僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

『輝かしい結果』こそが、厄介な劣等コンプレックスを生む説。

『結果』という言葉には、うっとりするような響きがある。水戸黄門の印籠よろしく、全てを黙らせる必殺技、皆がひれ伏す金看板。

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確かに一度大きな結果を出すと、それはものすごい自信とブランドを生むに違いない。例えば東大に受かった人は、全員それだけでなんかすごそうに聞こえる。

 

僕もなんやかんやで人から見れば希少らしい資格を持っているのもあり、取得直後はわかりやすくちやほやされた時期が、無かったわけではない。

 

―が、その上で思う。

 

『結果』のせいで、メンタルが拗れることって普通にあるよな。

 

しかも、当人の知らない間に。

 

今日はその罠について、つらつらと論じたいと思う。

 

 

キラーフレーズ『で、今なにをしてんの?』

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結果を出せばいいことがあるなんてのは頭を使わないでもわかるので、『結果を出したがため』のダークサイドについて語っておこう。

 

これは僕も気持ちが痛いほどわかるのだが、一度『結果』が出ると、次の一歩を踏み出すのが非常に怖くなるのだ。

 

例えば漢字検定3級に中1で満点合格したとする。すぐ準2級を受ければ良さげだが、満点はおろか合格すら未知数という壁がそこに立ちはだかる。

 

『もし満点じゃなければ・・、いや、もし不合格なら・・この輝かしい結果はたちどころに消えてしまう・・』

 

という恐れの力は思ったより強い。気付けば学年がどんどん上がり、自分が二の足を踏んでいる間に、周りが3級・準2級を取っていくのが当たり前になっていく。

 

『結果』に固執することは、間違いなく衰退を生む。『勝ち続ける』とは、実は停滞か衰退を意味することなのだ。

 

・・・それは当人が勝手に損をしているだけなので、ここだけ切り取ればマジご勝手にという話である。

 

しかしそれが拗れてメンタルがヘンな方に向くと、非常にめんどくさい心理が出来上がる。劣等コンプレックスだ。

 

簡単に言えば、自分の過去や赤の他人の輝かしい結果を吹聴し、他者にマウントを取ろうと頑張り続ける姿勢である。

 

『俺はお前より早い時点で受かったぞ!(だからお前よりすごいんだ)』

 

『満点で受かったんだぞ!(だからお前よりすごいんだ)』

 

―こんな人間、側に置いておきたくない。すぐに孤立してしまいそうな哀れさがある。その内Twitterでがなり立てるタイプになってしまいそうな感じさえある。

 

ってことで『結果』のダークサイドをまとめておこう。

 

確かに出した瞬間は周囲からチヤホヤされ、そのときだけ天国にいるような気分になる

 

しかしそれに固執すると、人望も成長のチャンスも失う

 

ってところだろう。人はびっくりするほど、『過去の結果』に興味を持たない。自分に対してもそうだし、僕も他者に対してそうだ。

 

東大に行っていた人より、東大に行っている人の方が興味を持たれるのと似ている。今何をしているのかの方が、聞いてて圧倒的に面白い。

 

『で、今何をしてんの?』

 

この質問に窮するとき、多分あなたの(僕もたまにあるのだが)成長は止まっている。その際は、陰に『輝かしい結果』が横たわって無いか、一度疑ってみてはどうだろう。

 

『結果』が劣等コンプレックスを生む流れ。

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これは僕自身も耳が痛いのだが、『結果』が『自信』に直結しないとき、劣等コンプレックスは芽吹いて一気に花開く。

 

例えばテストで良い点を取ったとする。しかしすかさず、『〇〇さんのがよかったよ』とへし折る人間が側にいると、いい結果が他者比較で潰される。

 

そんな劣等さんなどスルーすればいいのだが、特に学校などの閉じられたコミュニティに居ると、そういう行動は難度を増していく。

 

もし自責の方へマインドセットが進んでいくと、その内誰から言われずとも、自分で自分の『結果』を認めない状態になっていく

 

※こういうのをインポスターシンドロームって言います

diamond.jp

 

『失敗』が凄まじい悪に感じられるだけじゃなく、自分の成果をへし折る『他者の成果』にさえ敏感になっていく。

 

