最近テレビタレントが付けるようなちっちゃいマイクを買って、うきうきしている精神年齢9歳の僕です。(心の年齢は20年据え置き)
ってことでそのマイクを使い、運転中の暇なとき、記事を喋りで書いてみようという凄い矛盾をやってやろうと思いついた。
すると、やっぱり最初からカタカタ打ち込むのとは違った味のものが出来て、僕としてはちょっと意外な発見をしたと思っている。
以下、それを文字に起こしたうえで、なるべく項目ごとにサブタイトルをつけてまとめたモノである。タイトルは一括りにしたけど、中身は結構多様。
時間のあるときにぜひどうぞ。
今日はピンマイクを買ってみたので、それを使って音声吹き込んでいるところでございます。
つまり、今回は久しぶりのおしゃべり企画ですので、まぁ軽い気持ちでお読みいただければと思います。
今日のテーマはですね、まずは僕自身が昔今いろいろと・・・自分の自尊心ってんですかね?それがボロボロだった時のことを語りたいと思います。
自分は凄くないと突き付けられたあの日。
自分で言うのもなんですが、僕って結構努力したんですよ。マジで僕は努力をしたんですけど、それがなかなかうまくいかなかったのはなぜだろう、と。
つまり、結局自分を変えられないと悩んでいたときって、どうするのが正解だったのか?
それについては、今だから気づいてる事がいくつもあります。それらについて、まずはお話ししたいと思います。
ー自分のことを変えたい変えたいと一番強く願ってたのは、大体大学1年生~2年生の時、つまり10代の終わりから20代の頭ですね。
本当に強いて言えばなのですが、僕って勉強が得意だったんですよ。
ただ大学に受かった後は、自分と同じ或いは遥かに上の能力の奴らが集まってくるという環境だったので、それを自信にすることって無理だなとすぐに悟ったんですね。
勉強に代わる自分のアイデンティティて何なのかってのを考えたところ、これがですね、すぐすぐには見つからないんですよ。
何をやっても一番になれないという感じですね。
今思えばそんなもん当然なんですけど、当時はそれがなかなか認められず、どうすれば、何なら一番なれるのかってことをすごく考えてましたね。
つまり僕自身の価値は誰かと競争して勝った後、一位になることでしか得られないという思想をこじらせていたんですね。
念を押しときますと、この考え方はかなり危険です。かんなり危険なんです。
あまりこれね、真似しない方がいいですし、この罠にはまってるのであれば速攻脱出した方がいいです。
極論ですが、一位じゃなければ価値がないのであれば、この世に生きる69億9999万9999人以上は最初から価値がないんですよ。
そうやって簡単に論破できる話でもあるんですけど、自分が1番拗らせていたのは、人間何かで一番にならないといけないという思い込みです。
それって無理なんですよ、実際はただの考え方だから。例えば学校の模試で1位をとったとして、もちろんそれはそれで1位です。
ただこれって、例えば同時に、広島県全部で見た時のランキング1位を意味するってわけじゃないじゃないですか。
それに世界で見れば、どう考えても1位なわけないじゃないですか。また、過去とか未来と比べれば、1位であり続けることとかもありえないじゃないですか。
・・・つまり、1位・2位・3位とかそういう順位ってのは所詮考え方であり、要は自分がどう思うかによってどうとでも捉えられるって事なんですね。
しかし当時の僕はそんなことも知らずに心が歪み倒していたので、ヘンな行動に出ていました。自分を変えるための行動が、色々と間違っていたんです。
本を読んで新しいアイデアを得ようにも、知っただけで満足したりとか、いや自分には無理だなと思ってそもそも手を出さないとか、向き合い方を間違ってたんですね。
・・・まあ愚かだったなと、今なら本当に思います。
ただどうするのが正解だったのかと言うことは、20代半ばで一回心がひしゃげて、そこから復活してそん時に気づいたんですけど。
ってことで喋りますね。
どんな本を読もうと、書いてあることをやってみなければ、どんな学びも得られない。
超当たり前のことに、ようやく気づいたんですね。
その理由は、プライドが一回0になったから。0になったということで、ストンとどんな教えもスッと入ってきやすくなったというのが、やっぱ理由だと思うんですね。
もちろんこれって非常に劇薬だし偶発的なものなので、皆さんは是非意識の持ちようで、他の教えとかを自分に落とし込んでいただければと思います。
『知識』の使い方を学べる良著とは?
