暇なときは「人件費」についてのシビアな記事を読んで、自分を追い詰めている中元です。今もまたすごく焦る焦る。
はい。今日もまた、ふとした折に自分が気付いたことをベースに記事を書いてみる。まず質問なのだが、皆さんは不安感が強いだろうか。
僕は胸を張って「その辺の人の何倍も強いです」と答える。僕が持つ不安の塊を一つでも人に分け与えると、その人は「ぐぎゃああぁぁ!!」となるのではと思う。
だからこそ、その扱いと解釈には物心ついたときからずっと難儀しており、NARUTOでいう九尾のような関係性で、20数年生き続けてきた。
時にはがっぷり四つで組み合って敗北し、時には全力でスルーしようとして体力を失い、時には徹底して言語化しようと再び戦い、良くて相打ち・・という変遷だ。
―そんな今、【不安】という言葉について、また新たな仮説が自分の中に浮かんでいる。
それは、【不安】という言葉は、あのマインドを違う言葉で表現しているだけなのでは、というものだ。
そのマインドとは、【好奇心】だ。つまり、【不安】とはイコール、【好奇心】なのではないかと、今はそう考えている。
今日はこの仮説が一体どういうことか、具体例を交えつつ論じてみる。
改めて己に問う。【不安】とは、一体なんなのか。
このことに気付いたのは、【不安】の解釈をあれこれとザッピングしているときである。何度か紹介したが、以下の説明が本当にしっくり来ている。
【不安】というのは、ある対象に強く「わからない、どうしよう」という思いを抱いている状態だ。こういわれると、「確かにそうだな」とすごく得心する。
ネガティブな感情の筆頭格として、あちこちでメンタルの悩みとして登場する気分である。実際、表現する日本語も英語も、結構多い。
しかし同時に、わからないものに強く意識が向いている状態は、他にもあることにこの時点で気付く。それが先ほど書いた【好奇心】だ。
【好奇心】もまた、未知のもの、わからないものに対する感情だ。ただ対象について、ポジティブな気分が先行しているのが、【不安】との最たる違いだと思う。
つまり、コップに水が半分しかないと思うか、半分もあると思うかという問答と根っこは同じなのだろう。
「わからないこと」を良いように解釈したか、それとも悪いように解釈したか。結局はそれだけなのではなかろうかと、僕は納得しつつある。
―となれば、【不安】を消すとは、【好奇心】を満たすことと同義なのではなかろうか。そういう問いもまた浮かんでくる。
そんな折、たまたま僕の中に強い【不安】を感じるような出来事があった。せっかくなので、それを活用し、その問いを検証してみようと思う。
【不安】をかき消す≒【好奇心】を満たす。
その出来事は、YouTuberの一人が「家バレ+住所晒し+待ち伏せ」の被害に遭ったというニュースだ。
単に物騒なニュースということで片づけても良さそうなものなのだが、何故か不安な気持ちが先行している。
前もどっかで記事にしたが、いわゆる他人の不幸で自分が辛いモードに入っている。まずはここを言語化するところから始めよう。
この感情は、「僕もまた、家に突撃されたらどうしようという不安」なのだろうか?そう考えてみたが、「杞憂」にも程があると、自分でも的外れさに笑ってしまった。
だから問いを変える。「僕は何がわからないから、この不安を感じているのだろう」という風に考えてみた。すると、ある仮説が閃いた。
「自分がもしこの被害を受けたら、一体どういう対策・措置を取ればいいかがわからないから不安なのでは?」という風に。転ばぬ先の杖の究極体的な思考である。
こういう風に定義し直せば、知識として勉強することができそうだ。そしてこれを、「どうしたらいいのかな?」と前向きなテンションで調べてみることにした。
すると、色々と興味深いことが分かった。少し煩雑な情報にはなるが、簡単にまとめてみる。
まず、ネット上での個人情報公開・誹謗中傷は、警察に相談しても解決しない可能性が高いとあった。
これは警察の怠慢などではなく、扱う犯罪の性質に因るところが大きい。すごく乱暴に言えば、警察とは、”刑法に反する行為”を扱う組織である。
暴行とか窃盗とか、そういうやつ。いわゆる「~罪」というものに該当するあれこれを扱うのが仕事である。
しかし先のような個人情報晒しは、「私人と私人」の間での問題であり、つまり民法が扱うところである。だから警察も、ただそれだけでは動きようが無いのである。
もちろんそれによって家を破壊されるといった実害が出たら、刑法でも処罰できるだろうが、そこまでいかないと、なかなかに難しいのが実際のところなようだ。