結果、何に対しても挑戦をしなくなるだけじゃなく、他者が成功すれば思い切り妬んで、過去や他の人間の成功でそれを潰す、悲しいヒトへと成り下がっていく

 

ということで実は『結果を認められないヒト』のはじまりは、そういうことをしてくる他者の存在がトリガーになっていることが多いと僕は考えている。

 

それは友人だけじゃなく、保護者、教師かは知らないが、大体身近なところから飛んでくるものだ。

 

ここは気付いた瞬間から意識して矯正しないと、非常に厄介なことになる。実際、一時期僕、なりましたんで。

 

だから次は、この『結果』が生む劣等コンプレックスを緩和し打破する方法について、僕が試して効果があるものに絞りご紹介したいと思う。

 

※ちなみに、他者からの指摘でその人が劣等コンプレックスを改めることはまず無い。理由を知りたい人は、以下の記事と本を読むとよ~くわかります

note.com

 勝ったり負けたりこそ至高。

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上記のプロセスを読めば、その打開策って意外とシンプルである。

 

意識してときどき負けを作り、それで成果が出れば自分の過去とだけ比較し、伸びを素直に喜ぶ。

 

・・・少し説明します。

 

まず、『結果』を出すと『失敗』が怖くなるのなら、しても怖くない軽い失敗を普段から意識して作ればいい、となる。

 

海にいきなり飛び込むのは怖くても、日頃からビニールプールにダイブするくらいはできるよね、という話だ。

 

そしてそれは、成果そのものと無縁のジャンルで作るのがオススメ。さらに言えば、それは今までやったことが無い何かを試した結果だと、◎である

 

将棋で新しい作戦を試したらフルボッコにされました(^q^)

 

格闘ゲームで新しいキャラを使ったら瞬殺されました(^p^)

 

こういう感じ。或いは、今まで飲んだことが無いコーヒーの銘柄を買うとかでもいい。

 

一旦話が変わるが、よくエジソンの以下の発言が、『失敗』を恐れるな!というメッセージを伝えるために語られる

 

私は失敗したことがない。


ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

 

 ・・・実はこれをそのまんま受け取ると、ただの『ポジティブであろうぜ!!』という無責任な励ましにしかならない

 

1万回同じことをしたんじゃなく、1万回違うことをしたってのに気を付けよう。じゃないとただの『頑固』な人である。 

 

・・・だから少し補足。ここでマストなのは、『ってことで次はこうします』という次の行動とアイデアである。 

 

 

将棋で新しい作戦を試したらフルボッコにされましたので、棋譜を読みます(^-^)

 

格闘ゲームで新しいキャラを使ったら瞬殺されましたので、しばらくコマンドを覚えます(^o^)

 

みたいな感じ。そしてその自分なりの仮説が上手くいくのか、また検証するという流れ。以下、同じステップの繰り返し。

 

人は結局、失敗から成長する。ぶっちゃけ、僕もそう思う。だからこそ、『結果』に価値を置き過ぎることも、『失敗』を恐れすぎることも危険だということだ。

 

それらは両方とも『とりあえずやってみる』という意欲をゴリゴリと削いでしまう。そして停滞すれば、待っているのはご存知、劣等コンプレックスである。

 

日常の中にいくつ意識して、『勝ち』と『負け』をコントロールして作れるか?これって結構大事である。

 

だから僕は、『なんか最近調子が良すぎるな』と思ったら、わざとゲームなどでリスクを取り、負けを生むようにしている。これで冷静になる。

 

逆に『なんか最近調子が悪すぎるな』と思ったら、得意な分野で何かしらの成果を出そうと努める。例えば、釣りに行って何かを釣り上げるという感じで。

 

まぁ非常に簡単に言えば、

 

『その辺の男子みたいに色んなことに手を出して、上手くいかなければ『なんでだろう?』と思えばいいんです』

 

ってとこじゃねえかなと。

 

あとチクリと言っておくと、いわゆる経歴や肩書に魅力を覚える人は、あなたより上の肩書を持つ人にひょいと流れるので、固執するだけバカバカしいと思うっすよ。

 

ってところで3000字を超えたし、今日はこの辺で。

 

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