珍しく仮眠が仮眠の尺に収まって気分がいい中元です。集中力復活!
はい。今日は、僕が心掛けている働き方について書いてみようかなと。完全に造語だが、僕はそれを【仮面指示待ち族】と呼んでいる。
これは、一生懸命頑張っても、不思議と報われない、なんか疲れてきた、そんな人に向けた考え方と言ってもいい。
そしてむしろ、置かれている状況によっては、この考え方を採った方がいい人さえ存在すると考えている。
今日はそういうお話である。
自己愛が強い人の下に就いちゃったあなたへ。
いささか残酷な話だが、リーダーになった人がなぜリーダーとして抜擢されたのかという理由は、大抵【リーダーにふさわしく”みえるから”】という点に根差すらしい。
そしてリーダーにふさわしく見えるキャラとは、一皮めくれば【強い自己愛】がそこに潜んでいる可能性もあるそうだ。(大抵は【自信がある】【豪胆】と解釈されるのだが)
この強い自己愛が拗れてしまうとどうなるか?断言するが、組織の階層によっては、その人の下でどれだけ努力しようと、部下の頑張りは徒労に終わることが多い。
組織がかなり大規模で、そのリーダーが出世したらそれにくっついて立場が上がることを見込めるのなら、必死で先を読んで努力するのも理に適っているが・・。
そうでないのなら、ぶっちゃけ最低限のことだけやって、自分の時間を過ごした方が良いと思う。組織にとっては損だが、自分の身を守るためだ。
こういう風に、【自己愛が強い人の下に就いて】、かつ【その状況がすぐすぐは変わらない】のなら、僕は【仮面指示待ち族】になっちゃうことを提案する。
では、なぜそう思うのか?以下、僕自身のエピソードと、友人が酒の席で語ってくれたドロドロした話を具体例として、説明していきたいと思う。
「自分で考えろ!勝手なことはするな!」
自己愛が強いかどうかは、その人の【責任】の考え方、【裁量】の持たせ方を考えると見えてくる。
例えば「責任は俺が取る!」と言いながら、トラブルを報告すると「任せた」とハシゴを外すタイプはだいぶグレーである。(結構多い事例だけど)
また、【裁量】を持たせるような発言をしつつも、報告が抜けていたらその一点を攻めるように、功績をうやむやにするタイプもアヤシイ。
露骨に手柄を横取りするタイプも世の中にはいるようだが、実際はもっと巧妙なタイプの方が多いのだ。一例を紹介しよう。
最近転職した知人がいるのだが、一番決め手になったのは、「売り上げ取ってきたのをさらに上に報告する際、必ず俺の弱点を添えて伝えていたから」らしい。
例えば、「確かに数字は出ましたが、こういう点がまだまだでしてな・・」という感じ。人から伝え聞いて、ブチギレそうになったという。(こりゃ僕もそうなるわな)
「俺の評価が、上司を超えていかないよう、コントロールしている!」-と、そこから不信感を抱くようになり、そして踏ん切りを付けたそうだ。(今は家庭もあって幸せそう)
ということで、程度や言葉選びはどうあれ、【責任】は回避し、【裁量】は極力与えないタイプ。そういう方の下に就いたら、ビジネス書通りの頑張りは止めた方がいい。
気を利かせて仕事をバリバリやると、ガンガン雑用レベルのことまで振られるだけだ。自分主体になって仕事をすると、いきなり注意されて萎えるだけだ。
手柄を立てても、さらに上の上司にはねじ曲がって伝わってしまう可能性さえある状況においては、頑張る方がナンセンスに思えてくる。
尚、かくいう僕も状況としては遠からず、近からずという感じだ。もっと色々試したい手はあるし、リスク取って頑張りたいこともあるが、意見がマジで通らない。
だから潔く、頑張って認められることを諦めた。自分にとってストレスが一番掛からない形で、給料に匹敵する成果を上げて、それで良しとすることに決めた。
繰り返すが、組織的には、こういう考え方の人間が蔓延することは絶対に害である。だが僕は、自分にもっと裁量が与えられるまで、仮面指示待ちに徹する。
でないと、いずれ本当に心の底から諦めてしまうことになるからだ。やる気を燃やしても無駄にされてしまうなら、燃料は取っておくに越したことは無い。
その時が来たら、全力で燃やせばいいだけなのだ。
【仮面指示待ち族】になるにはどうすればいい?―もとい、ゾンビ型社畜にならないためには?
