をざっくり言うと、『脳内問答のみでトクしたという感覚を生めるようになる』というところかな。
前回とあまりやってることが変わらないように聞こえるが、違いだけ軽く説明する。
例えば、凄く美味しいハンバーグを食べたくなったとする。実は家の近くに人気のレストランがあるのだが、飛びぬけて良いものなので3000円はする。
こういう状況の時、以下の脳内問答を0.1秒で出来るようになるのを目指すのだ。
『俺の目的は美味いハンバーグを食べることで、飛び切り美味いそれを食うことじゃない。セブンイレブンの金のハンバーグを食えば、満足できてしかもトク』
てな感じ。今までは金を使わないことに頭を使っていたが、今回はあえて上を想像し、対比させ、『トクした気分』を作るところまで踏み込みたい。
酸っぱいブドウの健全バージョンってところだろうか。特に大学生の頃なんて、欲望のてっぺんを叶え続けようもんなら、学費が払えず大学中退だ。
本を買うにしても中古にする。書いてあることは同じだから単に値段が下がってトク。トク。トク。こういう意識が出来たらケチよりステージが上である。
2週目で僕は、『自分の満足度さえコントロールできるようになる』ってのを目指したい。では、そんな日々のつらつら、以下続き。
8日目。 ―疑似体験―
スーパーのレトルトコーナーを見てハッとしたが、超有名店の味を再現したカレーだのパスタソースだのって、滅茶苦茶多いんだな、と。
つまりパスタや米だけ自分で用意して、そういうソースを買ってきてかけるだけで、『有名店の疑似体験というトク』を得られそうではないか。
どんぶり勘定で計算してみたが、そこまでやっても1食400円くらいに収まる。風呂に温泉の素をぶち込んで少し悦に入るみたいに、ちょっとだけ贅沢している感覚。
それを400円で再現できる今の世に感謝。どうせ僕はそういう有名店にはいかないし、元の味がわからなくても問題ない。
決めた。今週は毎日レトルトのカレーとパスタで生きていきます。
9日目。 ―自分の第一声を無視する―
『がさつ力』にも書いてある話に、『最初の自分の反応は無視する』という心構えがある。
例えば、知らない人に緊張とかを抱くのは当たり前なのだから、それを無視した先じゃないと勝負が始まらないとか、そういう意味だと思う。
或いは、自分が反射的に考えたことを即論破したり、それに代替案を与えたりするような思考とか、そう言えるかもしれない。
それを最近意識すると、出費が減った。例えばラーメンを食いたくなっても、『ちょっと値が張るカップ麺も十分旨いで』と説き伏せる感じ。
自分の第一声を無視するのは少し悲しいハナシにも聞こえるだが、そういうので論破されるってのはつまりその程度の熱量ってことだ。
他のもっと熱狂出来得ることにエネルギーを注げるよう、僕は自分が満足する閾値は、さらにさらに下げておきたいと思う。
10日目。 ―金は環境で使わされる―
最近、どうしてこんなにすんなりと節約生活が上手くいってるのか、少し思いめぐらしてみた。
今や500円のコンビニのパスタを買うより、500g108円のパスタを買って140円のソースをかけた方がトクだと強く感じられるのだが、ちょっと前までその逆だったわけで。
そして気が付いた。今、僕が目にするものの中に、高価なものはマジで無い。美味しそうな弁当を横で食う人も、高価な料理をSNSにアップする人も、いない。
また、かつての僕は自己肯定感が著しく低かった。SNS上の美化された誰かの思い出に敗北感を抱き続ける日々。
彼らと僕の間に存在するギャップを補うために金を使っていたと思えば納得だ。
―今やそういう人の姿が気にならなくなっているのに、生活だけは惰性で変えずに来たから、こんな歪な現象が起きているという話なのかもしれない。
金は環境で使わされる。節約をすると決めたのなら、金をじゃぶじゃぶ使う生活をしている人の情報は遮断した方が良いかも。
少なくとも、400円のパスタを食おうが、計100円のパスタを自作しようが、満足度はそこまで変わっていない。ある意味得な性格だなと、ここにきて実感した。
11日目。 ―揚物満足度逓減の法則―
今現在、ひどい胸焼けと全身のだるさ、あと下痢に苦しんでいる。昨晩食べまくった揚げ物のせいだろうな。
というのも、昨日は帰りが遅く、仕事もタフだったため、作り置きの調理をする元気がどうにも出ず、決めた予算内で総菜を買い込んだのだ。
安くて美味いものはどうしても揚げ物に多い。だから調子に乗ってクッソ買ってしまい、何とか全部食べたが、今はこうしてひたすらにダルイという話なのだ。
大学生の頃は1㎏以上あるチキンカツを平気でペロリと食えていたのだが、20代半ばからどうにも揚げ物がキツいったらありゃしない。
揚げ物の満足度は年齢に比例し低下する。僕はこの説を提唱したい。
12日目。 ―レトルトパウチという救い―
精神的満足度を得るためには、知的好奇心を満たせばいい。それもまた、一番最初に紹介した本に書いてあった教訓である。
簡単に言えば、知らないことを知るとか、食べたことないものを食べるとか、つまり無知を既知に変えていく作業のことを言う。
これって大層なことに聞こえて、全くそうではない。例えば今度スーパーに行って、レトルトのカレーの棚を見てみるとわかる。
食べたことの無いブランドばかりがずらずらと並んでいることだろう。ちなみにそれを全て食べて感想をブログに書きでもすれば、日本に1%もいない希少種になれるのでは?
