おかげさまでネガティブ思考から意識を反らすのが段々得意になってきました。中元です。
さて。ここ2週間くらい、何かの呪詛を飛ばされたかのように、僕のメンタルを揺さぶりまくる事件が連発し続けている。
詳しくは書けないが、一つ終わればふたつ事件が発生するというありさまで、今日が終わってみれば、抱えているタスクは始業時の1.5倍にまでなっていた。つらたん。
一昔前であれば、終わっていないという事実に気を取られ、能力不足を恥じ、人に頼れない自分を責め、くよくよと反芻思考に覚えていたに違いない。
だが冷静に考えれば、一日ですべてが終わると考えるのは、むしろ見積もりとして非常に甘く、むしろ自然な話なのではとさえ考えるようになった。
言い切ってしまえば、頑張ればその日にすべてが終わると思い込むのは子供の論理であり、つまり適当な落としどころを探らないと、心を破壊する毒物にもなる。
今日はその危惧について、記事を書いてみようと思う。
子どもの頃の無理と、今の無理は、じぇんじぇん違うよ。
子どもの頃は、体育会系に属していたのもあり、簡単に「無理」と言おうものなら筋肉論破をされ続けて育ってきたものだ。
そしてたちが悪いのだが、本当にその筋肉論破で何とかなる場面が大半であり、そういう成功体験を積みまくることになるケースが多いのだ。
―こうなる理由は、至極簡単なところにある。子どもにとっての無理は、所詮そんなもんだからである。
夏休みの宿題。筋トレの追い込み。試験前の一夜漬け。そういった苦難は、結局自分一人で完結するし、一日の中に収まってしまうものだ。
だから大人になっても無邪気なことに、「頑張れば大抵のことはその日に終わる」と豪語する人は多いし、「明日に仕事を残すな!」を信条にする人さえいるほどである。
まぁぶっちゃけ、その人の抱える仕事がすべてルーティンワークであれば、その考え方は間違いじゃない。何なら、その通りだよねとさえ、思いはする。
ところが、何か一度でもプロジェクトめいたことを率いてみたり、抽象的な問題に対処しようとしてみたりすると、確実に気づくことがある。
それは、時間を掛けないと対処できないことなど山ほどあるというものだ。言い換えれば、一日で終わるわけがない仕事の存在である。
「がんばる」という対策では一ミリも解決に向かわない問題の数々。場合によっては、数日から数か月かかることもしばしばだ。他者と衝突が生まれることもある。
こういうのを担当してしまえば、責務が終わらないとメンタルをがりがり削るという思考法である限り、そのうち潰れてマジ終わる。
子供のように何事も頑張って一日に収めようとする限り、心の平穏は永遠に来ない。断言する。
まずは言葉は悪いけれど、日ごろから心が超疲れるのなら、そういう【子供の論理】を自分の人生に適応していないか、一度自省してみた方がいいかもしれない。
あるいはそれを論理的に説いてくれる本を読むべきだろう。ってことで推薦図書を一つ、載せておく。
終わったこと、積み上げてきたものに目を向けるべし。
僕もこの思考から抜け出すのはかなり苦労したし、今も油断していたら簡単に突っ込んでしまう。それは先に書いておく。
しかし、試すようにしてからだいぶマシになった方法はある。それは、【分解】と【作業リスト作成】である。
【分解】とは文字通り、何かしらの実行可能な行動になるまで、作業を細かく細かく、そして具体的に考えていくことである。
例えばある研修を行う担当になったのなら、「前年度の資料を集める」「前任者に意見をもらう」「草案を考えるために本を読む」といったところかな、と思う。
言っちゃ悪いが、「じゅんびをがんばる」というのはアホだ。とにかく何をすればいいのかを自分がわかるまでは、細かく細かく、粘り強くチョキチョキする。
後はそれをリストにして、一つずつ潰していくという感じだ。
思いついた端からやっていくのが好きという人もいるが、僕はクエストをクリアするような感覚が欲しいので、わざわざ一度、必ず目に見えるようにしている。
ちなみに、以前は手帳に書きだしまくっていたが、最近は筆記開示を止めてしまった。もっといいのを見つけたからだ。
それはLINEのKeepメモ。これが好きで、これに一日の作業をゴリゴリ書き込んでは、終わる端から消すようにしている。
また、気づいた仕事は、スマホからでもPCからでも、何なら家でも職場でも散歩中でも、必ずここに書き込んでいる。
そしてあとは心掛けの話なのだが、終わらなかった仕事を眺めて凹むのは、あほくさいのでもうやめた。代わりに、何が終わったかを必ず考えるようにしている。
例えば今日であれば、ごっつい案件はまだ明日に残っているが、項目数で言えば10以上の作業が片付いたことになっている。そちらを見て、僕は僕を褒めた。
前進しているという感覚をきちんと持った方がいい。もちろん反骨心とかで頑張れる人もいるだろうが、それは少数派だ。
自愛できる人の方が、成果が良いことも多い。根性論は美化されがちだが、度が過ぎると体を壊すので、ほどほどにされたし。
終わりに。:結局、スランプになったら何をするしかないのか。
仕事でしくじる、怒られる、そしてそれが連続する。いわゆる負のループに入ったときは、一体どう身を処すのが正解なのか。
徹底してそのネガティブに浸るべきという人もいれば、徹底してクラッチを切り、リフレッシュと休養に充てるべきという人もいる。つまり、正解は人それぞれなのだ。
しかし、共通する不正解はあると思う。それは、自責に終始することだ。僕が悪いと言い続ければ許されたのは、子どもの時分までである。
正直言って、社会的に見て悪者が必要なときは、その人を悪にするための論理が用いられるのだが、それを僕は理不尽というと考えている。
どれだけ冷静に考えても【理不尽】と思うときは、頭を下げつつも心の中ではアッカンベーするくらいでよいのではなかろうか。そういう提案をする本も実際多いし。
だからこそ、冷静になること、そしてできることを積み重ねることが、結局必要なことの全てなんじゃないかなと、マジで思う。
ご自愛なされよ。バチとかあるわけないんだから。
では今日はこの辺で。