ただしそれはあくまで、警察を通じて刑法で罰を与えようとする場合であり、迷惑行為への対処としては、損害賠償請求がおすすめ?の方法として紹介されていた。
そしてそれが取れるかどうか、取れるならどのくらいか、そもそもどうやって取っていくかを扱うプロは、実際のところ弁護士である。
だから真っ先に相談すべき相手は、警察ではなく、そちらだとあった。それを踏まえて、証拠はできるだけ搔き集めておき、ストックしておくのも作戦だという。
実際に迷惑行為をされている映像、犯人からの犯行声明、第三者の証言などを揃えて、弁護士を通じて損害賠償を請求すると、合法的に対処可能、ということだった。
ちなみになかなかにブラックな情報として、あくまでも合法の範囲内で、徹底的に相手を潰した実例なんかも出てきた。これはかなり怖いストーリーである。
・・さて。ここまで調べてみて、ある程度体系的な情報を得た今、自分の感情を分析してみると・・。
びっくりするほど落ち着いている。なんというか、ウスターソースをたくさんかけたコロッケを食べた後のような、息苦しいほどの充足感さえある。
・・このワークによって、僕の中で仮説が一つ実証された。
僕にとっては、【不安】と【好奇心】は表裏一体であり、好奇心を満たすのと同じ行動で、不安は立ち消える。
そして一度勉強してしまえば、それは様々なことへ転化可能になる。僕が住所晒しに遭った際も使える知識だろうが、公民の授業のネタにだって用いれるだろう。
そういう意味でも、実りが多い時間であった。今後は【不安】という感情を、今より一層大事にしよう、何なら愛そうと、強くそう思わされた。
終わりに:ただし、そのやり方では対処できない【不安】もある。
とはいえ、全ての不安を好奇心に変換して、勉強を重ねれば消えるかと言われれば、実を言うとそこまで能天気にシンプルな話でも無い。
考えても無駄な【不安】というのは、やはり存在する。ただ、それを判別する方法は割と簡単だ。昔別ブログで記事にしたことでもあるので、手短にまとめて再掲する。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
僕は自分のコントロールが及ばないものは、頭の中でぐるぐる考えることを止めている。具体的には、未来と他者の胸の内に関することだ。
今までのデータの蓄積から、次に出るサイコロの目を推測するのは全くの無駄なように、未来はどれだけ考えても絶対に予測不可能だと僕は考えている。
ただしそれはあくまで「成功」に関する話で、絶対に失敗するケースというのは時代を跨いでも割と不変であるため、そちらを探す手間暇は惜しまないようにしている。
そして考え抜いてもわからないのは、他者の胸の内も同様だ。どこまで想像を膨らませても、それは自分の妄想に過ぎない。
セリフや動作、情景描写を見れば大体感情が推察できる小説・漫画と異なり、現実世界においては、他人の考えていることなど、絶対にわからない。
そういうわけで、こういった対象に【不安】を感じている自分に気付いたら、以下の2つの手段を踏んで、それで意地でも終わりという風に決めている。
1つ目は、プランを3つ考えておくというもの。もし相手がこうきたらこう返す、というパターンは、考えるには考えるのだが、3つくらいで留めておくのだ。
将棋で相手の手を読む作業に似ている。いくらでも考えられるからと、パターンを考えすぎたら逆に自滅するという性質もまた、そっくりである。
僕の場合は、3つくらいで丁度いい。大抵はそのどれかに該当するし、外れたら外れたで、経験値として吸収してオシマイである。
もう1つは、メンタルモデルを考えるというものだ。どういうことかというと、今の状況に似た場面を、別のところから引っ張って置き換えるというイメトレだ。
例えば、顧客に何かを提案して、その返事を待っている状況は、「将棋でこちらが手を指して、相手が考えているのを待っているのに似ている」と考える。
また、誰かの提案にNOという場面は、「ゲームで”いいえ”を選ぶのと同じ」という風に解釈している。
不思議なもので、こうやって別の既知の場面・記憶・経験に置き換えると、対象の輪郭がはっきりするためか、不安な気分は結構落ち着いてくる。
皆様も試してみてほしい施策である。
―ということで、今日は散歩中に閃いた仮説で一気に記事を書いてみた。割と長大になったので、自分でも驚いている。たまにはこんなんもええですな。
ろくすっぽ推敲もしてないけど、これはこれということで、このままアップする。ってことで今日はこの辺で。