僕はネガティブだけど、それなりに充実した人生を生きたいと思う。

「ネガティブ」で片づけず、自分の観察を続けたい。

ここ最近、人に嫉妬しなくなった気がする。 ―その理由は、くそ単純で笑える件について―

最近、頭が働かなくなったら、そこから先は無理してでもなんかしようという気概を消しました。結果、余裕が生まれて楽しいという。中元です。

 

はい。今日は、ここ数日で気づいた小さな僕の変化について、記事を書いてみようと思う。

 

僕は病的な劣等コンプレックスを長いこと抱えており、主に神から二物を授かった人に対して、あまりいい心象を抱けないという状態が続いていた。(マジ病だぜ)

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例えば東大美女とか、イケメンアスリートとかがそれに該当する。そのメカニズムについては、過去の僕が詳細に言葉にしてくれたので、ここに改めて書きはしない。

hitomishiriteki-jinseikun.hatenablog.com

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ところが、今日。たまたまなのかどうかはわからないが、今までなら嫉妬の感情を抱いても不思議じゃない場面なのに、それが全く発動しないことに気づいたのだ

 

僕より圧倒的に優れた他者の学業の成果や、あるいは外見上の褒めを、本心から祝い、尊敬することができた。これはいったい、どういうことだろう?

 

できるようになったということは、僕の日常にそのきっかけがあったということだ。何だろう何だろうと、自省していると、超しょうもない理由に行きついた。

 

今日はそれについて、徒然なるままに書いてみます。

 

 

あの憎悪よりはマシ。

 

その心当たりは2つあるのだが、まず1つは、僕のそれなど生ぬるいと思えるくらい、強烈な胸の内を読んだことだ。

 

まだ理解しきれていないので、時間を空けて再読するつもりなのだが、三島由紀夫金閣寺】がまさにそれである。

 

あまりにも激しいコンプレックスや執着が、燃え滾るような言葉で描き出されており、読みながら正直震えんばかりの恐怖さえ覚えることもあった。

 

そうやって心の闇を炙り出したこの文学作品を読んだ後から、嫉妬の感覚は確かに薄らいだよなと感じている。偶然にしては、出来過ぎだ。

 

自分が抱く嫉妬心などかわいいものだ。むしろこれは、健全の範疇なのではないかと、自分を肯定することさえできるくらいに。

 

もちろん得手不得手はあるのだが、激しい感情の動きを書いた小説を読んでみると、嫉妬心がかなり弱まる可能性はある。

 

もし読書が好きなら、こういう作品を選んで、手に取ってみてはどうだろうか。

 

才能ある存在は、虚像・実像問わず地球上に飽和している。

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そしてもう一つは、ふと、「才能や能力を比べるのって、究極的には全く意味がないよね」と気づいたってのがある。

 

例えば、東大美女も、天才キッズも、ギフティッドも、要素だけであれば、実は世界中どこにでも存在する。

 

身の回りにいないだけで、今この瞬間も、確実に存在しているのだ。そんな存在に嫉妬するって、果たしてどうなのか。

 

僕よりも強い生き物は無数に存在するし、僕よりも賢いプログラムも無数に存在する。世の中の美男美女より整った容姿のキャラクターは、画面の向こうにいつも居る。

 

どれもこれも上回る何かが存在する。であれば、僕はそういった存在すべてに逐一嫉妬しなければならないとなる。では、そうしない、ならないのはなぜか?

 

そこまで自問したあたりで、ふっと肩の力が抜けた。はっきりとアホくさくなったのを感じた。自分で自分を論破した瞬間であった

 

俺は空が飛べないから、飛行機より下等だと?俺は整った容姿をしていないから、アニメキャラよりも愚劣だと?バカなの、マジで?

 

嫉妬とは、単なる視野狭窄なのだと、はっきり悟ったのだ。タイミング的には、金閣寺を読了した数日後だったと思う。

 

こうして吹っ切れたあたりから、ムダな努力も嫉妬も比較も、そういえば何もかもが気にならなくなった。必要な時だけ、少しモチベとして活用するだけだ。

 

あいつの方が勉強ができる。―で?こいつの方が金を稼ぐ。―で?あの子の方が見た目いいよね。―で?

 

適当なモノサシを引っ張ってきて、それをあてがい、勝手に僕を敗者にしようとする人間を、むしろ僕は見下している。それは数年前の自分でもあるのだけど。

 

範囲と考え方さえ変えれば、誰でも勝者だし、誰でも敗者なのだ。つまり、何も起きていないのと同じことである。

 

いつだってどこかに恵まれた人間がいる。でもそれが、自分たちが恵まれていないことの証明になると考えるのは、言っちゃ悪いが頭がおかしい

 

本当にふとしたタイミングで始まった脳内問答ではあるが、人生の根幹にかかわる大事な何かの、少なくとも端緒を掴んだという感覚は強い。

 

終わりに。 ―つまり三島由紀夫を読め、と

 

ということで、嫉妬しなくなった理由についてあれやこれやと考えたが、つまりこの一言に集約されそうだ。

 

三島由紀夫の作品を読んだから!!

 

・・・僕の中でくすぶっていた嫉妬の炎が、本物の業火で一気に焼き尽くされた感じがあるほどに、その内容は鬼気迫っていた。

 

そして完全に冷静になった後、競争や比較の馬鹿馬鹿しさが一段と腑に落ちたという感じなのかもしれない。

 

30歳になってしばらく経つのだが、やっと今、学校教育から本当に卒業できたのかな。そう思えば、寂しくも思うが、すごく視界が開けたとも思える。

 

勢いで書いた記事なので推敲はほぼゼロだが、このままアップすることにする。では今日はこの辺で。

 

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