頑張り過ぎること、もとい頑張ることにアイデンティティを置いている、昔の僕みたいな方は、まずは何より捨て去るべきマインドセットが二つある。
一つは【気を利かせること】で、もう一つは【仕事は探してでもやれ】という考え方である。
気を利かせるというのは、自分の手が空いたり、他の人が抜けていると気付いた際、その仕事を肩代わりすることである。+αのクオリティを載せるのも、そうと言える。
しかし、これがキチンと評価されることは極めてまれだ。大抵は「小間使いとして」使えるヤツという評判に落ち着いてしまうのが現実である。
そして気付けばいつの間にか、仕事の担当がシレっとすり替わっていることもままある。たまに断ったら露骨にイラつかれるという不思議な逆転現象もしばしばだ。
僕も気を利かせるタイプだったが、ここ1ヶ月、仮に抜けていると気付いても、絶対に肩代わりはしないようにしている。(さりげなく指摘はする)
少なくとも僕が置かれているポジションにおいては、過度に気を利かせても良いことは何にもないと悟っているので、絶対にそういうのはしないと誓っているわけだ。
さて。では、自分が便利屋として扱われているかどうかを見極める方法は、一体何なのか?これもまた、死ぬほど簡単。
自分が肩代わりして作った時間で、依頼主が何をしているかを観察したらいい。それを休憩や暇つぶしなどに回していたら、今後はお断りして構わないはずだ。
逆に、その間別の仕事を行っていたり、何かしらの戦略や施策を考えていたりしていれば、肩代わりして時間を作る価値はある。その方が全体としての利益が増すからだ。
ただ、YouTubeを観たり飯を食ったりする時間のために、部下がヒィコラ働くのは色々とおかしいと僕は思えてしまう。まぁ、程度によりけりだが。
では2つ目。【仕事は探してでもやれ】という考え方は、モデルケースがいるので重々承知しているのだが、度を超すとかなり危険だ。
文字だけならかなり尊いことを言っているように聞こえるが、実はこの考え方、効率化から最も遠い思考だと思えてならない。だから危険なのだ。
むしろ、自分がやる仕事を探すために、仕事を作るような行動に発展してしまうこともしばしばだ。そして勝手に忙しくなり、人を巻き込んで、組織を疲弊させていく。
昔【脱社畜ブログ】で読んだゾンビ型社畜という言葉があるのだが、その根底にはこの価値観があるのではと、僕は勝手に考えている。
―というかここまで書いてふと気づいたが、気を利かせすぎても、仕事を探し続けても、結局行きつく先はこのゾンビ型社畜だよな、と。
人に染められるか、自分から染まっていくかという過程こそ違うのだが、行きつく先は結局同じ。その人を擁する組織も、そしてその人自身も、結局救われない。
ホリエモンも最近の動画で言っていたが、「社長が勤勉すぎるのもよくない!」という話に通じてくる。でも、怠惰すぎるのも給料泥棒だよね、と。
どうせ頑張るのなら、どうすれば頑張らなくてよくなるかを発見するために頑張った方が良い。禅問答みたいだが、強くそう思っている。
終わりに。
ぶっちゃけ、人間だれしも仕事はしたくない生き物で、なるべくラクしてお金だけもらいたいというのが自然なんだろうと僕は納得している。
だが、したくないことをしないもっとも楽な方法は、丸ごと部下などの立場の弱い人に放り投げることなので、それを採る人も多いんだろうな、と。
そして肩書ある立場を守るには、成果はきちんと出さないとダメなので、そちらのコントロールに腐心するというロジック。
良い悪いではなく、普通みんなこうするよねと諦める感じ。そうとも言える。
僕みたいにあれやこれやと色々したがる方がレアで、だからこそ煙たいんだろうな。だから今は、やる気という貴重な燃料は使わないに限る。
いつだって全力でやれば道が開けるわけじゃない。無理だとわかったら、一回火を消してみよう。
【仮面指示待ち族】も、別に悪くないからさ。
ってことで今日はこの辺で。