ーてなわけで、最近はパスタに飽きちゃったのもあり、主軸をカレーに置こうと考えている。何というか、まじまじと商品を見て思ったけど、カレーって多様だなと。
マカを配合したブラックカレーなんてのも見つけたし、これは誰が何目的でいつ食べるんだろう、と。
そういう発見って大事にしたい。大学生の頃って思い起こせば、あまりにも無知で純粋だった気がする。だから新しいことを知るのが凄く楽しかった。
鈍っていたアンテナを張り戻す。金を使わない以上の恩恵は、絶対にあると言えそうだ。
13日目。 ―贅沢はたまにするから良いものなのだ―
今日は至極当たり前な発見について。生活水準を下げたというより、満足する閾値を下げる生活が結構続いてきたため、面白い変化が起きたのだ。
それは、贅沢に必要な支出も減ったということだ。昔は2万くらいはたいてドカンと寿司を食いに行ってやっと満足だったのだが、最近はLチキ2個で超うれしい。
贅沢はたまにするから嬉しいものなのだが、それに再び気づけたという発見が有難い。しかもその水準は、健全に下がっている。
このままどこまで自分が無欲になっていくのかはサッパリだが、次の引き落とし額は減っていることが容易に想像できる。それもまた、楽しみだ。
学生の頃は毎日コンビニ弁当を食うことすら怖かった。だからたまに食うと、その美味さに愕然としたものだった。その日々を思い出す。
上手いことお金が余ったら、ラーメンでも食いに行こう。寿司と比べたら1万9千円くらいのトクだ。でも僕は、きっと同じくらい、満足する。
14日目。 ―僕は何に金を使うのか―
人はステータスにお金を使わなくなっているとはよく言われる話だ。そんなもんかなぁというのが地方に住む僕の体感だが、どうやらそれはマジらしい。
将来はマンションに暮らすとか、ロレックスを巻くとか、高級車を乗り回すとか。そういう物質的な贅沢を夢として掲げる人、最近見ない気がする。
それよりも、友達に囲まれてワイワイやりたいとか、一人で山奥に泊まってみたいとか、未知のこととか精神的な満足とかにお金が落ちている印象である。
何より、『努力のプロセスから公開して、それに感動した人が投げ銭を行う』といったビジネスモデルが巨大な市場になっていることからも時代の変化がわかるわけで。
今はどちらかといえば、ロレックスを買うことより、買うまでの努力の方が『価値』を持つということと捉えて間違いなさげである。
・・・何でこんなことを書いたかというと、最近やはり、物理的な贅沢を抑えることは全然難しくないと自覚し始めているからだ。
だが、精神的な贅沢を我慢するのは猛烈に難しい。コンビニ弁当は我慢できるけど、好きな著者の新刊はたまらず買ってしまうあの感じ。
また、ランニングコストはだいぶラインを下げたが、例えば釣具屋に行くと、やっぱりそこそこ金を落とす。趣味は心を満たすからだ。
何に金を払い、何には自制心を働かせるか?
必要なのは我慢というより、自分の価値観の把握とメリハリなのかもしれない。大学生ライフの趣旨を逸脱し始めているが、学びは多いから別にいっか。
ってことで翌週、原点回帰かつちょっと攻めた企画ということで、もう1つテーマを設定してみようと思う。
緩くお楽しみにしていただければ幸いだ。では今日はこの辺で。