問題にぶち当たった時に自分を責めるのではなく、「この手はどうだろう」「人の意見を聞いてみよう」ってのができると、人生うまい方に転がりだした気がします。
自分勝手な考え方とか、自分の中でこじれてる意識とか消えてから、人生なんか楽になってきたなって自覚し始めたのがだいたい20代後半の頃です。
ただ、この考え方って自分で気付くのもやや大変で、しっくりこない人には来ないです。もしそうなのであれば、このマインドを知るのにおすすめな本がありまして。
それが、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』っていうものです。何度か紹介したことがあるんですけども、やはり名作ですな。
これは何かというと、物理学者・ファインマン氏の面白い逸話をまとめた本なんですが、そこで出てくるファインマンさんの行動がまさにお手本みたいなんですよ。
疑問点はどうすれば解決できるだろうとか、人や自分が困った時にどうすればもっと楽にできるだろうとか、常に新しい発見をしようって風に考え続けるんですね。
このプロセスってなかなか自分で気づくので難しいので、その学びに最適かなと。上下巻なんですけど、これ非常にサクサク読めますので、本当にオススメです。
しかも和訳が非常に上手でして、『英語のやつを日本語にしたゾ』っていう感覚が、なんか無いんですよ。
大体の洋書ってどうしても、「何か洋書だなー」という違和感があるじゃないですか。それがこの本にはマジでないです。
だからこそ、洋書を和訳したものが苦手だなって人にもいろんな意味でオススメですね。
心が折れて学んだこと。
ということで、おしゃべり企画なので取り止めがちょっとなくなっちゃったので無理やりまとめます。
ー自分が努力してもしても成長を感じられない時っていうのは、決して自分がそれに満足しないようなマインドセットがされている可能性が高いです。
価値がないと思うことって、一見向上心があるように見えるのですが、似て非なるものです。
ここを意識することなく、かつ矯正もしないと、単に自分を責め続けるだけですので非常に危険です。
なのでもし、自分にその気があるという予感がしたらですね、意識的にそのステージから降りることを本当にお勧めします。
僕自分が変わるようになったきっかけは、一度プライドが全部なくなったことなんですけれども、正確にはそれでゴロっと人生が変わり始めたわけでは無いです。
変わり始めた一番の理由は、プライドがゼロになったことで、人の教えを素直に実行するようになったからです。
微妙なプライドなんか、持たない方がやっぱりいいですね。今は僕は、努力も現状の自分も、あの頃とは比べ物にならないくらい肯定しています。
・・・それを捨てるためには、僕みたいに心をヘシ折るか、もしくは自分で意識して取り去るかなのですが、前者は絶対に避けましょう。
実は、心が折れると帰ってこれる可能性って2割くらいらしいんですよ。メンタル病んだら8割の確率で再発するらしいので、僕って少数派のレアケースなんですね。
カルテには「適応障害」って確か書いてあったんですけど、それってお医者さんが気使ってくれただけで、ガッツリ鬱だったと本気で思ってます。
そこから帰ってこれたのはただの奇跡であって、一度例えばブラックなとこに勤めて心へし折るとかそういうアホなことは考えないようにしてください。絶対に。
さて、車の中で語ってる企画なのでちょっととりとめがないですけれども、言いたいことはとりあえず喋れたのでいいと思います。
じゃ、今日はこの辺で!